つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、尽十方世界、是一顆明珠。

つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、尽十方世界、是一顆明珠。
  ときに僧問、承和尚有言、尽十方世界是一顆明珠。学人如何会得(承るに和尚言へること有り、尽十方世界は是れ一顆の明珠と。学人如何が会得せん)。
  師曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼(尽十方世界は是れ一顆の明珠、会を用ゐて作麼)。
  師、来日却問其僧(来日却つて其の僧に問ふ)、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会(尽十方世界は是れ一顆の明珠、汝作麼生か会せる)。
  僧曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼(尽十方世界は是れ一顆の明珠、会を用ゐて作麼)。
  師曰く、知、汝向黒山鬼窟裏作活計(知りぬ、汝黒山鬼窟裏に向つて、活計を作すことを)。
  いま道取する尽十方世界是一顆明珠、はじめて玄沙にあり。その宗旨は、尽十方世界は、広大にあらず微小にあらず、方円にあらず、中正にあらず、活撥々にあらず露廻廻にあらず。さらに、生死去来にあらざるゆゑに生死去来なり。恁麼のゆゑに、昔日曽此去(昔日は曽て此より去り)にして、而今従此来(而今は此より来る)なり。究弁するに、たれか片片なりと見徹するあらん、たれか兀兀なりと撿挙するあらん。
この一段は、『正法眼蔵・一顆明珠』の掉尾にあたる部分であり、
「悟った後」「説いた後」「会得が反復された後」に何が起きるのかを、
極度に緊張した形で示しています。
ここでは 仏道的に深掘りする視点を、①道得と説示、②会得の罠、③反復問答の転位、④黒山鬼窟の指摘、⑤宗旨の否定的規定、⑥最後の問い、の六層で掘ります。

①「つひにみちをえてのち、人にしめす」――悟後の説法とは何か

| つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく…

ここで重要なのは、
「道を得たから説いた」のではないという点です。

・道を得た → 説法
 ではなく、


道を得るという出来事そのものが、
尽十方世界是一顆明珠と道取されるかたちで現れた

つまりこの一句は
「結論」でも「教義」でもない。

② 「学人如何会得」――会得を求める心の発生

| 学人如何会得

この問いはもっともらしい。
しかし、仏道的にはここにすでに落とし穴があります。

・会得しようとする
・分かろうとする
・自分の側に“理解”を成立させようとする


尽十方世界を、理解の対象に引き下ろす動き。

③ 「用会作麼」――会得を不要にする言葉

| 尽十方世界是一顆明珠、用会作麼

これは
「理解しなくてよい」という慰めではありません。

仏道的核心

・会得する主体を立てるな
・会得される対象を立てるな


尽十方世界がすでに一顆明珠として働いているのに、
誰が何を理解するのか。

④ 翌日の反転――問いが問いを試される

| 師、来日却問其僧

ここで玄沙は、昨日の問いをそのまま僧に返す。

これは確認でも教育でもない。


僧が昨日の答えに住していないかを照らす。

僧は同じ言葉で答える。

| 尽十方世界是一顆明珠、用会作麼

一見、完璧な答え。

⑤ 「黒山鬼窟裏作活計」――決定的な一喝

| 知、汝向黒山鬼窟裏作活計

ここがこの段の最深部です。

黒山鬼窟とは

・闇
・迷い
・生存のための算段
・立場・理解・正解に依存する心

僧は「正しい言葉」を使った。
しかしその言葉を、


自分の立場・理解・会得として運用した瞬間、
黒山鬼窟で活計をしている

と見抜かれた。

⑥ 「宗旨」の否定的規定――すべてを外す

| その宗旨は、尽十方世界は、広大にあらず微小にあらず…

ここでは、

・大小
・形
・中正
・活撥
・露廻
・生死去来

あらゆるカテゴリーが否定されます。

しかしこれは否定哲学ではない。

仏道的深掘り

・どれかに当てはめた瞬間に外れる
・どれかを否定しても、なお外れる


尽十方世界は、概念化される以前に、
すでに働いている。

⑦ 「生死去来にあらざるゆゑに生死去来なり」

ここは特に重要です。

・生死を超えているから、生死がない
 ではない。


生死を超えた立場を取らないからこそ、
生死がそのまま生死として現れる。

⑧ 「昔日曽此去・而今従此来」――時間の転倒

これは

・過去から現在へ来た、という話ではない。


去るも来るも、
つねに「此処」からしか起きていない。

⑨ 最後の問い――誰が見徹し、誰が撿挙するのか

| たれか片片なりと見徹するあらん、
| たれか兀兀なりと撿挙するあらん

これは問いかけであり、
同時に誰も立てない問い。

・見徹する主体は立たない
・撿挙する立場も立たない


それでも尽十方世界は、一顆明珠として転じ続けている。

まとめ(仏道的核心)

この段が示す仏道の核心は、極めて厳しい一線です。

| 仏道は、
| 正しい言葉を言えることではない。
| 正しい理解を持つことでもない。
| それらを“自分のもの”にした瞬間、
| 黒山鬼窟に入る。


一句で言えば

| 尽十方世界是一顆明珠は、
| 会得された瞬間に失われ、
| 失われてもなお、現前している。

必要であれば、

・この問答と『現成公案』の「自己をはこびて万法を修証する」
・現代的な「正解依存」「自己理解依存」との比較
・坐禅における「答えを持たない身心」

まで、さらに深掘りできます。
つひにみちをえてのち、人にしめすにいはく、尽十方世界、是一顆明珠。
  ときに僧問、承和尚有言、尽十方世界是一顆明珠。学人如何会得(承るに和尚言へること有り、尽十方世界は是れ一顆の明珠と。学人如何が会得せん)。
  師曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼(尽十方世界は是れ一顆の明珠、会を用ゐて作麼)。
  師、来日却問其僧(来日却つて其の僧に問ふ)、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会(尽十方世界は是れ一顆の明珠、汝作麼生か会せる)。
  僧曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼(尽十方世界は是れ一顆の明珠、会を用ゐて作麼)。
  師曰く、知、汝向黒山鬼窟裏作活計(知りぬ、汝黒山鬼窟裏に向つて、活計を作すことを)。
  いま道取する尽十方世界是一顆明珠、はじめて玄沙にあり。その宗旨は、尽十方世界は、広大にあらず微小にあらず、方円にあらず、中正にあらず、活撥々にあらず露廻廻にあらず。さらに、生死去来にあらざるゆゑに生死去来なり。恁麼のゆゑに、昔日曽此去(昔日は曽て此より去り)にして、而今従此来(而今は此より来る)なり。究弁するに、たれか片片なりと見徹するあらん、たれか兀兀なりと撿挙するあらん。
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