正法眼蔵 その他 Ⅱ

正法眼蔵 その他 Ⅱ
 盂蘭盆経
西晋月氏三蔵竺法護訳

仏説盂蘭盆経   
聞如是。一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。大目乾連始得六通。欲度父母報乳哺之恩。 即以道眼観視世間。見其亡母生餓鬼中。不見飲食皮骨連立。目連悲哀。即鉢盛飯往餉其母。母得鉢飯。便以左手障飯右手摶飯食未入口化成火炭。遂不得食。目連大叫悲号啼泣。馳還白仏。具陳如此仏言。汝母罪根深結。非汝一人力所奈何。汝雖孝順声動天地。天神地神邪魔外道。道士四天王神。亦不能奈何。当須十方衆僧威神之力。乃得解脱 吾今当為汝説救済之法。令一切難皆離憂苦罪障消除 仏告目蓮。十方衆僧於七月十五日僧自恣時。当為七世父母。及現在父母厄難中者。具飯百味五果汲潅盆器。香油錠燭床敷臥具。 盡世甘美以著盆中。供養十方大徳衆僧。当此之日。一切聖衆或在山間禅定或得四道果。或樹下経行。或六通自在教化声聞縁覚。或十地菩薩大人權現比丘。在大衆中皆同一心受鉢和羅飯。具清浄戒聖衆之道其徳汪洋。其有供養此等自恣僧者。現在父母七世父母六種親属。得出三途之苦。応時解脱衣食自然。若復有人父母現在者福楽百年。若已亡七世父母生天。自在化生入天華光。受無量快楽時仏勅十方衆僧。皆先為施主家呪願。七世父母。行禅定意然後受食。初受盆時。先安在仏塔前。衆僧呪願竟。便自受食 爾時目連比丘及此大会大菩薩衆。皆大歓喜。而目連悲啼泣声釈然除滅。是時目連其母。即於是日得脱一劫餓鬼之苦爾時目連復白仏言。弟子所生父母。得蒙三寶功徳之力。衆僧威神之力故。若未來世一切仏弟子。行孝順者亦応奉此盂蘭盆。 救度現在父母乃至七世父母。為可爾不仏言。大善快問。我正欲説。汝今復問。善男子。若有比丘比丘尼。国王太子王子大臣宰相。三公百官萬民庶人。行孝慈者。皆応為所生現在父母。過去七世父母。於七月十五日。仏歓喜日。僧自恣日。以百味飲食安盂蘭盆中。施十方自恣僧。乞願便使現在父母寿命百年無病。無一切苦悩之患。乃至七世父母離餓鬼苦。得生天人中福楽無 極 仏告諸善男子善女人是仏弟子修孝順者。 応念念中常憶父母供養乃至七世父母。年年七月十五日。常以孝順慈憶所生父母。 乃至七世父母為作盂蘭盆施仏及僧。以報父母長養慈愛之恩。若一切仏弟子。応当奉持是法爾時目連比丘。四輩弟子。聞仏所説歓喜奉行。

