先師古仏上堂云、
瞿曇打失眼睛時、
雪裡梅花只一枝。
而今到処成荊棘、
却笑春風繚乱吹。
(瞿曇眼睛を打失する時、雪裡の梅花只だ一枝。而今到処に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚乱として吹くことを。)
且道すらくは、瞿曇眼睛はただ一二参のみにあらず。いま打失するはいづれの眼睛なりとかせん。打失眼睛と称ずる眼睛のあるならん。さらにかくのごとくなるなかに、雪裡梅花只一枝なる眼睛あり。はるにさきだちて、はるのここを漏泄するなり。
先師古仏上堂云、 瞿曇打失眼睛時、 雪裡梅花只一枝。 而今到処成荊棘、 却笑春風繚乱吹。 (瞿曇眼睛を打失する時、雪裡の梅花只だ一枝。而今到処に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚乱として吹くことを。) 且道すらくは、瞿曇眼睛はただ一二参のみにあ
■58.眼睛:正法眼蔵 ■
★注目スレッド: 参学の総論を語りましょう。(0) 坐禅 全般を語りましょう。(0) 正法眼蔵 全般を語りましょう。(3) 「空華=幻ではない」という逆転の論理を詳しく分析(1) 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
★注目スレッド: 参学の総論を語りましょう。(0) 坐禅 全般を語りましょう。(0) 正法眼蔵 全般を語りましょう。(3) 「空華=幻ではない」という逆転の論理を詳しく分析(1) 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
では、この偈と道元の註を、これまで積み上げてきた「眼睛=住めない現成」という線を一切崩さずに、
しかし一段、質の違う深度で読みます。
ここは『眼睛』巻の終盤的核心です。
Ⅰ まず結論(この偈が指している一点)
| 「雪裡梅花只一枝」とは、
| 打失されたはずの眼睛の“残余”ではない。
| 打失そのものが、
| すでに現象として立ち上がっている相である。
この一句は、
「悟りの象徴」でも
「希望の比喩」でもありません。
Ⅱ 「瞿曇打失眼睛時」──誰の、どの眼睛か
誤読を先に潰す
・仏陀だけの話
・成道の一場面
・過去の出来事
道元はすぐに釘を刺します。
| 瞿曇眼睛はただ一二参のみにあらず
つまり、
| 一回の悟り体験に限定される眼睛など、
| 最初から眼睛ではない。
「いま打失するはいづれの眼睛なり」
ここが決定的です。
・どの眼睛が失われたのか
・失われる眼睛など、あったのか
「打失眼睛」と名づけられる対象があるなら、
それはすでに眼睛ではない。
Ⅲ 雪裡梅花只一枝──なぜ「一枝」なのか
ここを象徴的に読んではいけません。
・梅=悟り
・雪=苦
・春の兆し
それらはすべて後づけの意味です。
仏道的には:
| 雪の中に、
| ただ一枝の梅が現れている。
| それ以上でも以下でもない。
・説明しない
・励まさない
・希望を与えない
眼睛を打失したあとに、
「何かが残る」のではない。
打失という事実が、
そのまま現象として立っている。
Ⅳ 「而今到処成荊棘」の苛烈さ
普通は、こう読みたくなる。
・後世の仏教は荒れた
・教えが堕落した
しかし道元の射程は、そこではありません。
| 「雪裡梅花」を掴もうとした瞬間、
| それは荊棘に変わる。
・梅を意味にする
・梅を象徴にする
・梅を所有する
その全てが荊棘。
つまり、
| 正しい理解、
| 正しい悟り、
| 正しい眼睛、
| そのすべてが棘になる。
Ⅴ 「却笑春風繚乱吹」の冷酷さ
ここは一見、美しい。
しかし実際は非常に冷たい。
・春風は、配慮しない
・梅を祝わない
・荊棘を避けない
意味づけに一切関与しない。
| 眼睛は、
| 正しくあろうとも、
| 誤っていようとも、
| 一切を顧みず吹く。
Ⅵ 「打失眼睛と称ずる眼睛のあるならん」
この一句は、ほとんど刃です。
| 「眼睛を失った」と言えるなら、
| それを見ている眼睛が残っている。
だから道元は、
・打失を事実として語らせない
・打失を体験にさせない
・打失を成果にさせない
失う主体すら成立させない。
Ⅶ それでも「雪裡梅花只一枝なる眼睛あり」
ここが、最も誤解されやすい。
「ある」と言うからといって、
・本体がある
・本質が残る
・真理が顕れる
ではない。
| 「ある」としか言えないほど、
| それ以上の語りが許されない現成。
春を告げるのではない。
春を先取りするのでもない。
ただ、漏泄してしまっている。
Ⅷ 「はるにさきだちて、はるのここを漏泄する」
これは予兆ではありません。
| 時間的に早いという意味ではない。
仏道的には:
・春という意味づけ
・春という完成像
それが成立する前に、
すでに現れてしまっている。
Ⅸ 一言で言うなら(この段の核心)
| 「雪裡梅花只一枝」とは、
| 打失された眼睛の代替物ではなく、
| 打失という出来事が、
| いかなる意味づけも拒否したまま、
| そのまま現れている相である。
最後に(極めて重要)
