10. 「梅花の影裏に相覓(あいまみ)ること休みね」 「梅花の影の中で真理を捜し求めるのはもうやめなさい」という結びの引用。「梅花=真理」と定義した瞬間に、本物の梅花から遠ざかってしまう。この「求めることをやめる」という究極の修行とは何か?

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『正法眼蔵 梅花』の結びに、道元は次の偈を引用します。

| 「明明歴歴、梅花影裏休相覓」
| (明明歴歴たり、梅花の影裏に相覓むること休みね)
| ――「はっきりと現れている。梅花の影の中でそれを探し求めるのは、もうやめよ。」
| ()

この一句は、『梅花』全体の思想を締めくくる究極の修行論です。
あなたの問い――

| 「求めることをやめる」とは何か?

これは禅の核心である 無所得・現成・只管打坐 の問題に直結します。

一 なぜ「求めるな」と言うのか

仏道に入る人は普通、

```text
悟りを求める
真理を探す
仏を見たい
```

という姿勢で修行を始めます。

しかし禅はここで逆説を示します。

もし

```text
真理 → どこかにある
```

なら、

```text
私 → それを探す
```

という 主体と対象の分裂 が生まれます。

すると

```text
私(探す者)
真理(探されるもの)
```

という二元が固定されます。

これが禅でいう 能所の分裂 です。

二 梅花の影とは何か

ここで「梅花の影」が出てきます。

梅花は『梅花』の中では

```text
梅花
=仏法
=如来の眼睛
```

です。

しかしその「影」は

```text
概念
象徴
説明
```

です。

つまり

```text
梅花の影
=梅花についての理解
```

です。

道元は言います。

影の中で探すな。

三 なぜ遠ざかるのか

真理を概念にすると

```text
梅花 → 概念
```

になります。

すると

```text
実際の梅花
```

から離れます。

例えば

```text
梅花とは仏法である
```

と理解した瞬間、

その理解は

```text
頭の中
```

にあります。

しかし

```text
梅花
```



```text
ここ
```

にあります。

つまり

```text
概念

現実から離れる
```

のです。

四 禅の核心:無所得

この問題を仏教では

無所得(むしょとく)

といいます。

悟りとは

```text
何かを得ること
```

ではありません。

むしろ

```text
得ようとする心が消える
```

ことです。

つまり

```text
求める心

止む
```

です。

五 現成という理解

道元の思想では

真理は

```text
探して得るもの
```

ではありません。

それは

```text
すでに現れている
```

ものです。

これを

現成

と言います。

つまり

```text
世界

仏法の現れ
```

です。

六 求めることをやめるとは

では「求めることをやめる」とは何か。

それは

```text
諦める
```

ことではありません。

むしろ

```text
完全に今にいる
```

ことです。

つまり

```text
探す → やめる
```

ではなく

```text
見る
```

です。

七 只管打坐

道元の修行は

只管打坐

です。

これは

```text
悟りを得るための坐禅
```

ではありません。

むしろ

```text
坐ること
=仏の働き
```

です。

つまり

```text
修行

目的なし
```

です。

八 梅花を見る

このとき

梅花は

```text
象徴
```

ではありません。

それは

```text
梅花
```

です。

つまり

```text
梅花を見る
```

だけです。

それが

```text
仏法
```

です。

九 究極の修行

禅の修行は最終的に

```text
探す修行
```

ではなく

```text
やめる修行
```

です。

つまり

```text
求める
理解する
悟ろうとする
```

これらが

静かに落ちる。

そのとき

```text
世界
```

がそのまま現れます。

結び

「梅花の影裏に相覓ること休みね」とは、

真理を概念の中で探すのをやめよ

という教えです。

そしてその意味は

```text
真理

探すものではない

すでに現れている
```

ということです。

だから禅の修行の究極は

何も得ないこと

です。

そしてそのとき、

ただ

```text
梅花
```



そこにあります。
10. 「梅花の影裏に相覓(あいまみ)ること休みね」
「梅花の影の中で真理を捜し求めるのはもうやめなさい」という結びの引用。「梅花=真理」と定義した瞬間に、本物の梅花から遠ざかってしまう。この「求めることをやめる」という究極の修行とは何か?

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