仏説盂蘭盆経
仏垂般涅槃略説教誡経
鳩摩羅什くまらじゅう三蔵の訳、全一巻。略して仏遺教経、遺教経とも

仏垂般涅槃略説教誡経
 釈迦牟尼仏初転法輪。度阿若憍陳如。最後説法度須跋陀羅。所応度者皆已度訖。於娑羅双樹間将入涅槃。是時中夜寂然無声。為諸弟子略説法要。
 汝等比丘。於我滅後当尊重珍敬波羅提木叉。如闇遇明貧人得宝。当知此則是汝大師。若我住世無異此也。持浄戒者不得販売貿易。安置田宅。畜養人民奴婢畜生。一切種殖及諸財宝。皆当遠離如避火坑。不得斬伐草木墾土掘地。合和湯薬占相吉凶。仰観星宿推歩盈虚暦数算計。皆所不応。節身時食清浄自活。不得参預世事通致使命。呪術仙薬。結好貴人親厚媟慢。皆不応作。当自端心正念求度。不得苞蔵瑕疵顕異惑衆。於四供養知量知足。趣得供事不応蓄積。此則略説持戒之相。戒是正順解脱之本。故名波羅提木叉。依因此戒得生諸禅定及滅苦智慧。是故比丘。当持浄戒勿令毀犯。若人能持浄戒是則能有善法。若無浄戒諸善功徳皆不得生是以当知。戒為第一安隠功徳之所住処
 汝等比丘。已能住戒当制五根。勿令放逸入於五欲。譬如牧牛之人執杖視之。不令縦逸犯人苗稼。若縦五根。非唯五欲将無崖畔不可制也。亦如悪馬不以轡制。将当牽人墜於坑陷。如被劫害苦止一世。五根賊禍殃及累世。為害甚重。不可不慎。是故智者制而不随。持之如賊不令縦逸。假令縦之。皆亦不久見其磨滅。此五根者心為其主。是故汝等当好制心。心之可畏甚於毒蛇悪獣怨賊大火越逸。未足喩也。動転軽躁但観於蜜不見深坑。譬如狂象無鈎。猿猴得樹騰躍跳躑難可禁制。当急挫之無令放逸。縦此心者喪人善事。制之一処無事不弁。是故比丘。当勤精進折伏其心
 汝等比丘。受諸飲食当如服薬。於好於悪勿生増減。趣得支身以除飢渇。如蜂採花但取其味不損色香。比丘亦爾。受人供養取自除悩。無得多求壊其善心。譬如智者籌量牛力所堪多少。不令過分以竭其力
 汝等比丘。昼則勤心修習善法無令失時。初夜後夜亦勿有廃。中夜誦經以自消息。無以睡眠因縁令一生空過無所得也。当念無常之火焼諸世間。早求自度勿睡眠也。諸煩悩賊常伺殺人甚於怨家。安可睡眠不自驚寤。煩悩毒蛇睡在汝心。譬如黒蚖在汝室睡。当以持戒之鉤早屏除之。睡蛇既出乃可安睡。不出而眠是無慚人也。慚恥之服。於諸荘厳最為第一。慚如鉄鉤能制人非法。是故比丘。常当慚恥。無得暫替。若離慚恥則失諸功徳。有愧之人則有善法。若無愧者。興諸禽獣無相異也
 汝等比丘。若有人来節節支解。当自攝心無令瞋恨。亦当護口勿出悪言。若縦恚心則自妨道失功徳利。忍之為徳持戒苦行所不能及。能行忍者乃可名為有力大人。若其不能歓喜忍受悪罵之毒如飲甘露者。不名入道智慧人也。所以者何。瞋恚之害能破諸善法壊好名聞。今世後世人不喜見。当知瞋心甚於猛火。常当防護無令得入。劫功徳賊無過瞋恚。白衣受欲非行道人。無法自制。瞋猶可恕。出家行道無欲之人。而懷瞋恚甚不可也。譬如清冷雲中霹靂起火非所応也
 汝等比丘。当自摩頭。已捨飾好著壊色衣。執持応器以乞自活。自見如是。若起驕慢当疾滅之。謂長驕慢尚非世俗白衣所宜。何況出家入道之人。為解脱故自降其心而行乞耶。
 汝等比丘。諂曲之心與道相違。是故宜応質直其心。当知諂曲但為欺誑。入道之人則無是処。是故汝等。宜応端心以質直為本

 汝等比丘。当知多欲之人。多求利故苦悩亦多。少欲之人無求無欲則無此患。直爾少欲尚応修習。何況少欲能生諸善功徳。少欲之人則無諂曲以求人意。亦復不為諸根所牽。行少欲者心則坦然無所憂畏。触事有余常無不足。有少欲者則有涅槃。是名少欲
 汝等比丘。若欲脱諸苦悩。当観知足。知足之法即是富楽安隠之処。知足之人雖臥地上猶為安樂。不知足者雖処天堂亦不称意。不知足者雖富而貧。知足之人雖貧而富。不知足者常為五欲所牽。為知足者之所憐愍。是名知足
 汝等比丘。若求寂静無為安楽。当離憒閙独処閑居。静処之人帝釈諸天所共敬重。是故当捨己衆他衆。空閑独処思滅苦本。若楽衆者則受衆悩。譬如大樹衆鳥集之則有枯折之患。世間縛著没於衆苦。譬如老象溺泥不能自出。是名遠離
 汝等比丘。若勤精進則事無難者。是故汝等。当勤精進。譬如小水常流則能穿石。若行者之心数数懈廃。譬如鑽火未熱而息。雖欲得火火難可得。是名精進
 汝等比丘。求善知識求善護助而不忘念。若不忘念者。諸煩悩賊則不能入。是故汝等。常当攝念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強。雖入五欲賊中不為所害。譬如著鎧入陣則無所畏。是名不忘念
 汝等比丘。若攝心者心則在定。心在定故能知世間生滅法相。是故汝等。常当精勤修集諸定。若得定者心則不乱。譬如惜水之家善治堤塘。行者亦爾。為智慧水故善修禅定令不漏失。是名為定
 汝等比丘。若有智慧則無貪著。常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者既非道人。又非白衣。無所名也。実智慧者則是度老病死海堅牢船也。亦是無明黒闇大明灯也。一切病苦之良薬也。伐煩悩樹者之利斧也。是故汝等。当以聞思修慧而自増益。若人有智慧之照。雖無天眼而是明見人也。是為智慧
 汝等比丘。若種種戯論其心則乱。雖復出家猶未得脱。是故比丘。当急捨離乱心戯論。若汝欲得寂滅楽者。唯当善滅戯論之患。是名不戯論

