洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。
雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。
師曰、某甲無(某甲無し)。
雲巌曰、有汝向什麼処著(有らば汝什麼処に向つてか著せん)。
師無語。
雲巌曰、乞眼睛底、是眼睛否(乞眼睛底、是れ眼睛なりや否や)。
師曰、非眼睛。
雲巌咄之(雲巌之を咄す)。
しかあればすなはち、全彰の参学は乞眼睛なり。雲堂に弁道し、法堂に上参し、寢堂に入室する、乞眼睛なり。おほよそ随衆参去、随衆参来、おのれづからの乞眼睛なり。眼睛は自己にあらず、他己にあらざる道理あきらかなり。
いはく、洞山すでに就師乞眼睛の請益あり。はかりしりぬ、自己ならんは、人に乞請せらるべからず。他己ならんは、人に乞請すべからず。
汝底与誰去也と指示す。汝底の時節あり、与誰の処分あり。
某甲無。
これ眼睛の自道取なり。かくのごとくの道現成、しづかに究理参学すべし。
雲巌いはく、有向什麼処著。
この道眼睛は、某甲無の無は有向什麼処著なり。向什麼処著は有なり。その恁麼道なりと参究すべし。
洞山無語。
これ茫然にあらず。業識独豎の標的なり。
雲巌為示するにいはく、乞眼睛底、是眼睛否。
これ点瞎眼睛の節目なり、活碎眼睛なり。いはゆる雲巌道の宗旨は、眼睛乞眼睛なり。水引水なり、山連山なり。異類中行なり、同類中生なり。
洞山いはく、非眼睛。
これ眼睛の自挙唱なり。非眼睛の身心慮知、形段あらんところをば、自挙の活眼睛なりと相見すべきなり。参世諸仏は、眼睛の転大法輪、説大法輪を立地聽しきたれり。畢竟じて参究する堂奥には、眼睛裏に跳入して、発心修行、証大菩提するなり。この眼睛、もとよりこのかた、自己にあらず、他己にあらず。もろもろの罣礙なきがゆゑに、かくのごとくの大事も罣礙あらざるなり。このゆゑに、
古先いはく、奇哉十方仏、元是眼中花(奇なる哉十方仏、元より是れ眼中花なり)。
いはゆる十方仏は眼睛なり。眼中花は十方仏なり。いまの進歩退歩する、打坐打睡する、しかしながら眼睛づからのちからを承嗣して恁麼なり。眼睛裡の把定放行なり。
洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。
■58.眼睛:正法眼蔵 ■
★注目スレッド: 参学の総論を語りましょう。(0) 坐禅 全般を語りましょう。(0) 正法眼蔵 全般を語りましょう。(3) 「空華=幻ではない」という逆転の論理を詳しく分析(1) 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
★注目スレッド: 参学の総論を語りましょう。(0) 坐禅 全般を語りましょう。(0) 正法眼蔵 全般を語りましょう。(3) 「空華=幻ではない」という逆転の論理を詳しく分析(1) 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
では、この洞山―雲巌問答を、
これまであなたが積み上げてきた
眼睛/悟り/坐禅/行為/生死の文脈をすべて踏まえたうえで、
仏道的に深掘りする視点を一点に収束させます。
Ⅰ まず結論(この問答の核心)
| この問答は「眼睛を得る話」ではない。
| 「眼睛を得ようとする構えが、どこで完全に崩壊するか」を示す場面である。
洞山は失敗していない。
雲巌も教えていない。
二人とも、眼睛を“成立させない”仕事をしている。
Ⅱ この問答で起きていること(構造)
登場人物は
洞山悟本 と
雲巌。
だが、重要なのは人物ではなく、
眼睛をめぐる構えが一手ずつ潰されていく順序です。
Ⅲ 第一手:「乞眼睛」という根本的誤差
| 就和尚乞眼睛
これは謙虚な求道ではありません。
仏道的に見ると、ここにはすでに
