この一文は、サッカーで例えると一気に腑に落ちます。




原文
| 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、
| 万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
① まず「迷」のサッカー的状態
自己をはこびて万法を修証する(=迷)
これは、サッカーで言えば
・自分が主役
・自分の判断が正しい
・自分が考えた通りにプレーしようとする
・フォーメーション・戦術・理論を頭で運びながらプレーする
典型例:
・ボールを持つたびに
「どう見せようか」
「失敗したらどう思われるか」
「ここは正解の選択か」
と考える
結果どうなるか。
・体が一瞬遅れる
・パスコースが消える
・味方が見えなくなる
・試合が「重く」なる
自分を運んでプレーしている
これが「迷」。
② 次に「悟」のサッカー的状態
万法すすみて自己を修証する(=さとり)
これは
・ボールが来る前に体が動く
・味方の動きに自然に反応する
・空いたスペースに足が出る
・判断している感じがない
よく言う、
・「試合に入っている」
・「ゾーンに入った」
状態です。
ここでは、
・自分が試合を動かしている感覚はない
・でもプレーは正確
・結果として自分の良さが最大限に出る
試合(万法)が進んで、自分がプレーさせられている
これが「さとり」。
③ 決定的な違いは「主語」
| 状態 | 主語 |
| -・| ---- |
| 迷 | 「俺が」「私が」 |
| 悟 | 試合・流れ・場 |
迷いのときは:
| 「俺が正しいプレーをする」
悟りのときは:
| 「気づいたら、そうなっていた」
④ 監督の戦術理解との関係(重要)
誤解しやすい点ですが、
・戦術理解
・基礎練習
・経験
は不要になるわけではない。
それらはすべて:
・試合中に使うもの
ではなく
・試合に使われるもの
頭で「使おう」とした瞬間、迷いに戻る。
⑤ なぜ前者が「迷」なのか(仏道的理由)
自己をはこぶとは:
・自分を中心に世界を配置すること
・自分の成功/失敗を軸に試合を見ること
すると、
・味方も
・相手も
・ボールも
すべて「材料」になる。
このとき、
世界は動かなくなる。
⑥ なぜ後者が「さとり」なのか
万法がすすむとは:
・ボールが動く
・味方が走る
・相手が仕掛ける
・空間が変わる
それらが先にあり、
| 自分はその流れの一点として働く
ここでは、
・自分を証明しようとしない
・でも結果として、自分が最も自分らしい
⑦ 一言で言うと(サッカー版)
| 迷い:自分が試合をやろうとする
| 悟り:試合が自分をやっている
⑧ 日常にもそのまま当てはまる
・会話
・仕事
・創作
・人助け
すべて同じです。
| 「うまくやろう」と思った瞬間、ずれる
| 「起きていることに応じた瞬間、合う」
最後に一行でまとめるなら
| 自己を運んでプレーすると試合が止まり、
| 試合に運ばれると、自己が最も生きる。
これが、
道元の一文をサッカーで言い切った姿です。