 汝等比丘。於諸功徳常当一心捨諸放逸。如離怨賊。大悲世尊所欲利益皆以究竟。汝等但当勤而行之。若在山間若空沢中。若在樹下閑処静室。念所受法勿令忘失。常当自勉精進修之。無為空死後致憂悔。我如良医知病説薬。服與不服非医咎也。又如善導導人善導。聞之不行非導過也。
 汝等比丘。若於苦等四諦有所疑者。可疾問之。無得懷疑不求決也爾時世尊如是三唱。人無問者。所以者何。衆無疑故爾時阿珸樓馱観察衆心而白仏言。世尊月可令熱。日可令冷。仏説四諦不可令異。仏説苦諦真実是苦。不可令楽。集真是因。更無異因。苦若滅者即是因滅。因滅故果滅。滅苦之道実是真道。更無余道。世尊。是諸比丘於四諦中決定無疑。於此衆中。所作未弁者。見仏滅度当有悲感。若有初入法者。聞仏所説即皆得度。譬如夜見電光即得見道。若所作已弁已度苦海者。但作是念。世尊滅度一何疾哉。阿珸樓馱雖説是語。衆中皆悉了達四聖諦義。世尊欲令此諸大衆皆得堅固以大悲心復為衆説
 汝等比丘。勿懐憂悩。若我住世一劫会亦当滅。會而不離終不可得。自利利人法皆具足。若我久住更無所益。応可度者若天上人間皆悉已度。其未度者皆亦已作得度因縁。自今已後。我諸弟子展転行之。則是如來法身常在而不滅也。是故当知。世皆無常会必有離。勿懐憂也。世相如是。当勤精進早求解脱。以智慧明滅諸癡闇。世實危脆無牢強者。我今得滅如除悪病。此是応捨罪悪之物。仮名為身。没在生老病死大海。何有智者得除滅之如殺怨賊而不歓喜
 汝等比丘。常当一心勤求出道。一切世間動不動法。皆是敗壊不安之相。汝等且止。勿得復語。時将欲過我欲滅度。是我最後之所教誨

仏垂般涅槃略説教誡経

後秦亀茲国三蔵 鳩摩羅什 奉詔譯




<和訳>
仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)

 釈迦牟尼仏、初めに法輪を転じて、阿若憍陳如を度し、最後の説法にて須跋陀羅を度したもう。応に度すべき所の者は皆已に度し訖わりて、娑羅双樹の間に於いて将に涅槃に入りたまわんとす。是れ時中夜寂然として声無し。諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。