三つの前提が含まれている。
1. 眼睛は「あるもの」
2. それは「持っている人」がいる
3. それは「移動可能」
この瞬間、
眼睛は“所有可能な悟り”に変質している。
雲巌は、ここを即座に撃つ。
Ⅳ 第二手:「汝底与阿誰去也」
これは
「お前の眼睛を誰にやるんだ?」
ではありません。
| 「お前の“それ”は、
| そもそも“誰かに渡る性質のものか?」
つまり、
・自己なら → 乞うこと自体が矛盾
・他己なら → 乞う主体が成立しない
この一問で、
「眼睛=自己/他己」という二分法が破壊される。
Ⅴ 第三手:「某甲無」──正解だが、まだ足りない
洞山の「無」は、
否定でも謙遜でもありません。
| 「渡す主体が立たない」
これはかなり正確。
しかし雲巌は、そこで止めさせない。
Ⅵ 第四手:「有汝向什麼処著」
これは有無論争ではない。
| 「“無”と言ったその無は、
| どこに“据えられて”いるのか?」
つまり、
・無を
・立場として
・握っていないか
洞山、無語。
ここは敗北ではない。
| 思考が止まったのではなく、
| 立脚点が消えた沈黙。
Ⅶ 「無語」は茫然ではない
道元が明言する:
| これ茫然にあらず
| 業識独豎の標的なり
つまり、
・何も分からなくなった
・混乱した
| 業(習慣的自己)が、
| もはや寄りかかれない地点に、
| 独りで立たされている状態
これは坐禅と同型。
Ⅷ 第五手:「乞眼睛底、是眼睛否」
ここが点瞎眼睛の節目。
雲巌は問いを変えたのではない。
問いの床を抜いた。
| 「眼睛を乞う“そのはたらき”は、眼睛か?」
これは、
・Yes でも
・No でも
答えた瞬間に崩れる問い。
Ⅸ 洞山の「非眼睛」が決定的な理由
| 非眼睛
これは否定ではありません。
| 「眼睛だと思えるものは、
| すべて眼睛ではない」
つまり、
・概念
・体験
・無
・沈黙
・正解
どこにも住めないこと自体が、
眼睛の働きとして現れている。
Ⅹ 雲巌が「咄す」理由
雲巌は褒めない。
肯定しない。
沈黙もしない。
| 肯定も否定も、
| どちらも“住処”になるから。
咄は、
| そこに留まるな
という、最後の遮断。
Ⅺ 道元の総括が示す決定点
| 眼睛乞眼睛なり
| 水引水なり
| 山連山なり
これは循環ではない。
| 眼睛は、
| 自分自身を求める構えとしてしか、
| 現れない。
だがその瞬間、
・求める主体が崩れ
・与える対象が消え
・成果が成立しない
何も得られないまま、
行為だけが残る。
Ⅻ 「十方仏は眼中花」
ここで道元は、最後に逃げ道を潰す。
・仏ですら
・理想ですら
・目標ですら
| すべて、眼睛の内部で咲いては消える
だから、
| 打坐も
| 進歩も
| 退歩も
すべてが同じ重さで現成する。
ⅩⅢ 一言で言うなら(この問答の核心)
| この洞山―雲巌問答は、
| 眼睛を「理解する話」ではなく、
| 眼睛に“住めなくなる過程”を、
| 一手ずつ正確に刻んだ記録である。
最後に(重要)
もしこの問答を読んで、
・何も掴めない
・正解が見えない
・自分の立場が崩れる
と感じているなら、
それは完全に正確です。
| 眼睛とは、
| 正しい答えが現れる場所ではなく、
| 答えに住めなくなる働きだから。
これ以上、付け加えることはありません。
これまであなたが積み上げてきた
眼睛/悟り/坐禅/行為/生死の文脈をすべて踏まえたうえで、
仏道的に深掘りする視点を一点に収束させます。
Ⅰ まず結論(この問答の核心)
| この問答は「眼睛を得る話」ではない。
| 「眼睛を得ようとする構えが、どこで完全に崩壊するか」を示す場面である。
洞山は失敗していない。
雲巌も教えていない。
二人とも、眼睛を“成立させない”仕事をしている。
Ⅱ この問答で起きていること(構造)
登場人物は
洞山悟本 と
雲巌。
だが、重要なのは人物ではなく、
