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Re: 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。

Posted: 水 1 28, 2026 10:11 am
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では、この冒頭段落だけに焦点を極限まで絞って、
すでにあなたが辿ってきた文脈(悟り/虚空/有時/坐禅)をすべて踏まえた上で、
仏道的に深掘りする視点を提示します。

Ⅰ この一段で道元がやっていること(総論)

まずはっきり言います。

| この段落は「眼睛とは何か」を説明していない。
| 「眼睛以外の読み方を、すべて破壊している」。

説明文ではありません。
定義文でもありません。
読む側の立ち位置を潰す装置です。

Ⅱ 「億千万劫の参学を拈来して団欒せしむる」
通常の読み(誤読)

・長い修行の結果
・多くの学びが統合され
・最後に眼睛が現れる

これは完全に誤りです。

道元の操作

・億千万劫:時間の長短ではない
・参学:修行内容ではない
・拈来:集めることではない
・団欒:統合でも完成でもない
ここで道元は、

| 「修行の総量」や「歴史」や「成果」
| という発想そのものを一箇所に集めて、
| その意味を失効させている


時間的努力 → 価値 → 成果
という仏道理解を、冒頭一行で終わらせています。

Ⅲ 「八万四千の眼睛」の厳密な意味

これは「たくさんある」という意味ではありません。

| 八万四千=分別されたすべてのあり方

・修行も
・迷いも
・正解も
・間違いも
それらが一つに統合されるのではなく、

| 最初から「眼睛としてしか現れていなかった」
| という事実を突きつける語


眼睛は結果ではなく、
結果だと思っていたものの足場を奪う語。

Ⅳ 天童古仏の上堂が使われる理由

ここで登場するのが
天童如浄。

重要なのは、
彼の言葉の「内容」ではありません。

天童の上堂は何をしているか

| 秋風清、秋月明
| 大地山河露眼睛

これは説明でも比喩でもない。
評価語(清・明)を出した瞬間に、
それがすでに眼睛だと言い切っている。

・秋風が清いから眼睛 ❌
・秋月が明るいから眼睛 ❌

| 清と言った瞬間、
| 明と言った瞬間、
| すでに判断が成立する前で起きている

Ⅴ 「瑞巌点瞎重相見」の破壊力
点瞎とは何か

・無知になること ❌
・目を潰す比喩 ❌

| 「見る立場そのものを潰す」こと

・見た
・わかった
・体験した

という主体の足場を壊す行為。

なぜ「重ねて相見」なのか

・点瞎のあとに
・もう一度「相見」がある

これは回復ではない。

| 見る者がいないまま、
| 出会いだけが起きる


眼睛とは、
見る主体が壊れたあとに残る「出会いの事実」

Ⅵ 棒喝・験衲僧の位置づけ

| 棒喝交馳験衲僧

ここで道元は、
倫理・悟り・人格評価を一切許さない。

・よい僧か
・悟った僧か
・正しい理解か

❌ すべて無効。

| 古仏であるかどうかを験す

これは資格審査ではない。


眼睛から逃げていないかを験している

Ⅶ 決定的な一句

「大悟をえらばず、不悟をえらばず」

ここが最大の刃です。

・悟りを目指す ❌
・悟りを否定する ❌

どちらも同じ逃げ。

| 悟り/不悟という区別が立つ場所そのものが、
| すでに眼睛ではない


眼睛は、悟り論争が始まる前に起きている。

Ⅷ 「渾身大・渾眼小」という誤解の破壊

人はこう思う:
・体は大きい
・見る点は小さい

道元は断言する:
| これ未具眼睛のゆゑなり

つまり、

| 世界が大きく、自分の視点が小さい
| と思っている時点で、
| すでに主体が立っている

眼睛では、

・渾身も
・渾眼も
・大小も

成立しない。

Ⅸ 一言で言うなら(この段落の核心)

| この冒頭段落は、
| 「眼睛とは何か」を語るための文章ではなく、
| 読者が“眼睛ではない場所”に立つことを
| 徹底的に不可能にする文章である。

最後に(とても大事)

もしこの段落を読んで、

・何も掴めない
・解釈が立たない
・正しい読み方が分からない

と感じているなら、
それが正確な読後感です。

| 眼睛は、
| 理解されるために書かれていない。
| 理解しようとする場所を、
| 読むたびに壊すために書かれている。

ここで止めます。
この先は、もう「解説」ではありません。

億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。

Posted: 水 1 28, 2026 10:09 am
by writer
億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。瑞巌点瞎重相見。棒喝交馳験衲僧(先師天童古仏、瑞巌に住せし時、上堂の示衆に云く、秋風清く、秋月明らかなり。大地山河露眼睛なり。瑞巌点瞎して重ねて相見す。棒喝交馳して衲僧を験す)。 いま衲僧を験すといふは、古仏なりやと験するなり。その要機は、棒喝の交馳せしむるなり、これを点瞎とす。恁麼の見成活計は眼睛なり。山河大地、これ眼睛裏の朕兆不打なり。秋風清なり、一老なり。秋月明なり、一不老なり。秋風清なる、四大海も比すべきにあらず。秋月明なる、千日月よりもあきらかなり。清明は眼睛なる山河大地なり。衲僧は仏祖なり。大悟をえらばず、不悟をえらばず、朕兆前後をえらばず、眼睛なるは仏祖なり。験は眼睛露なり。瞎現成なり、活眼睛なり。相見は相逢なり。相逢相見は眼頭尖なり、眼睛霹靂なり。おほよそ渾身はおほきに、渾眼はちひさかるべしとおもふことなかれ。往往に老老大大なりとおもふも、渾身大なり、渾眼小なりと解会せり。これ未具眼睛のゆゑなり。