 「汝等比丘。我が滅後に於いて、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れ則ち是れ汝が大師なり。若し我世に住するとも此に異なること無けん。浄戒を持つ者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ。一切の種殖及び諸の財宝、皆当に遠離すること火坑を避くるが如くすべし。 草木を斬伐し、土を墾し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆応ぜざる所なり。 身を節し、時に食して、清浄にして自活せよ。世事に参預し、使命を通致し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結び、親厚媟慢することを得ざれ。皆作に応ぜず。 当に自ら端心正念にして度を求むべし。瑕疵を苞蔵し、異を顕し、衆を惑わすことを得ざれ。四供養に於いて量を知り足ることを知るべし。趣かに供事を得て畜積すべからず。 此れ則ち略して持戒之相を説く。戒は是れ正順解脱之本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因すれば、諸禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘。当に浄戒を持って毀犯せしむること勿れ。若し人能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ、諸の善の功徳、皆生ずることを得ず。是れを以て当に知るべし、戒を第一安穏功徳之所住処と為すことを。
 汝等比丘。已に能く戒に住す。当に五根を制すべし。放逸にして五欲に入らしむること勿れ。譬えば牧牛之人の杖を執りて之を視るに、縦逸にして人の苗稼を犯さしめざるが如し。 若し五根を縦にすれば、唯だ五欲の将に崖畔無うして不可制すべからざるのみに非ず、亦た悪馬の轡を以て制せざれば、将当に人を牽いて坑陷に墜とさしめんが如し。劫害を被るが如くんば苦一世に止まる。五根の賊は禍殃累世に及ぶ。害たること甚だ重し。慎まずんばあるべからず。 是の故に智者は、制して而も随わず。之を持すること賊の如くにして、縦逸せしむることなかれ。假令い之を縦にすれば、皆な亦た久しからずして其の磨滅を見ん。 此の五根は、心を其の主と為す。是の故に汝等、当に好く心を制すべし。心之畏るべきこと、毒蛇悪獣怨賊よりも甚し。大火の越逸なるも、未だ喩とするに足らず。動転軽躁して但だ蜜のみを観て深坑を見ざるがごとし。譬えば、狂象の鈎無く、猿猴の樹を得て騰躍跳躑して禁制すべきこと難きが如し。当に急に之を挫いで放逸なからしむ。此の心を縦にすれば、人の善事を喪う。之を一処に制すれば事として弁ぜざること無し。是の故に比丘、当に勤めて精進して、其心を折伏すべし。
 汝等比丘。諸の飲食を受けては、当に薬を服するが如くすべし。好きにおいても悪しきにおいても、増減を生ずること勿れ。趣かに身を支うるを得て、以て飢渇を除くべし。蜂の花を採るに但だ其の味わいのみを取って色香を損せざるが如し。比丘も亦た爾なり。人の供養を受けて自ら取って悩を除く。多く求めて其の善心を壊すこと得ること無かれ。譬えば智者の牛力の堪うる所の多少を籌量して、分を過ごして以て其の力を竭くさしめざるが如し。
 汝等比丘。晝は則ち勤心に善法を修習して時を失せしむること無かれ。初夜にも後夜にも、亦た廃すること有ること勿れ。中夜に誦経して以て自ら消息す。睡眠の因縁を以て一生空しく過ごして所得無からしむること無かれ。 当に無常之火の諸の世間を鉄くを念じて、早く自度を求むべし。睡眠すること勿れ。諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと、怨家よりも甚し。安んぞ睡眠して自ら驚寤せざるべけんや。煩悩の毒蛇、睡って汝が心に在り。 譬えば黒蚖の汝が室に在って睡るが如し。当に持戒之鉤を以て早く之を屏除すべし。睡蛇既に出でなば、乃ち安睡すべし。出でざるに而も眠るは、是れ無慚の人なり。 慚恥之服は、諸の荘厳に於いて最も第一なりとす。慚は鉄鉤の如し。能く人の非法を制す。是の故に比丘、常に当に慚恥すべし。暫くも替つること得ること無かるべし。若し慚恥を離すれば、則ち諸の功徳を失す。有愧之人は則ち善法有り、若し無愧の者は、諸の禽獣と相異なること無けん。
 汝等比丘。若し人有り来って節節に支解するとも、当に自ら心を攝めて瞋恨せしむること無かれ。亦た当に口を護って、悪言を出だすこと勿れ。若し恚心を縦にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。 忍之徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名づけて有力の大人と為すべし。若し其れ悪罵之毒を歓喜し忍受して甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名づけず。 所以は何ん。瞋恚之害は能く諸の善法を破って好名聞を壊す。今世後世の人、見んと憙わず。当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚し。常に当に防護して入ることを得せしむること無かれ。功徳を劫むるの賊は、瞋恚に過ぎたるは無し。 白衣受欲非行道の人、法の自ら制すること無きすら、瞋猶お恕むべし。出家行道無欲之人にして而も瞋恚を懐けるは甚だ不可なり。譬えば、清冷の雲の中に霹靂の火起こるは、所応に非ざるが如し。
 汝等比丘。当に自ら頭を摩づべし。已に飾好を捨てて壊色の衣を著す。応器を執持して乞を以て自活す。自見すること是くの如し。若し驕慢起こらば、当に疾く之を滅すべし。謂わゆる驕慢を長ずるは尚お世俗白衣の宜しき所に非ず。 何かに況んや出家入道之人、解脱の為の故に自ら其の心を降して而も乞を行ずるをや。
 汝等比丘。諂曲之心は、道と相違す。是の故に宜しく応に其の心を質直にすべし。当に知るべし、諂曲は但だ欺誑を為す。入道之人は則ち是の処り無し。是の故に汝等、宜しく応に端心にして以てその本を質直にすべし。

