しかあれば、声聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するがごときは、

しかあれば、声聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するがごときは、声聞戒みな破戒なり。自余の定慧もまたかくのごとし。たとひ不殺生等の相、おのづから声聞と菩薩にあひにたりとも、かならず別なるべきなり。天地懸隔の論におよぶべからざるなり。いはんや仏仏祖祖正伝の宗旨と諸声聞と、ひとしからんや。正命のみにあらず、清浄命あり。しかあればすなはち、仏祖に参学するのみ正命なるべし。論師等の見解、もちゐるべからず。未得正命なるがゆゑに、本分命にあらず。
以下は、この一段を
「声聞戒を否定する過激論」や「菩薩優越の教義論」として読むことを避け、
〈比望(ひぼう)=同一基準で測ること〉そのものが、なぜ仏道において破壊的なのか
という一点に焦点を合わせた、仏道的・構造的な深掘りです。

ここは、これまで積み上げられてきた
正業・正命・戒・声聞・菩薩
すべてを、一つの原理で総決算する箇所です。

Ⅰ.最初の一句が示す決定原理

| 声聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するがごときは、声聞戒みな破戒なり

ここで道元が言っているのは、
声聞戒が悪いという話ではありません。
問題はただ一つ。

| 異なる道を、同じ尺度で測った瞬間、すべてが破壊される

Ⅱ.「比望(ひぼう)」という最大の禁忌

比望とは:
・比較すること
・同じ基準に並べること
・優劣・同一・互換を論じること
道元にとって、これは
仏道最大の誤謬。

なぜなら:
・声聞戒は「自己解脱」のための戒
・菩薩戒は「仏法を未来へ生かす」ための戒
目的が違う戒は、
同じ形をしていても、別物

Ⅲ.なぜ「みな破戒」とまで言うのか

もし声聞戒を、

・菩薩戒と同じ基準で評価すれば、
声聞戒は、

・衆生を捨て
・生死を避け
・仏法を閉じる

ことになる。

その意味で:
| 菩薩戒の地平から見れば、
| 声聞戒はすべて破戒に“見える”

これは価値判断ではなく、
座標系の違い。

Ⅳ.定慧もまた同じ —— 修行の中身が同じでも別物

| 自余の定慧もまたかくのごとし

ここで重要なのは、

・戒だけが違うのではない
・定(禅定)
・慧(智慧)
すべてが別次元

・声聞の定慧:
 自己の煩悩を静め、終わる
・菩薩の定慧:
 生死のただ中で、法を働かせる

Ⅴ.「不殺生等が似ている」という最大の錯覚

| たとひ不殺生等の相、おのづから声聞と菩薩にあひにたりとも

これは最も起こりやすい誤解です。

・行為が同じ
・規範が同じ
・形式が同じ
だから「同じ戒」だと思う。

しかし道元は断言します。

| かならず別なるべきなり

なぜなら:
・声聞の不殺生:
 汚れないため
・菩薩の不殺生:
 衆生を生かし続けるため
同じ行為でも、
命の向きが逆

Ⅵ.「天地懸隔」の意味 —— 差ではなく断絶

| 天地懸隔の論におよぶべからざるなり

ここは強烈です。

・天と地
・上と下

という差ではない。
交わらない断絶

・比べられない
・混ぜられない
・代替できない

Ⅶ.仏仏祖祖正伝と声聞は、なぜ同一でないのか

| 仏仏祖祖正伝の宗旨と諸声聞と、ひとしからんや

ここでの決定点は:
・声聞は悟る
・仏祖は悟りを生み続ける
正伝とは、
悟りの継続装置

声聞は:
・完成する
・閉じる

仏祖は:
・未完であり続ける
・開き続ける

Ⅷ.「正命」だけでなく「清浄命」もある

| 正命のみにあらず、清浄命あり

これは重要な区別です。

・清浄命:
 汚れず、静かに終わる命
・正命:
 汚れを引き受け、仏法を生かす命
清浄命は尊い。しかし、それは正命ではない。

Ⅸ.なぜ「仏祖に参学するのみ正命」なのか

| 仏祖に参学するのみ正命なるべし

参学とは:
・教義を学ぶことではない
・思想を理解することでもない
身命の向きを、
仏祖の向きに合わせること

・出家
・僧業
・叢林
・正業・正命

その全体が、参学。

Ⅹ.論師の見解を斥ける理由

| 論師等の見解、もちゐるべからず

論師は:
・概念で測る
・比較で整理する
・同一化で安心する
しかし仏道は、

・測れない
・並べられない
・代替できない

Ⅺ.「未得正命」=「本分命にあらず」

| 未得正命なるがゆゑに、本分命にあらず

本分命とは:
・その人が生きるべき命
・仏法の側から見た「使われるべき命」

声聞の命は:
・その人にとっては完成
・しかし仏法にとっては、未使用

Ⅻ.この一段の最終結論

この文章は、ここまでの全議論を
一刀で貫いています。

| 仏道において最大の罪は、
| 異なる道を同じだと言うこと

・平等という名で
・慈悲という名で
・非分別という名で
正命が破壊される

ⅩⅢ.参究の一句(結語)

| 同じに見えるものを
| 同じだと言わない勇気
| それが仏道である
| 戒も、定も、慧も
| 命の向きが違えば
| すでに別の世界である


最後に(決定的な問い)

この一段が、
いま・ここに突きつける問いは一つです。

| あなたは、
| 何を基準に
| 自分の修行を測っているか

・清浄さか
・安心か
・完成か

それとも、

| 仏法が未来へ生きるかどうか

その基準を誤った瞬間、
どれほど清らかでも、
それは 「本分命」ではない。

道元は、
そこだけを、
一切譲らなかったのです。
しかあれば、声聞の持戒とおもへる、もし菩薩戒に比望するがごときは、声聞戒みな破戒なり。自余の定慧もまたかくのごとし。たとひ不殺生等の相、おのづから声聞と菩薩にあひにたりとも、かならず別なるべきなり。天地懸隔の論におよぶべからざるなり。いはんや仏仏祖祖正伝の宗旨と諸声聞と、ひとしからんや。正命のみにあらず、清浄命あり。しかあればすなはち、仏祖に参学するのみ正命なるべし。論師等の見解、もちゐるべからず。未得正命なるがゆゑに、本分命にあらず。
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