正 法 眼 蔵 締 緒しめお 第 九 十 九
諸仏諸祖の受持し、単伝するは、「勝て兜の緒を締めよ」なり。これすなはち、不退転の威儀にして、全現成の道理なり。
しかあるに、世人おほく誤著せり。勝を修証の終極とおもひ、敗を菩提の断絶と擬するは、いまだ仏道の閫奥(こんおう)をしらず。しるべし、勝は一時の雲散にあらず、緒を締むるは後日の用心にあらず。
「勝て兜の緒を締めよ」といふは、勝正当(しょうしょうとう)のとき、まさにこれ緒を締むる正当のときなり。勝のほかに緒を締むる儀なし、緒を締むるのほかに勝の現成なし。
あるいは問ふ、すでに勝ちて敵亡きとき、なにをか重うして緒を締めん。
しかあれば道(い)ふべし、勝といふは、敵を屈せしむるにあらず、自己の皮肉骨髄を脱落せしむるを勝といふなり。兜(かぶと)とは、これ頭戴(とうたい)の鉄器にあらず、尽十方界の頂門なり。緒とは、これ革紐にあらず、仏祖の命脈なり。
この命脈を緊(し)むるは、一念万年なり。勝てりといふも、これ一隅の放光なり。締めりといふも、これ一時の行李なり。勝の瞬目(しゅんもく)に緒を締むるは、これ古鏡の磨(みがき)なり。
釈迦大師道(い)はく、
「若人(にゃくにん)戦陣(せんじん)に勝て、一人は千人を勝たんより、自己を勝つを一の勝とす」と。
自己を勝つといふは、自己をして自己を緊めしむるなり。勝のなかに、なほ勝ざる一著あり、これを緒を締めるといふ。もし緒を締めざれば、勝は忽ちに魔境となり、兜はたちまちに牢獄となる。
古徳いはく、
「大悟の底(てい)、さらに大迷あり、百尺竿頭に、進歩の緒を締めよ」と。
まことにしるべし、勝は不曽蔵(ふぞぞう)なり。緒を締むるは不断絶なり。勝てのちに緒を締むるにあらず、勝のなかに緒を締むる功夫(くふう)あり。これを行仏の威儀といふ。
兜を戴きて、その緒をゆるくせざるは、これ即心是仏の宗旨なり。兜を脱ぎ捨てんと思ふは、これ外道の活計なり。生死(しょうじ)の戦場、去来の火宅、一息も緒をゆるむることなかれ。
このゆゑに、
勝を拈(ねん)じて緒とせよ、緒を拈じて勝とせよ。
この端正なる威儀、これすなわち諸仏の顔面なり。
正法眼蔵 締緒 第九十九
寛元四年丙午(へいご)仲秋、在越前大野郡永平寺示衆
正 法 眼 蔵 締 緒しめお 第 九 十 九
諸仏諸祖の受持し、単伝するは、「勝て兜の緒を締めよ」なり。これすなはち、不退転の威儀にして、全現成の道理なり。
しかあるに、世人おほく誤著せり。勝を修証の終極とおもひ、敗を菩提の断絶と擬するは、いまだ仏道の閫奥(こんおう)をしらず。しるべし、勝は一時の雲散にあらず、緒を締むるは後日の用心にあらず。
「勝て兜の緒を締めよ」といふは、勝正当(しょうしょうとう)のとき、まさにこれ緒を締むる正当のときなり。勝のほかに緒を締むる儀なし、緒を締むるのほかに勝の現成なし。
あるいは問ふ、すでに勝ちて敵亡きとき、なにをか重うして緒を締めん。
しかあれば道(い)ふべし、勝といふは、敵を屈せしむるにあらず、自己の皮肉骨髄を脱落せしむるを勝といふなり。兜(かぶと)とは、これ頭戴(とうたい)の鉄器にあらず、尽十方界の頂門なり。緒とは、これ革紐にあらず、仏祖の命脈なり。
この命脈を緊(し)むるは、一念万年なり。勝てりといふも、これ一隅の放光なり。締めりといふも、これ一時の行李なり。勝の瞬目(しゅんもく)に緒を締むるは、これ古鏡の磨(みがき)なり。
釈迦大師道(い)はく、
「若人(にゃくにん)戦陣(せんじん)に勝て、一人は千人を勝たんより、自己を勝つを一の勝とす」と。
自己を勝つといふは、自己をして自己を緊めしむるなり。勝のなかに、なほ勝ざる一著あり、これを緒を締めるといふ。もし緒を締めざれば、勝は忽ちに魔境となり、兜はたちまちに牢獄となる。
古徳いはく、
「大悟の底(てい)、さらに大迷あり、百尺竿頭に、進歩の緒を締めよ」と。
まことにしるべし、勝は不曽蔵(ふぞぞう)なり。緒を締むるは不断絶なり。勝てのちに緒を締むるにあらず、勝のなかに緒を締むる功夫(くふう)あり。これを行仏の威儀といふ。
兜を戴きて、その緒をゆるくせざるは、これ即心是仏の宗旨なり。兜を脱ぎ捨てんと思ふは、これ外道の活計なり。生死(しょうじ)の戦場、去来の火宅、一息も緒をゆるむることなかれ。
このゆゑに、
勝を拈(ねん)じて緒とせよ、緒を拈じて勝とせよ。
この端正なる威儀、これすなわち諸仏の顔面なり。
正法眼蔵 締緒 第九十九
寛元四年丙午(へいご)仲秋、在越前大野郡永平寺示衆