 汝等比丘。当に知るべし。多欲之人は、多く利を求むるが故に、苦悩も亦た多し。少欲之人は、無求無欲なれば則ち此の患い無し。直爾に少欲すら尚お修習すべし。何に況んや少欲の能く諸の善功徳を生ずるをや。 少欲之人は則ち諂曲して以て人の意を求むること無し。亦復た諸根のために牽かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として憂畏する所無し。事に触れて余り有り、常に足らざること無し。少欲有る者は、則ち涅槃有り。是れを少欲と名づく。
 汝等比丘。若し諸の苦悩を脱せんと欲わば、当に知足を観ずべし。知足之法は即ち是れ富楽安穏之処なり。知足之人は、地上に臥すと雖も猶お安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意に稱わず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。知足之人は、貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲の為に牽かれて、知足の者の為に憐愍せらる。是れを知足と名づく。
 汝等比丘。若し寂静無為の安楽を求むれば、当に憒閙を離れて独処に閑居すべし。静処之人は、帝釈諸天の共に敬重する所なり。是の故に当に己衆他衆を捨てて、空閑に独処して滅苦の本を思うべし。若し衆を楽う者は、則ち衆悩を受く。譬えば、大樹の衆鳥之に集まれば則ち枯折之患い有るが如し。世間の縛著は衆苦に沒す。譬えば、老象の泥に溺れて自ら出づること能わざるが如し。是れを遠離と名づく。
 汝等比丘。若し勤めて精進すれば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等、当に勤めて精進すべし。譬えば、小水の常に流れて則ち能く石を穿つが如し。若し行者之心数数ば懈廃すれば、譬えば火を鑚るに未だ熱からずして而も息めば、火を得んと欲すと雖も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく。
 汝等比丘。善知識を求め善護助を求めんには、不忘念に而くはなし。若し不忘念ある者は、諸の煩悩の賊、則ち入ること能わず。是の故に汝等、常に当に念を攝めて心に在らしむべし。若し念を失する者は、則ち諸の功徳を失す。若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も、害する所とならず。譬えば、鎧を著て陣に入れば則ち畏るる所無きが如し。是れを不忘念と名づく。
 汝等比丘。若し心を攝むる者は、心則ち定に在り。心定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に当に精勤して諸の定を修集すべし。若し定を得る者は、心則ち乱れず。譬えば、水を惜しむ家の善く堤塘を治するが如し。行者も亦た爾なり。智慧の水の為の故に、善く禅定を修して漏失せざらしむ。是れを名づけて定と為す。
 汝等比丘。若し智慧有れば、則ち貪著無し。常に自ら省察して失有らしめざれ。是れ則ち我が法中に於いて能く解脱を得。若し爾らざれば、既に道人に非ず、又白衣に非ず、名づくる所無きなり。実智慧の者は、則ち是れ老病死海を度る堅牢の船なり。亦た是れ無明黒闇の大明灯なり。一切病苦之良薬なり。煩悩の樹を伐る之利斧なり。是の故に汝等、当に聞思修の慧を以て自ら増益すべし。若し人智慧之照有れば、天眼無しと雖も是れ明見の人なり。是れを智慧と為す。
 汝等比丘。若し種種の戯論は、其の心則ち乱る。復た出家すと雖も、猶お未だ得脱せず。是の故に比丘、当に急に乱心戯論を捨離すべし。若し汝寂滅の楽を得んと欲せば、唯だ当に善く戯論之患を滅すべし。是れを不戯論と名づく。

 汝等比丘。諸の功徳に於いて、常に当に一心に諸の放逸を捨つること、怨賊を離るるが如くすべし。大悲世尊所説の利益は、皆以て究竟す。汝等、但だ当に勤めて之を行ずべし。若しは山間に在っても、若しは空澤の中においても、若しは樹下閑処静室に在っても、受くる所の法を念じて忘失せしむること勿れ。常に当に自ら勉めて精進して之を修すべし。為すこと無うして空しく死せば、後に悔い有ることを致さん。我れは良医の病を知りて薬を説くが如し。服すと服さざるとは医の咎に非ず。又た善く人を導いて善導に導くが如し。之を聞いて行かざるは導くものの過に非ず。汝等、若し苦等の四諦に於いて疑う所有る者は、疾く之を問うべし。疑いを懐いて決を求めざること得ること無かれ。」

 爾の時に世尊、是くの如く三たび唱えたもうに、人問う者無し。所以者何んとなれば、衆疑うこと無きが故に。
 爾の時に阿珸樓馱、衆の心を観察して、而も仏に白して言さく、

