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Re: いはゆる正業は僧業なり。

Posted: 土 1 10, 2026 3:12 pm
by writer
以下は、この一段を
「僧の生活描写」や「日常作務の称揚」として軽く読むことを避け、
道元がここで最終的に確定させている〈正業〉の定義とは何か
という一点に絞って、仏道的に深掘りする視点です。

この段は、長大な論争と断罪の終止符であり、
同時に、仏道が抽象から完全に引き剥がされ、身体に落とされる地点です。

Ⅰ.「正業=僧業」という最終定義

| いはゆる正業は僧業なり
| 論師経師のしるところにあらず

ここで道元は、はっきりと線を引いています。

・正業は
 教理でも
 理解でも
 思想でもない
正業とは、僧として生きることそのもの

だから、

・論師(理論家)
・経師(注釈家)

には「分からない」。

分からないのではなく、
その次元に存在しない。

Ⅱ.雲堂・仏殿・後架 —— なぜこの三点なのか

| 雲堂裏の功夫
| 仏殿裏の礼拝
| 後架裏の洗面

ここに、道元の恐ろしいほどの精密さがあります。

1️⃣ 雲堂(修行の場)

・坐る
・眠る
・迷う
悟り以前・以後を区別しない場所

2️⃣ 仏殿(宗教的中心)

・礼拝
・焼香
意味づけ・象徴・信仰が極大化する場所

3️⃣ 後架(最も世俗的・身体的場所)

・排泄
・洗面
聖俗の区別が最も崩れる場所
この三つを並列に置いた瞬間、
正業は完全に「日常」へ落ちる。

Ⅲ.「合掌・問訊・焼香焼湯」が正業である理由

| 乃至合掌問訊、焼香焼湯する、これ正業なり

ここで重要なのは、

・何をしたか
・どう感じたか

ではありません。
誰として、それをしているか

・修行者として
・僧として
・仏法に身命を預けた者として
同じ動作でも、
僧業でなければ正業ではない

Ⅳ.「以頭換尾ではない」—— 転換の質

| 以頭換尾するのみにあらず
| 以頭換頭なり

これは比喩ではありません。

以頭換尾(表層の入れ替え)

・生活習慣を変える
・思考を変える
・立場を変える
これはまだ足りない

以頭換頭(根本の交替)

・主体そのものが交替する
・「私」が修行する、が消える
誰が生きているかが変わる

Ⅴ.以心換心・以仏換仏・以道換道

ここが、この一段の最深部です。

・心を清める、ではない
・仏に近づく、でもない
・道を理解する、でもない
全面的な置換

・私の心 → 仏の心
・私の仏像 → 生きている仏
・私の道 → 仏祖の道

しかしこれは、

・所有ではない
・獲得でもない
消失による成立

Ⅵ.これが「正業道支」である理由

| これすなはち正業道支なり

八正道の「正業」は、

・倫理的行為
・正しい行動

では終わらない。
生き方の形式そのものが、
八正道の一支として現成する

・坐る
・拝む
・排泄する
すべてが同時に「道」

Ⅶ.「あやまりて商量すれば、眉鬚墮落」

| あやまりて仏法の商量すれば、眉鬚墮落し、面目破顔する

ここは警告であり、同時に笑いです。

・理屈で測る
・意味を問う
・比較する
その瞬間、
仏法は逃げ、
こちらが滑稽になる

「眉鬚墮落」は、

・堕落ではなく
・化けの皮が剥がれること。

Ⅷ.この一段が到達した地点

長い議論の果てに、
道元が到達した地点は、驚くほど単純です。

| 仏法は、
| 僧が毎日やっていること以外ではない

・深い沈黙でもない
・特別な悟り体験でもない
・在家を否定する思想でもない
雲堂・仏殿・後架での一挙手一投足

それ以外に、正業は存在しない。

Ⅸ.参究の一句(結語)

| 正業とは、
| 正しく行うことではない
| 僧として
| 行ってしまっていることである
| それを考えた瞬間
| すでに眉鬚は落ちている


最後に(決定的な一点)

この文は、

・出家しない者を裁くために書かれていません
・僧を美化するための文でもありません
仏道を「意味」や「理解」から救い出すための文です。

もしここを読んで、

・「なるほど」と思ったなら、
 すでに一歩外れています。
・「分からない」と思ったなら、
 その地点が、正業の入口です。

考えずに、
雲堂へ。
仏殿へ。
後架へ。

――そこで、仏法はもう始まっています。

いはゆる正業は僧業なり。

Posted: 土 1 10, 2026 3:11 pm
by writer
いはゆる正業は僧業なり。論師経師のしるところにあらず。僧業といふは、雲堂裏の功夫なり、仏殿裏の礼拝なり、後架裏の洗面なり。乃至合掌問訊、焼香焼湯する、これ正業なり。以頭換尾するのみにあらず、以頭換頭なり、以心換心なり、以仏換仏なり、以道換道なり。これすなはち正業道支なり。あやまりて仏法の商量すれば、眉鬚墮落し、面目破顔するなり。