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仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。

Posted: 木 1 01, 2026 2:12 am
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仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
——道元(『正法眼蔵』)

この三段は、仏道の学びの構造を一息で解体し、同時に立て直します。
キーワードは「ならふ → わするる → 証せらるる」。能動が受動へ、主体が出来事へと反転する運動です。

1) 「仏道をならふ」=教義を覚える、ではない

道元の「ならふ」は、情報取得ではありません。

| 身心ごと引き受けて、反復の只中に入ること。

ここでの学びは、理解が増える方向ではなく、立脚点が揺らぐ方向へ進みます。

2) 「自己をならふ」——自己分析の罠を越える

自己をならふ、とは自己研究でも自己改善でもない。

・性格を把握する ❌
・欠点を直す ❌

| 自己が、行為のたびに立ち上がっては崩れる、その“働き”を丸ごと経験すること。

学べば学ぶほど、固定した自己像が保てなくなる。これが次段への準備。

3) 「自己をわするる」——消去ではなく主語の退場

忘れる=自己否定/抹消、ではありません。

| 主語としての〈私〉が、前面に出てこない。

坐る・歩く・食べる——行為が行為として起こり、
「私がやっている」というナレーションが要らなくなる。
ここで自己は“消える”のではなく、主語を降りる。

4) 「万法に証せらるる」——承認の方向が逆転する

最重要点。

・私が悟りを証する ❌
・万法が、自己を証する ⭕

世界(万法)が先に立ち、
自己は出来事に照らされ、試され、成立させられてしまう。
これは評価や合格通知ではなく、現成の事実。

5) 修証一等の完成図

この三段は一直線ではありません。同時回路です。

・ならふ → わするる → 証せらるる
 は、順に起きて終わるのではなく、起き続ける循環。

| 学ぶほど主語が退き、
| 主語が退くほど世界が前に出て、
| 世界が前に出るほど、学びが深まる。

6) 坐禅・日常での具体相

・坐禅で「良い/悪い」を測り始めたら主語が前に出ている
・評価が立たず、しかし坐は続いている → 証せらるる

家事・仕事でも同じ。
成果の自己所有が薄れ、出来事が出来事として進むとき、万法に証せられている。

7) 現代的読み替え——自己最適化からの離脱

自己啓発は「自己を強化」するが、道元は自己を透明化する。

| うまく生きようとする前に、
| 生がうまく進んでしまう構造に身を預けよ。

承認は内省でも外部評価でもない。世界の働きそのもの。

8) 落とし穴

❌ 自己放棄・無責任
❌ 反省や努力の否定
❌ 思考停止

自己を忘れるとは、注意と応答が最も精密になる地点に入ること。


ひと言で

仏道は、自己を磨いて完成させる道ではない。
自己を学び尽くしたところで主語が退き、
世界が先に進み出て、自己が証されてしまう——
その反転が、仏道の学びである。

さらに掘るなら、

・「身心脱落」との完全一致
・なぜ“忘れる”が学びの頂点なのか
・日常で主語が退く“合図”の見分け方

どこを続けますか。