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Re: 撫州石鞏慧蔵禅師、問西堂智蔵禅師、汝還解捉得虚空麼(撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問ふ、汝還た虚空を捉得せんことを解する麼)。

Posted: 水 1 14, 2026 5:55 am
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この長大な一段は、『正法眼蔵・虚空』の核心中の核心です。
ここでは一切の「理解」「悟解」「巧拙」が剥ぎ取られ、
仏道とは何をしていることなのかが、肉体的・存在的に暴かれます。

以下、仏道的に深掘りするための決定的視点を、段階的に示します。

一、この問答は「技法」ではなく「存在の露呈」

登場人物は

・石鞏慧蔵
・西堂智蔵

ですが、ここで問題にされているのは
誰が優れているかではありません。

石鞏の問い:
| 「汝還解捉得虚空麼」

これは
「空の理解があるか」
「悟っているか」
という問いではない。
「いまのお前は、全身が手眼として働いているか」
という、生死を賭けた点検です。

二、西堂の最初の誤り──虚空を対象化した瞬間

西堂は答える:
| 解捉得

そして、手で虚空を撮む。

これは典型的な誤りです。

・虚空が「外にあるもの」になり
・自分が「掴む主体」になった

この瞬間、

| 虚空はもう虚空ではない

石鞏が即座に言う:
| 你不解捉虚空

これは叱責ではない。
事実確認です。

三、鼻孔を拽く──捉虚空の転倒

決定的な転換がここです。

| 石鞏把西堂鼻孔拽

これは暴力でも奇行でもありません。

仏道的意味

・虚空を捉える ❌
・虚空を捉えようとする「お前」を捉える ⭕

鼻孔とは:
・呼吸の入口
・生が出入りする場所
・無意識の中枢
そこを拽く=生そのものを引きずり出す

ここで初めて、

| 虚空が「出来事」として現成する

四、「虚空一塊触而染汚」──虚空は汚れる

道元がここで放つ一句は、極めて過激です。

| 虚空一塊、触而染汚

普通の仏教では:
・空=清浄
・不染

しかし道元は逆を言う。

仏道的転倒

・汚れるものが虚空なのではない
・汚れが起こるという事実そのものが虚空

だから、

・失敗
・痛み
・恥
・迷い
それらを排除しようとすることが、すでに虚空を外す

五、「換作如如、早是変了也」──真如すら捨てられる

西堂は「如如」に逃げかける。

だが道元は容赦しない。

| 如如に換作すも、早く是れ変じ了りぬ

つまり:
・不変
・真理
・絶対

と名づけた瞬間、
それはもう変質している。

しかし道元は続ける。

| 随変而如去也
変わり続けること自体が、如である

ここで、
不変/無常の二元論が完全に崩壊します。

六、「虎頭に騎る」──理解の危険性

| 只会騎虎頭、未会把虎尾

これは鋭い比喩です。

・虎頭に騎る=勢いのある理解
・虎尾を把る=逃げ場のない実地

つまり西堂は、

・言葉
・理解
・公案的応答

では巧みだが、
自分自身を引き受けきれていない

七、「従来は人にあふとおもへども…」

鼻孔を拽かれて、西堂は言う。

| たちまちに自己にあふことをえたり

これは悟りの告白ではない。

仏道的意味

・師に会った
・教えに会った

と思っていたが、
逃げていた自己に、突然出会ってしまった

しかし重要なのは次。

| 染汚自己即不得、修己すべし

自己を汚すことはできない。
だから「修己」せよ。
修行とは、自己を変えることではない自己を汚そうとする妄想をやめること

八、「共出一隻手の捉得なし」──完成すら否定される

道元は最後に、徹底的に閉じます。

・石鞏と石鞏
・虚空と虚空
共に一つの手で捉えることはない

なぜか。

| いまだみづからの費力をからず

力を使おうとする限り、
捉虚空は成立しない。

九、仏道的総結論

この一段が示す核心は、ただ一つ。

| 捉虚空とは、
| 何かを掴むことではない。
|
| 掴もうとする自己が、
| 逃げ場なく露呈してしまう出来事である。

だから、

・理解してはいけない
・失敗してもいけない

のではない。
理解しようとすることも、
失敗してしまうことも、
そのすべてが虚空の現成

修行者への一句(この段の要)

