この一段は、『正法眼蔵・一顆明珠』の中でも、「尽十方」「会得」「道取」がどう働くかを、言語と修行の極限で示す箇所です。
ここでは仏道的に深掘りする視点を、①尽十方の動態、②逐物・逐己の転倒、③名以前の明珠、④会得と道取、⑤玄沙問答の意味、の五層で示します。
①「尽十方」は広がりではなく〈未休の運動〉
| 尽十方といふは、逐物為己、逐己為物の未休なり。
尽十方=宇宙全体、という量的理解は誤りです。
ここで言う尽十方は、
・物を追って自己となり
・自己を追って物となる
この入れ替わりが止まらない運動そのもの。
主体/客体が確定する前の、入れ替わり続ける働き
それが「尽十方」。
② 情生智隔を「隔」と取ること自体が転身
| 情生智隔を隔と道取する、これ囘頭換面なり
普通は
・情が起きる → 智が遮られる(悪いこと)
しかし道元は違う。
仏道的転換
・「隔たった」と気づくこと自体が
すでに囘頭換面(向きが変わること)
迷いを排除しない。
迷いが迷いとして現れるところが転身。
③ 一顆珠は「名ではないが、道得である」
| 是一顆珠は、いまだ名にあらざれども道得なり
ここが決定的です。
・明珠は「概念」ではない
・しかし「沈黙」でもない
名以前に、すでに言われている(道得)。
だから
| これを名に認じきたることあり
名前を与えた瞬間にズレるが、
ズレることすら明珠の働き。
④ 「身今あり、心今あり」もまた明珠
| 身今あり、心今ありといへども明珠なり
これは重要です。
・身心脱落したから明珠なのではない
・身も心も「今ある」そのままで明珠
理想状態を設定した瞬間に、明珠を小量化する。
⑤ 会得とは「理解」ではない
| 学人如何会得。
この問いに対し、
会得=分かること、ではありません。
| たとひ僧の弄業識に相似せりとも、大用現、是大軌則なり
・業識(迷い)に見えても
・そこで用が現れているなら、それが会得
正しさではなく、働きがあるかどうか。
⑥ 一尺水一尺波 ― 明珠は比例して現れる
| 一丈珠、一丈明なり
・大きく悟れば大きく明るい、ではない
・その場その場の全力で現れる
小さな実践に小さな明珠があるのではない。
小さな実践そのものが、尽十方の明珠。
⑦ 玄沙の道取 ― 会得を破壊する問い
ここで登場するのが
玄沙師備。
| 尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。
これは説明要求ではありません。
仏道的意味
・「会得しようとする心」そのものを照らす問い
・理解しようとした瞬間に外れる構造を暴く
僧の答え:
| 尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。
問いをそのまま返す。
⑧ 騎賊馬逐賊 ― 自己を使って自己を追う
| 騎賊馬逐賊
・賊を追うのに、賊の馬に乗っている
・正しさで迷いを倒そうとする構造そのもの
しかし道元は、これを否定しません。
それ以外に道はない。
⑨ 仏道的総結
この段が示す仏道の核心は、ここに集約されます。
| 尽十方とは、
| 完成された全体ではない。
| 会得しようとして外れ、
| 外れながら働き続ける未休の運動である。
・会得しようとする心も明珠
・会得できない苦しさも明珠
・問いも答えも明珠
一句で言えば
| 明珠とは、
| わかろうとする力が
| つねに自分自身を追い越していく、その運動である。
必要であれば、
・「逐物為己/逐己為物」と現代的自己意識
・「会得」と坐禅体験の関係
・この段と『現成公案』『有時』の照応
まで、さらに深く掘り下げられます。
この一段は、『正法眼蔵・一顆明珠』の中でも、「尽十方」「会得」「道取」がどう働くかを、言語と修行の極限で示す箇所です。
ここでは仏道的に深掘りする視点を、①尽十方の動態、②逐物・逐己の転倒、③名以前の明珠、④会得と道取、⑤玄沙問答の意味、の五層で示します。
①「尽十方」は広がりではなく〈未休の運動〉
| 尽十方といふは、逐物為己、逐己為物の未休なり。
尽十方=宇宙全体、という量的理解は誤りです。
ここで言う尽十方は、
・物を追って自己となり
・自己を追って物となる
この入れ替わりが止まらない運動そのもの。
主体/客体が確定する前の、入れ替わり続ける働き
それが「尽十方」。
② 情生智隔を「隔」と取ること自体が転身
| 情生智隔を隔と道取する、これ囘頭換面なり
普通は
・情が起きる → 智が遮られる(悪いこと)
しかし道元は違う。
仏道的転換
・「隔たった」と気づくこと自体が
すでに囘頭換面(向きが変わること)
迷いを排除しない。
迷いが迷いとして現れるところが転身。
③ 一顆珠は「名ではないが、道得である」
| 是一顆珠は、いまだ名にあらざれども道得なり
ここが決定的です。
・明珠は「概念」ではない
・しかし「沈黙」でもない
名以前に、すでに言われている(道得)。
だから
| これを名に認じきたることあり
名前を与えた瞬間にズレるが、
ズレることすら明珠の働き。
④ 「身今あり、心今あり」もまた明珠
| 身今あり、心今ありといへども明珠なり
これは重要です。
・身心脱落したから明珠なのではない
・身も心も「今ある」そのままで明珠
理想状態を設定した瞬間に、明珠を小量化する。
⑤ 会得とは「理解」ではない
| 学人如何会得。
この問いに対し、
会得=分かること、ではありません。
| たとひ僧の弄業識に相似せりとも、大用現、是大軌則なり
・業識(迷い)に見えても
・そこで用が現れているなら、それが会得
正しさではなく、働きがあるかどうか。
⑥ 一尺水一尺波 ― 明珠は比例して現れる
| 一丈珠、一丈明なり
・大きく悟れば大きく明るい、ではない
・その場その場の全力で現れる
小さな実践に小さな明珠があるのではない。
小さな実践そのものが、尽十方の明珠。
⑦ 玄沙の道取 ― 会得を破壊する問い
ここで登場するのが
玄沙師備。
| 尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。
これは説明要求ではありません。
仏道的意味
・「会得しようとする心」そのものを照らす問い
・理解しようとした瞬間に外れる構造を暴く
僧の答え:
| 尽十方世界是一顆明珠、用会作麼。
問いをそのまま返す。
⑧ 騎賊馬逐賊 ― 自己を使って自己を追う
| 騎賊馬逐賊
・賊を追うのに、賊の馬に乗っている
・正しさで迷いを倒そうとする構造そのもの
しかし道元は、これを否定しません。
それ以外に道はない。
⑨ 仏道的総結
この段が示す仏道の核心は、ここに集約されます。
| 尽十方とは、
| 完成された全体ではない。
| 会得しようとして外れ、
| 外れながら働き続ける未休の運動である。
・会得しようとする心も明珠
・会得できない苦しさも明珠
・問いも答えも明珠
一句で言えば
| 明珠とは、
| わかろうとする力が
| つねに自分自身を追い越していく、その運動である。
必要であれば、
・「逐物為己/逐己為物」と現代的自己意識
・「会得」と坐禅体験の関係
・この段と『現成公案』『有時』の照応
まで、さらに深く掘り下げられます。