眼睛をめぐる構えが一手ずつ潰されていく順序です。
Ⅲ 第一手:「乞眼睛」という根本的誤差
| 就和尚乞眼睛
これは謙虚な求道ではありません。
仏道的に見ると、ここにはすでに
三つの前提が含まれている。
1. 眼睛は「あるもの」
2. それは「持っている人」がいる
3. それは「移動可能」
この瞬間、
眼睛は“所有可能な悟り”に変質している。
雲巌は、ここを即座に撃つ。
Ⅳ 第二手:「汝底与阿誰去也」
これは
「お前の眼睛を誰にやるんだ?」
ではありません。
| 「お前の“それ”は、
| そもそも“誰かに渡る性質のものか?」
つまり、
・自己なら → 乞うこと自体が矛盾
・他己なら → 乞う主体が成立しない
この一問で、
「眼睛=自己/他己」という二分法が破壊される。
Ⅴ 第三手:「某甲無」──正解だが、まだ足りない
洞山の「無」は、
否定でも謙遜でもありません。
| 「渡す主体が立たない」
これはかなり正確。
しかし雲巌は、そこで止めさせない。
Ⅵ 第四手:「有汝向什麼処著」
これは有無論争ではない。
| 「“無”と言ったその無は、
| どこに“据えられて”いるのか?」
つまり、
・無を
・立場として
・握っていないか
洞山、無語。
ここは敗北ではない。
| 思考が止まったのではなく、
| 立脚点が消えた沈黙。
Ⅶ 「無語」は茫然ではない
道元が明言する:
| これ茫然にあらず
| 業識独豎の標的なり
つまり、
・何も分からなくなった
・混乱した
| 業(習慣的自己)が、
| もはや寄りかかれない地点に、
| 独りで立たされている状態
これは坐禅と同型。
Ⅷ 第五手:「乞眼睛底、是眼睛否」
ここが点瞎眼睛の節目。
雲巌は問いを変えたのではない。
問いの床を抜いた。
| 「眼睛を乞う“そのはたらき”は、眼睛か?」
これは、
・Yes でも
・No でも
答えた瞬間に崩れる問い。
Ⅸ 洞山の「非眼睛」が決定的な理由
| 非眼睛
これは否定ではありません。
| 「眼睛だと思えるものは、
| すべて眼睛ではない」
つまり、
・概念
・体験
・無
・沈黙
・正解
どこにも住めないこと自体が、
眼睛の働きとして現れている。
Ⅹ 雲巌が「咄す」理由
雲巌は褒めない。
肯定しない。
沈黙もしない。
| 肯定も否定も、
| どちらも“住処”になるから。
咄は、
| そこに留まるな
という、最後の遮断。
Ⅺ 道元の総括が示す決定点
| 眼睛乞眼睛なり
| 水引水なり
| 山連山なり
これは循環ではない。
| 眼睛は、
| 自分自身を求める構えとしてしか、
| 現れない。
だがその瞬間、
・求める主体が崩れ
・与える対象が消え
・成果が成立しない
何も得られないまま、
行為だけが残る。
Ⅻ 「十方仏は眼中花」
ここで道元は、最後に逃げ道を潰す。
・仏ですら
・理想ですら
・目標ですら
| すべて、眼睛の内部で咲いては消える
だから、
| 打坐も
| 進歩も
| 退歩も
すべてが同じ重さで現成する。
ⅩⅢ 一言で言うなら(この問答の核心)
| この洞山―雲巌問答は、
| 眼睛を「理解する話」ではなく、
| 眼睛に“住めなくなる過程”を、
| 一手ずつ正確に刻んだ記録である。
最後に(重要)
もしこの問答を読んで、
・何も掴めない
・正解が見えない
・自分の立場が崩れる
と感じているなら、
それは完全に正確です。
| 眼睛とは、
| 正しい答えが現れる場所ではなく、
| 答えに住めなくなる働きだから。
これ以上、付け加えることはありません。
洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。
雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。
師曰、某甲無(某甲無し)。
雲巌曰、有汝向什麼処著(有らば汝什麼処に向つてか著せん)。
師無語。