| 虚空は、
| うまく捉えたところに現れるのではない。
|
| どうにもならなくなったところで、
| すでに鳴り響いている。

それを、
坐りながら、
生きながら、
老いながら、
引き受けきれるか。

そこに、『正法眼蔵・虚空』の
真正の修行があります。

撫州石鞏慧蔵禅師、問西堂智蔵禅師、汝還解捉得虚空麼(撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問ふ、汝還た虚空を捉得せんことを解する麼)。

Posted: 水 1 14, 2026 5:53 am
by writer
撫州石鞏慧蔵禅師、問西堂智蔵禅師、汝還解捉得虚空麼(撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問ふ、汝還た虚空を捉得せんことを解する麼)。
西堂曰、解捉得(捉得せんことを解す)。
師曰、你作麼生捉(你作麼生か捉する)。
西堂以手撮虚空(西堂、手を以て虚空を撮す)。
師曰、你不解捉虚空(你虚空を捉せんことを解せず)。
西堂曰、師兄作麼生捉(師兄作麼生か捉する)。
師把西堂鼻孔拽(師、西堂が鼻孔を把りて拽く)。
西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去(西堂、忍痛の声を作して曰く、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直得脱去す)。
師曰、直得恁地捉始得(直に恁地に捉することを得て始得ならん)。
石鞏道の汝還解捉得虚空麼。
なんぢまた通身是手眼なりやと問著するなり。
西堂道の解捉得。
虚空一塊触而染汚なり。染汚よりこのかた、虚空落地しきたれり。
石鞏道の你作麼生捉。
換作如如、早是変了也(換んで如如と作すも、早く是れ変じ了りぬ)なり。しかもかくのごとくなりといへども、随変而如去也(変るに随ひて如にして去る也)なり。
西堂以手撮虚空。
只会騎虎頭、未会把虎尾(ただ虎頭に騎るを会して、未だ虎尾を把るを会せず)なり。
石鞏道、你不解捉虚空。
ただ不解捉のみにあらず、虚空也未夢見在なり。しかもかくのごとくなりといへども、年代深遠、不欲為伊挙似(伊が為に挙似せんと欲はず)なり。
西堂道、師兄作麼生。
和尚也道取一半、莫全靠某甲(和尚も也た一半を道取すべし、全く某甲に靠ること莫かれ)なり。
石鞏把西堂鼻孔拽。
しばらく参学すべし、西堂の鼻孔に石鞏蔵身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかもかくのごとくなりといへども、虚空一団、磕著築著なり。
西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。
従来は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、染汚自己即不得(自己を染汚することは即ち得ず)なり、修己すべし。
石鞏道、直得恁地捉始得。
恁地捉始得はなきにあらず、ただし石鞏と石鞏と、共出一隻手の捉得なし。虚空と虚空と、共出一隻手の捉得あらざるがゆゑに、いまだみづからの費力をからず。
おほよそ尽界には、容虚空の間隙なしといへども、この一段の因縁、ひさしく虚空の霹靂をなせり。石鞏、西堂よりのち、五家の宗匠と称ずる参学おほしといへども、虚空を見聞測度せるまれなり。石鞏、西堂より前後に、弄虚空を擬するともがら面面なれども、著手せるすくなし。石鞏は虚空をとれり、西堂は虚空を覰見せず。大仏まさに石鞏に為道すべし、いはゆるそのかみ西堂の鼻孔をとる、捉虚空なるべくは、みづから石鞏の鼻孔をとるべし。指頭をもて指頭をとることを会取すべし。しかあれども、石鞏いささか捉虚空の威儀をしれり。たとひ捉虚空の好手なりとも、虚空の内外を参学すべし。虚空の殺活を参学すべし。虚空の軽重をしるべし。仏仏祖祖の功夫弁道、発心修証、道取問取、すなはち捉虚空なると保任すべし。