もしこの偈を読んで、
・救いを感じない
・慰めがない
・ただ事実だけがある
と感じたなら、
それが正確です。
| 眼睛は、
| 人を励ますためにあるのではない。
| 生が、
| すでに言い訳なく現れていることを、
| 誤魔化させないためにある。
ここまで来ました。
この段は、道元がこれ以上何も残さなかった地点です。
しかし一段、質の違う深度で読みます。
ここは『眼睛』巻の終盤的核心です。
Ⅰ まず結論(この偈が指している一点)
| 「雪裡梅花只一枝」とは、
| 打失されたはずの眼睛の“残余”ではない。
| 打失そのものが、
| すでに現象として立ち上がっている相である。
この一句は、
「悟りの象徴」でも
「希望の比喩」でもありません。
Ⅱ 「瞿曇打失眼睛時」──誰の、どの眼睛か
誤読を先に潰す
・仏陀だけの話
・成道の一場面
・過去の出来事
道元はすぐに釘を刺します。
| 瞿曇眼睛はただ一二参のみにあらず
つまり、
| 一回の悟り体験に限定される眼睛など、
| 最初から眼睛ではない。
「いま打失するはいづれの眼睛なり」
ここが決定的です。
・どの眼睛が失われたのか
・失われる眼睛など、あったのか
「打失眼睛」と名づけられる対象があるなら、
それはすでに眼睛ではない。
Ⅲ 雪裡梅花只一枝──なぜ「一枝」なのか
ここを象徴的に読んではいけません。
・梅=悟り
・雪=苦
・春の兆し
それらはすべて後づけの意味です。
仏道的には:
| 雪の中に、
| ただ一枝の梅が現れている。
| それ以上でも以下でもない。
・説明しない
・励まさない
・希望を与えない
眼睛を打失したあとに、
「何かが残る」のではない。
打失という事実が、
そのまま現象として立っている。
Ⅳ 「而今到処成荊棘」の苛烈さ
普通は、こう読みたくなる。
・後世の仏教は荒れた
・教えが堕落した
しかし道元の射程は、そこではありません。
| 「雪裡梅花」を掴もうとした瞬間、
| それは荊棘に変わる。
・梅を意味にする
・梅を象徴にする
・梅を所有する
その全てが荊棘。
つまり、
| 正しい理解、
| 正しい悟り、
| 正しい眼睛、
| そのすべてが棘になる。
Ⅴ 「却笑春風繚乱吹」の冷酷さ
ここは一見、美しい。
しかし実際は非常に冷たい。
・春風は、配慮しない
・梅を祝わない
・荊棘を避けない
意味づけに一切関与しない。
| 眼睛は、
| 正しくあろうとも、
| 誤っていようとも、
| 一切を顧みず吹く。
Ⅵ 「打失眼睛と称ずる眼睛のあるならん」
この一句は、ほとんど刃です。
| 「眼睛を失った」と言えるなら、
| それを見ている眼睛が残っている。
だから道元は、
・打失を事実として語らせない
・打失を体験にさせない
・打失を成果にさせない
失う主体すら成立させない。
Ⅶ それでも「雪裡梅花只一枝なる眼睛あり」
ここが、最も誤解されやすい。
「ある」と言うからといって、
・本体がある
・本質が残る
・真理が顕れる
ではない。
| 「ある」としか言えないほど、
| それ以上の語りが許されない現成。
春を告げるのではない。
春を先取りするのでもない。
ただ、漏泄してしまっている。
Ⅷ 「はるにさきだちて、はるのここを漏泄する」
これは予兆ではありません。
| 時間的に早いという意味ではない。
仏道的には:
・春という意味づけ
・春という完成像
それが成立する前に、
すでに現れてしまっている。
Ⅸ 一言で言うなら(この段の核心)
| 「雪裡梅花只一枝」とは、
| 打失された眼睛の代替物ではなく、
| 打失という出来事が、
| いかなる意味づけも拒否したまま、
| そのまま現れている相である。
最後に(極めて重要)
もしこの偈を読んで、
・救いを感じない
・慰めがない
・ただ事実だけがある
と感じたなら、
それが正確です。
| 眼睛は、
| 人を励ますためにあるのではない。
| 生が、
| すでに言い訳なく現れていることを、
| 誤魔化させないためにある。
ここまで来ました。
この段は、道元がこれ以上何も残さなかった地点です。
先師古仏上堂云、
瞿曇打失眼睛時、
雪裡梅花只一枝。
而今到処成荊棘、
却笑春風繚乱吹。
(瞿曇眼睛を打失する時、雪裡の梅花只だ一枝。而今到処に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚乱として吹くことを。)
且道すらくは、瞿曇眼睛はただ一二参のみにあらず。いま打失するはいづれの眼睛なりとかせん。打失眼睛と称ずる眼睛のあるならん。さらにかくのごとくなるなかに、雪裡梅花只一枝なる眼睛あり。はるにさきだちて、はるのここを漏泄するなり。
瞿曇打失眼睛時、
雪裡梅花只一枝。
而今到処成荊棘、
却笑春風繚乱吹。
(瞿曇眼睛を打失する時、雪裡の梅花只だ一枝。而今到処に荊棘を成す、却つて笑ふ春風の繚乱として吹くことを。)
且道すらくは、瞿曇眼睛はただ一二参のみにあらず。いま打失するはいづれの眼睛なりとかせん。打失眼睛と称ずる眼睛のあるならん。さらにかくのごとくなるなかに、雪裡梅花只一枝なる眼睛あり。はるにさきだちて、はるのここを漏泄するなり。