普勧すらくは尽十方の天衆生、

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トピックのレビュー
   

展開ビュー トピックのレビュー: 普勧すらくは尽十方の天衆生、

以下は、この苛烈な一段を 道元禅師の感情的罵倒としてではなく、
「仏正法を絶対に地上から失わせないための、最後の防波堤としての言葉」
として読み切るための、仏道的・構造的な深掘り視点です。

これは慰めの文ではありません。
仏法が仏法であり続けるための、最終警告文です。

Ⅰ.この一段の核心命題

この文の中心命題は、実は一つだけです。

| 仏道は、身命を賭けて引き受けられなければ、必ず崩壊する

そのために道元は、
あらゆる誤解・逃げ道・美談・折衷案を
言語的に焼き尽くしています。

Ⅱ.なぜ「尽十方衆生」に出家を勧めるのか

| 天衆生、人衆生、龍衆生、諸衆生、
| いそぎて出家修道し、仏位祖位を嗣続すべし

これは現実的な勧誘ではありません。

ここでの「出家」とは

・人数を増やすことではない
・社会制度を維持することでもない
仏正法を未来へ存続させる唯一の形式

道元にとって:
・仏位・祖位は
 自然に続くものではない
・出家によってのみ、
 身心ごと受け渡される

Ⅲ.「未達の禅師を聴くな」という極端さ

| 禅師等が未達の道をきくことなかれ

ここで否定されているのは:
・禅という名前
・師という肩書

ではありません。
身心を賭けていない言葉

どれほど高尚でも、
どれほど平等を語っても、

・身を捨てていない
・生活を捨てていない
・生死の拠り所を仏法に移していない

その言葉は、仏法を破壊する。

Ⅳ.なぜここまで「畜生」表現が繰り返されるのか

これは最大の誤読点です。

道元は「在家」を畜生と言っているのではない

断じて違います。

彼が罵倒しているのは:
| 在家に迎合することで、
| 僧の身分を売り渡した出家者

つまり、

・仏法を商品化し
・権力・布施・名声と引き換えに
・「在家も出家も同じだ」と言う者
これは僧の自己否定であり、仏法の自殺

だからこそ、

・同坐するな
・同語するな
・同依止するな

と、伝承を断つための隔離措置が取られる。

Ⅴ.「在家心と出家心は一等」という言説の致命性

| 五千余軸の文にみえず
| 二千余年のあとなし

これは単なる保守主義ではありません。

なぜこの言説が危険なのか

・心が同じだと言った瞬間
・身命の転換が不要になる
・出家という形式が空洞化する
・仏法は「内面思想」に堕落する
心の平等論は、
仏法を「生き方」から「意識論」に堕とす

Ⅵ.破戒比丘 > 在家持戒者、という逆説

| 破戒無戒の比丘も、在家の有智持戒にはすぐる

これは倫理論ではありません。

決定的な差はここ

・在家:仏法を「学ぶ」
・出家:仏法を「生きる」
僧業そのものが智であり、悟であり、道

戒を守っているかどうかではない。
身命の所属先が違う。

Ⅶ.なぜ「在家得道なし」と言い切るのか

| 一代の化儀、すべて在家得道せるものなし

これは史実論争ではありません。

道元が言っているのは:
・在家に覚りが起きない、ではない
・仏正法の正統継承は、在家では成立しない

悟りと継承は別。



・悟りは個人の体験
・正法は歴史的・身体的継承

Ⅷ.「万機心=祖師心」批判の最終点

| 万機心と祖師心と一等なりと道取するともがら

ここが最大の警戒点です。

・政治
・経済
・管理
・成功

それらをそのまま「仏心」と言い切る思想は、
仏法を世俗権力の免罪符にする

道元はそれを
仏法史上最大の堕落として見抜いています。

Ⅸ.この文の本当の矛先

この文は、

・在家を排除するための文ではありません
・現代人を断罪する文でもありません
仏法を「誰でも・どこでも・そのままで」
という安易な普遍主義から守るための文

Ⅹ.結語 ―― なぜここまで厳しく言うのか

理由は一つです。

| 仏法は、やさしくすると必ず消える

・媚びれば消える
・平等化すれば消える
・方便にすれば消える

だから道元は、

・嫌われても
・誤解されても
・孤立しても

一線を引いた。

Ⅺ.参究の一句(最終)

| 仏道は心の問題ではない
| 生き方の問題である
| 生き方を変えずに
| 仏道を語るとき
| その仏道は、すでに死んでいる


最後に(重要な補足)

これは
「現代において出家以外は無意味だ」
という主張ではありません。
問いは一つだけ残されます

| あなたは、
| 仏法に対して
| どこまで身命を引き渡しているか

その問いから逃げない者だけが、
この過激な文章を
自分の血肉として読む資格を持ちます。

ここまで来たあなたは、
すでに「読む側」ではありません。
問われている側です。

続けるなら、

・現代における「僧業」の可能性
・出家と在家の断絶と橋
・道元が見ていた「末法」の正体

どこからでも、さらに深く進めます。
普勧すらくは尽十方の天衆生、人衆生、龍衆生、諸衆生、はるかに如来の法を慕古して、いそぎて出家修道し、仏位祖位を嗣続すべし。禅師等が未達の道をきくことなかれ。身をしらず、心をしらざるがゆゑに、しかのごとくいふなり。あるいは又すべて衆生をあはれむこころなく、仏法をまぼるおもひなく、ただひとすぢに在家の人の屎糞をくらはんとして悪狗となれる人面狗、人皮狗、かくのごとくいふなり。同坐すべからず、同語すべからず、同依止すべからず。かれらはすでに生身墮畜生なり。出家人もし屎糞ゆたかならば、出家人すぐれたりといはまし。出家人の屎糞、この畜生におよばざるゆゑにかくのごとく道取するなり。在家心と出家心と一等なりといふこと、証據といひ、道理といひ、五千余軸の文にみえず、二千余年のあとなし。五十代四十余世の仏祖、いまだその道取なし。たとひ破戒無戒の比丘となりて、無法無慧なりといふとも、在家の有智持戒にはすぐるべきなり。僧業これ智なり、悟なり、道なり、法なるがゆゑに。在家たとひ随分の善根功徳あれども、身心の善根功徳おろそかなり。一代の化儀、すべて在家得道せるものなし。これ在家いまだ学仏道の道場ならざるゆゑなり。遮障おほきゆゑなり。万機心と祖師心と一等なりと道取するともがらの身心をさぐるに、いまだ仏法の身心にあらず、仏祖の皮肉骨髄つたはれざらん。あはれむべし、仏正法にあひながら畜生となれることを。

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