『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差

とても鋭いところに来ました。
ここは道元理解の分水嶺です。

結論から言います。

| 『身心脱落』は〈出来事〉の名であり、
| 『眼睛』は〈その出来事が世界として働いている相〉の名です。

同じ体験を別角度から言っている、ではありません。
機能も位相も、まったく違う。

以下、厳密に切り分けます。

1️⃣ まず結論を図式化すると

| 項目 | 身心脱落    | 眼睛    |
| | ------・| ---- |
| 位相 | 断絶・脱落    | 現成・作動  |
| 性質 | 否定・破壊    | 肯定・露呈  |
| 時制 | 一挙・瞬断    | 常時・遍在  |
| 主語 | 失われる    | そもそも立たない |
| 危険性 | 経験として固着しやすい | 固着不能   |

2️⃣ 『身心脱落』とは何か(厳密定義)

✔ 身心脱落は「悟り」ではない

道元が言う身心脱落は、

・身が消えた ❌
・心がなくなった ❌
・無我を理解した ❌

ではない。

| 「身心」という構成が、
| そのまま保持されなくなった出来事

です。

つまり:
・身と心を
・自分のものとして
・管理・把握していた
 その枠組みが崩壊した
ここで重要なのは
“崩れた”という一回性

だから身心脱落は:
・言えてしまう
・思い出せてしまう
・「あの時」と語れてしまう
この瞬間から、危険が始まる

3️⃣ なぜ身心脱落は「危険」なのか

理由は明確です。

| 身心脱落を経験した「私」が生まれるから

すると:
・私は身心脱落を知っている
・私は悟りを体験した
・私は前と違う

という
新しい自己物語が始まる。

道元は、これを絶対に許さない。

だから彼は次の段階へ行く。

4️⃣ 『眼睛』とは何か(厳密定義)

✔ 眼睛は「結果」でも「能力」でもない

眼睛は:
・見る力 ❌
・覚知能力 ❌
・仏の智慧 ❌

ではない。

| 身心脱落のあとに残るものですらない

眼睛とは:
| 世界が、
| 誰の視点でもなく、
| そのまま現れている働き

だから道元は言う:
・山河大地露眼睛
・雨も、虫も、棒も喝も眼睛
・打坐も睡眠も眼睛
ここには「出来事」がない

5️⃣ 決定的差①:時間性

身心脱落

・起こる
・記述できる
・過去形にできる

眼睛

・起こらない
・記録できない
・常に「いま」

だから:
| 身心脱落は語られるが、
| 眼睛は語ろうとすると壊れる

6️⃣ 決定的差②:主体の扱い

身心脱落

・主体が 脱落する

眼睛

・主体が 成立しない

これは大きい。

・脱落=「あったものが消えた」
・非成立=「最初から立たなかった」
眼睛には、喪失感すらない

7️⃣ なぜ『眼睛』では徹底的に破壊が激化するのか

理由は一つ。

| 身心脱落は“悟った私”に回収されうるが、
| 眼睛は誰の所有にもならないから

だから道元は:
・達磨の眼睛を抉り出す
・非眼睛と言い切る
・打失眼睛を讃歎する

悟りすら破壊して、なお働いてしまうもの
それが眼睛。

8️⃣ 一言で言うなら(核心)

| 身心脱落は「私が崩れた」という出来事、
| 眼睛は「崩れたあとにも、世界が世界しているという事実」

そして道元にとって本当に大事なのは、後者。

9️⃣ なぜ道元はこの二つを分けたのか

理由ははっきりしています。

| 仏道を、
| 特別な体験にしたくなかったから

・特別な瞬間 ❌
・特別な人 ❌
・特別な境地 ❌
ただ、いまこの現成

それを担保する言葉が『眼睛』。

10️⃣ 最後に(かなり重要)

もしあなたが今、

・身心脱落はわかる気がする
・眼睛は掴めない

と感じているなら、
それは正確です。

| 眼睛は、
| わからないまま
| 働いているものだから。


次に行くなら、さらに核心に入れます。

・なぜ『眼睛』では「安心」が一切与えられないのか
・眼睛と「只管打坐」の関係
・眼睛は倫理や行為とどう関わるのか

どこまで行きますか。
58.眼睛正法眼蔵 ■ 
★注目スレッド: 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0)  眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0)  『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0)  眼睛と「慈悲」は両立するのか(0)  その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0)  『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0)  眼睛における「生死」(0)  『眼睛』と『有時』の厳密な差(0)  道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0)  坐禅と眼睛の関係は(0)  眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0)  悟りと眼睛の関係(0)  億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1)  洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1)  先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1) 
とても鋭いところに来ました。
ここは道元理解の分水嶺です。