雲巌曰、乞眼睛底、是眼睛否(乞眼睛底、是れ眼睛なりや否や)。
師曰、非眼睛。
雲巌咄之(雲巌之を咄す)。
しかあればすなはち、全彰の参学は乞眼睛なり。雲堂に弁道し、法堂に上参し、寢堂に入室する、乞眼睛なり。おほよそ随衆参去、随衆参来、おのれづからの乞眼睛なり。眼睛は自己にあらず、他己にあらざる道理あきらかなり。
いはく、洞山すでに就師乞眼睛の請益あり。はかりしりぬ、自己ならんは、人に乞請せらるべからず。他己ならんは、人に乞請すべからず。
汝底与誰去也と指示す。汝底の時節あり、与誰の処分あり。
某甲無。
これ眼睛の自道取なり。かくのごとくの道現成、しづかに究理参学すべし。
雲巌いはく、有向什麼処著。
この道眼睛は、某甲無の無は有向什麼処著なり。向什麼処著は有なり。その恁麼道なりと参究すべし。
洞山無語。
これ茫然にあらず。業識独豎の標的なり。
雲巌為示するにいはく、乞眼睛底、是眼睛否。
これ点瞎眼睛の節目なり、活碎眼睛なり。いはゆる雲巌道の宗旨は、眼睛乞眼睛なり。水引水なり、山連山なり。異類中行なり、同類中生なり。
洞山いはく、非眼睛。
これ眼睛の自挙唱なり。非眼睛の身心慮知、形段あらんところをば、自挙の活眼睛なりと相見すべきなり。参世諸仏は、眼睛の転大法輪、説大法輪を立地聽しきたれり。畢竟じて参究する堂奥には、眼睛裏に跳入して、発心修行、証大菩提するなり。この眼睛、もとよりこのかた、自己にあらず、他己にあらず。もろもろの罣礙なきがゆゑに、かくのごとくの大事も罣礙あらざるなり。このゆゑに、
古先いはく、奇哉十方仏、元是眼中花(奇なる哉十方仏、元より是れ眼中花なり)。
いはゆる十方仏は眼睛なり。眼中花は十方仏なり。いまの進歩退歩する、打坐打睡する、しかしながら眼睛づからのちからを承嗣して恁麼なり。眼睛裡の把定放行なり。
雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。
師曰、某甲無(某甲無し)。
雲巌曰、有汝向什麼処著(有らば汝什麼処に向つてか著せん)。
師無語。
雲巌曰、乞眼睛底、是眼睛否(乞眼睛底、是れ眼睛なりや否や)。
師曰、非眼睛。
雲巌咄之(雲巌之を咄す)。
しかあればすなはち、全彰の参学は乞眼睛なり。雲堂に弁道し、法堂に上参し、寢堂に入室する、乞眼睛なり。おほよそ随衆参去、随衆参来、おのれづからの乞眼睛なり。眼睛は自己にあらず、他己にあらざる道理あきらかなり。
いはく、洞山すでに就師乞眼睛の請益あり。はかりしりぬ、自己ならんは、人に乞請せらるべからず。他己ならんは、人に乞請すべからず。
汝底与誰去也と指示す。汝底の時節あり、与誰の処分あり。
某甲無。
これ眼睛の自道取なり。かくのごとくの道現成、しづかに究理参学すべし。
雲巌いはく、有向什麼処著。
この道眼睛は、某甲無の無は有向什麼処著なり。向什麼処著は有なり。その恁麼道なりと参究すべし。
洞山無語。
これ茫然にあらず。業識独豎の標的なり。
雲巌為示するにいはく、乞眼睛底、是眼睛否。
これ点瞎眼睛の節目なり、活碎眼睛なり。いはゆる雲巌道の宗旨は、眼睛乞眼睛なり。水引水なり、山連山なり。異類中行なり、同類中生なり。
洞山いはく、非眼睛。
これ眼睛の自挙唱なり。非眼睛の身心慮知、形段あらんところをば、自挙の活眼睛なりと相見すべきなり。参世諸仏は、眼睛の転大法輪、説大法輪を立地聽しきたれり。畢竟じて参究する堂奥には、眼睛裏に跳入して、発心修行、証大菩提するなり。この眼睛、もとよりこのかた、自己にあらず、他己にあらず。もろもろの罣礙なきがゆゑに、かくのごとくの大事も罣礙あらざるなり。このゆゑに、
古先いはく、奇哉十方仏、元是眼中花(奇なる哉十方仏、元より是れ眼中花なり)。
いはゆる十方仏は眼睛なり。眼中花は十方仏なり。いまの進歩退歩する、打坐打睡する、しかしながら眼睛づからのちからを承嗣して恁麼なり。眼睛裡の把定放行なり。