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Re: ふるき人のいはく、尽大地これ自己の法身にてあれども、法身にさへられざるべし。

Posted: 金 1 16, 2026 11:17 am
by writer
ではこの一段を、「法身=すべて」でありながら、なぜそこに“留まってはならないのか」という一点から、仏道的に深掘りします。

仏道的に深掘りする視点

――「尽大地これ自己の法身」すら、最後の拠り所にしてはならない

① 「尽大地これ自己の法身」──究極の全肯定

まず前提。

| 尽大地これ自己の法身

これは仏教的には極限まで到達した言葉です。

・山河大地
・身心
・生死
・仏も衆生も

すべてが「自己の法身」である。
ここには 否定されるものが一切ない。

普通の修行者なら、ここでこう思うでしょう。

| 「もう到達した」
| 「これ以上はない」

② しかし道元は、すぐに刃を入れる

| 法身にさへられざるべし

これが衝撃です。

・法身に触れてはならない
・法身に安住してはならない
・法身に包まれて満足してはならない

なぜか。


法身を“居場所”にした瞬間、それは牢獄になるからです。

③ 「もし法身にさへられぬるには…」

| いささか身を転ぜんとするにもかなはず

ここが決定的。

法身に「触れてしまった」状態とは、

・すべては一つ
・すべては仏
・すべては完全

という完成像に居座ること。

するとどうなるか。

・動く必要がなくなる
・変わる必要がなくなる
・応じる必要がなくなる


身が転じない
= 生きた仏法が止まる。

④ ここで出てくる「出身の道」

| 出身の道あるべし

「出身」とは、

・生まれることではない
・死ぬことでもない


法身から“出る”ことです。

これは逆説的ですが、

| 法身の中に留まらず、
| 法身を背負って出ていくこと

を意味します。

⑤ 「出身を語れない者はどうなるか」

| 法身のいのちも、たちまちにたえて、
| ながく苦海にしづみぬべし

一見すると矛盾しています。

・法身は永遠のはず
・なぜ命が絶えるのか

ここで言う「いのち」とは、


生きて働く仏法のこと。

法身を観念として抱え込み、

・「すべては法身だ」と言いながら
・現実に応答できない

その状態こそが、
もっとも深い苦海だと道元は言うのです。

⑥ 「法身をもいけ、苦海にもしづまざる」

最後の問いが核心です。

| いかにといはんか、
| 法身をもいけ、
| 苦海にもしづまざるべきと

これは問いであり、同時に答えです。

・法身を捨てるのではない
・苦海を避けるのでもない


どちらにも止まらない

⑦ 仏道的結論:法身は“地面”ではなく“運動”

この一段の結論を凝縮すると、こうなります。

| 法身とは、
| 立つ場所ではなく、
| 出ていく力である。

・法身に安住すれば死ぬ
・苦海を嫌えば逃避になる

だから仏道は、

| 法身を背負って、
| なお転ずること

を「出身の道」と呼ぶ。

最終まとめ(一句)

| 尽大地これ自己の法身なれども、
| そこに坐れば、すでに仏法は死ぬ。
|
| 法身を離れず、
| 法身に触れず、
| ただ転じつづける。
|
| それを仏祖は
| 「出身の道」と呼ぶ。

ここに、
悟りに安住しない禅
完成を拒む仏道
が、はっきり示されています。

ふるき人のいはく、尽大地これ自己の法身にてあれども、法身にさへられざるべし。

Posted: 金 1 16, 2026 11:15 am
by writer
ふるき人のいはく、尽大地これ自己の法身にてあれども、法身にさへられざるべし。もし法身にさへられぬるには、いささか身を転ぜんとするにもかなはず。出身の道あるべし、いかなるか是れ諸人の出身の道と。もしこの出身のみちをいはざらんものは、法身のいのちも、たちまちにたえて、ながく苦海にしづみぬべし。かくのごとくとはんに、いかにといはんか、法身をもいけ、苦海にもしづまざるべきと。