結論から言います。

| 『身心脱落』は〈出来事〉の名であり、
| 『眼睛』は〈その出来事が世界として働いている相〉の名です。

同じ体験を別角度から言っている、ではありません。
機能も位相も、まったく違う。

以下、厳密に切り分けます。

1️⃣ まず結論を図式化すると

| 項目 | 身心脱落    | 眼睛    |
| | ------・| ---- |
| 位相 | 断絶・脱落    | 現成・作動  |
| 性質 | 否定・破壊    | 肯定・露呈  |
| 時制 | 一挙・瞬断    | 常時・遍在  |
| 主語 | 失われる    | そもそも立たない |
| 危険性 | 経験として固着しやすい | 固着不能   |

2️⃣ 『身心脱落』とは何か(厳密定義)

✔ 身心脱落は「悟り」ではない

道元が言う身心脱落は、

・身が消えた ❌
・心がなくなった ❌
・無我を理解した ❌

ではない。

| 「身心」という構成が、
| そのまま保持されなくなった出来事

です。

つまり:
・身と心を
・自分のものとして
・管理・把握していた
 その枠組みが崩壊した
ここで重要なのは
“崩れた”という一回性

だから身心脱落は:
・言えてしまう
・思い出せてしまう
・「あの時」と語れてしまう
この瞬間から、危険が始まる

3️⃣ なぜ身心脱落は「危険」なのか

理由は明確です。

| 身心脱落を経験した「私」が生まれるから

すると:
・私は身心脱落を知っている
・私は悟りを体験した
・私は前と違う

という
新しい自己物語が始まる。

道元は、これを絶対に許さない。

だから彼は次の段階へ行く。

4️⃣ 『眼睛』とは何か(厳密定義)

✔ 眼睛は「結果」でも「能力」でもない

眼睛は:
・見る力 ❌
・覚知能力 ❌
・仏の智慧 ❌

ではない。

| 身心脱落のあとに残るものですらない

眼睛とは:
| 世界が、
| 誰の視点でもなく、
| そのまま現れている働き

だから道元は言う:
・山河大地露眼睛
・雨も、虫も、棒も喝も眼睛
・打坐も睡眠も眼睛
ここには「出来事」がない

5️⃣ 決定的差①:時間性

身心脱落

・起こる
・記述できる
・過去形にできる

眼睛

・起こらない
・記録できない
・常に「いま」

だから:
| 身心脱落は語られるが、
| 眼睛は語ろうとすると壊れる

6️⃣ 決定的差②:主体の扱い

身心脱落

・主体が 脱落する

眼睛

・主体が 成立しない

これは大きい。

・脱落=「あったものが消えた」
・非成立=「最初から立たなかった」
眼睛には、喪失感すらない

7️⃣ なぜ『眼睛』では徹底的に破壊が激化するのか

理由は一つ。

| 身心脱落は“悟った私”に回収されうるが、
| 眼睛は誰の所有にもならないから

だから道元は:
・達磨の眼睛を抉り出す
・非眼睛と言い切る
・打失眼睛を讃歎する

悟りすら破壊して、なお働いてしまうもの
それが眼睛。

8️⃣ 一言で言うなら(核心)

| 身心脱落は「私が崩れた」という出来事、
| 眼睛は「崩れたあとにも、世界が世界しているという事実」

そして道元にとって本当に大事なのは、後者。

9️⃣ なぜ道元はこの二つを分けたのか

理由ははっきりしています。

| 仏道を、
| 特別な体験にしたくなかったから

・特別な瞬間 ❌
・特別な人 ❌
・特別な境地 ❌
ただ、いまこの現成

それを担保する言葉が『眼睛』。

10️⃣ 最後に(かなり重要)

もしあなたが今、

・身心脱落はわかる気がする
・眼睛は掴めない

と感じているなら、
それは正確です。

| 眼睛は、
| わからないまま
| 働いているものだから。


次に行くなら、さらに核心に入れます。

・なぜ『眼睛』では「安心」が一切与えられないのか
・眼睛と「只管打坐」の関係
・眼睛は倫理や行為とどう関わるのか

どこまで行きますか。