一方を証するときは一方はくらし

返信する

スマイリー
:D :) ;) :( :o :shock: :? 8-) :lol: :x :P :oops: :cry: :evil: :twisted: :roll: :!: :?: :idea: :arrow: :| :mrgreen: :geek: :ugeek:

BBCode: ON
[img]: ON
[url]: ON
スマイリー: ON

トピックのレビュー
   

展開ビュー トピックのレビュー: 一方を証するときは一方はくらし

一方を証するときは一方はくらし
——道元(『正法眼蔵』)

この一句は、悟りを全体把握や万能視に変えてしまう心を、静かに切り落とします。
要点はシンプルで過激です。“光が当たるという事実そのものが、必ず影を伴う”。

1) 「証する」とは、全面掌握ではない

「証する」を、

・全部わかる
・すべてが明るくなる
 と読むと外れます。

| 証とは、関係が成立すること。
| その成立は、必ず“向き”を持つ。

向きが生じる以上、照らされない側が同時に生まれる。

2) なぜ“一方”しか証せられないのか

世界は同時に無限だが、実践は必ず局所です。

・立つ/坐る
・聞く/語る
・今/ここ

| この身心で行われる実践は、
| つねに“一点集中”で起動する。

だから、一方が現成するとき、他方は暗くなる。
これは欠陥ではなく、作動条件。

3) 「くらし」は否定ではない

「くらし」は、

・排除
・失敗
・未悟

ではありません。

| 作動していない側が、
| 可能性として保留されている状態。

光に当たらないからこそ、
次の現成の余地が残る。

4) 悟りを“全照明”にしないための戒め

もし悟りが全照明なら、

・もう修行はいらない
・迷いは起きない

となるはず。だが道元は、これを拒む。

| 悟りは、闇を消す力ではない。
| 闇を“闇として保ったまま”、一方を正確に照らす働き。

5) 修証一等の実務的理解

修と証は同時だが、全方向同時ではない。

・坐るときは、語りは暗い
・語るときは、沈黙は暗い

| いま起動している一方が、すでに証。
| 暗い一方は、次の修の入口。

6) 坐禅の現場での合図

・静けさが立つ → 雑念は“暗い”
・雑念が立つ → 静けさは“暗い”

どちらも失敗ではない。
一方が証されたという事実。

評価を足すと迷いになる。

7) 現代的に言い換える

| 完璧に分かろうとするな。
| いま起動している一点を、
| ねじれなく生き切れ。
| 暗い側を“消そう”としないこと。

8) 落とし穴

❌ 半分しか分かっていない自己否定
❌ 暗さを悪とみなす態度
❌ 全面把握への焦り

道元は言う。

| 暗さが残るから、道は生き続ける。


ひと言で凝縮すると

悟りとは、全体を明るくすることではない。
いま現成している“一方”を、
正確に生き切ること。
その正確さが、
必ず“暗い一方”を伴う——
それが、仏道が止まらない理由である。
一方を証するときは一方はくらし

ページトップ