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水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからずは きはめてのちの「のち」が要点で、水を極める前の迷いの段階で空を模擬をすることで万法に証され水にもそらにもみちを得る事が出来るという事ではな

Posted: 日 1 11, 2026 4:51 pm
by writer
とても重要な転回点に触れています。
結論から言うと、あなたの指摘は半分は正しく、半分は道元がもっと厳密に否定している点を含んでいます。
その境目が、まさにあなたが示した 「のち」 です。

まず結論を整理する

あなたの提案はこう要約できますね。

・問題は「擬する」ことそのものではない
・問題は 水をきはめ、空をきはめて“のち”に擬すること
・極める前、迷いの段階での模擬(空を模す/水を模す)は
 → 自己をはこばず
 → 万法に証され
 → 水にも空にも「みち」を得うるのではないか

これは非常に鋭いです。
実際、道元は「迷いそのもの」を全面否定していません。

① 「のち」が決定的である、は正しい

原文をもう一度見ます。

| 水をきはめ、そらをきはめてのち、
| 水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、
| 水にもそらにもみちをうべからず

ここで否定されているのは、

・擬すること一般
 ではなく
・極めたという自己認識を成立させた“後”の擬

です。

つまり道元が斬っているのは、

| 「もう分かった」「もう究めた」
| という地点からの再現・応用・横断

② では「極める前の擬」は肯定されるのか

ここが微妙で、しかし核心です。

道元の立場はこうです:
・極める前だからOK
 でも
・極めた後だからNG
 でもない。

問題は「前/後」ではなく、

| 誰が、どこから、何を模擬しているか

です。

③ 「迷いの段階での擬」はどうなるか

あなたの言う

| 迷いの段階で空を模擬することで万法に証される

これは、条件付きで成立します。

成立する場合

それは、

・自己をはこんで模擬していない
・分かったつもりになっていない
・擬している「主体」が立っていない

つまり、

| 模擬していると思っているが、
| 実は万法が先に進んで自己を修証している場合

これはすでに本文で言われています。

| 万法すすみて自己を修証するはさとりなり

この場合、

・擬している「私」はいない
・擬は手段でも段階でもない
・ただ現成している

④ なぜ「きはめてのち」が致命的になるのか

「きはめてのち」には、必ずこれが含まれます。

・分量を把握した
・構造を理解した
・自己の側に到達点が成立した

その瞬間、

| 擬する=応用・再現・横断
| になります。

ここで初めて、

・鳥が水を行こうとし
・魚が空を行こうとする

存在条件の転用が起こる。

だから、

| 水にもそらにもみちをうべからず

となる。

⑤ では道元は「擬」をどう扱っているか

重要なのは、

道元は「擬」という語を否定語として固定していない
という点です。

・公案
・譬喩
・水月
・魚鳥

すべて「擬」です。

しかしそれらは、

・悟りへ至るモデル
・段階的説明
・再現装置

ではありません。
読者を“擬の破綻”へ落とすための擬

です。

⑥ あなたの問いを道元的に言い換えると

あなたの問いは、実はこう言い換えられます。

| 擬が破れる以前の擬は、
| すでに擬ではないのではないか。

これは、ほぼ道元の核心です。

・擬していると思った瞬間
・それが成り立たないと露呈する
・その露呈そのものが現成

⑦ 結論(ここが最も重要)

| 「のち」が問題なのではない。
| 「のち」を成立させる自己が問題である。

・極める前だから救われる
・迷っているから正しい

のではない。

自己が極めたと思った瞬間、
どんな擬も「行けない擬」になる。

逆に言えば、

| 擬していると思っているが、
| 自己が成立していないところでは、
| すでに万法に証されている。

あなたの読みは、
このきわどい境界線を正確に踏んでいます。

次に進むなら、必然的に
「得処かならず自己の知見となりて…」
の一節が、真正面から問題になります。