「世尊、月は熱からしむべく、日は冷ややかならしむべくとも、仏の説きたもう四諦は、異ならしむべからず。 仏の説きたもう苦諦は、実に苦なり、楽ならしむべからず。 集は真に是れ因なり、更に異因無し。 苦若し滅すれば即ち因滅す、因滅するが故に果滅す。 滅苦之道は実に是れ真道なり、更に余道無し。 世尊、是の諸の比丘、四諦の中に於いて決定して疑うこと無し。 此の衆中に於いて、所作未だ弁ぜざる者あらば、仏の滅度を見て当に悲感有るべし。 若し初めて法に入るもの有らば、仏の所説を聞いて即ち皆な得度す。譬えば、夜電光を見て即ち道を見ることを得るが如し。 若し所作已に弁じ已に苦海を度る者は、但だ是の念を作すべし、世尊の滅度一えに何ぞ疾やかなる哉と。」

 阿珸樓馱、是の語を説いて、衆中皆な悉く四聖諦の義を了達すと雖も、世尊、此の諸の大衆をして皆な堅固なることを得せしめんと欲して、大悲心を以て復た衆の為に説きたもう。

「汝等比丘。憂悩を懐くこと勿れ。若し我世に住すること一劫すとも、会うものは亦た当に滅すべし。会うて而も離れざること終に得べからず。自利利人の法は皆な具足す。若し我久しく住するとも更に所益無けん。 応に度すべき者は、若しは天上人間皆な悉く已に度す。其の未だ度せざる者には、皆な亦た已に得度の因縁を作す。自今已後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、則ち是れ如来の法身常に在して而も滅せざるなり。 是の故に当に知るべし。世は皆な無常なり、会うものは必ず離るること有り。憂を懐くこと勿れ。世相是くの如し。当に勤めて精進して、早く解脱を求むべし。智慧の明を以て、諸の癡闇を滅すべし。世は実に危脆なり、牢強なる者無し。 我今滅を得ること、悪病を除くが如し。此是れ応に捨つべき罪悪之物なり、假に名づけて身と為す。生老病死の大海に沒在せり。何ぞ智者は之を除滅することを得ること怨賊を殺すが如くして而も歓喜せざること有らんや。
 汝等比丘。常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法は、皆な是れ敗壊不安之相なり。汝等、且く止みね。復た語うこと得ること勿れ。時将に過ぎなんと欲す。我滅度せんと欲す。是れ我が最後之教誨する所なり。」

仏垂般涅槃略説教誡経
後秦亀茲国三蔵 鳩摩羅什 奉詔訳
妙法蓮華経 安楽行品 第十四
鳩摩羅什 くまらじゅう三蔵(350~409AD)訳の「法華経」二十八品の第十四.。
妙法蓮華経 安楽行品 第十四

爾時文殊師利法王子。菩薩摩訶薩。白仏言。
世尊。是諸菩薩。甚為難有。 敬順仏故。発大誓願。於後悪世。護持読誦。説是法華経。 世尊。菩薩摩訶薩。於後悪世。云何能説是経。
仏告文殊師利。
若菩薩摩訶薩。於後悪世。欲説是経。当安住四法。 一者安住菩薩行処。親近処。能為衆生。演説是経。 文殊師利。云何名菩薩摩訶薩行処。 若菩薩摩訶薩。住忍辱地。柔和善順。而不卒暴。心亦不驚。 又復於法無所行。而観諸法如実相。亦不行不分別。 是名菩薩摩訶薩行処。 云何名菩薩摩訶薩親近処。 菩薩摩訶薩。不親近国王王子。大臣官長。 不親近諸外道。梵志尼犍子等。及造世俗文筆。讃詠外書。及路伽耶陀。逆路伽耶陀者。亦不親近。 諸有凶戯。相扠相撲。及那羅等。種種変現之戯。 又不親近旃陀羅。及畜豬羊・狗。畋猟漁捕。諸悪律儀。 如是人等。或時来者。則為説法。無所悕望。 又不親近求声聞。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。亦不問訊。 若於房中。若経行処。若在講堂中。不共住止。 或時来者。随宜説法。無所悕求。 文殊師利。又菩薩摩訶薩。不応於女人身。取能生欲想相。而為説法。亦不楽見。 若入他家。不与小女。処女寡女等共語。 亦復不近。五種不男之人。以為親厚。 不独入他家。若有因縁。須独入時。但一心念仏。 若為女人説法。不露歯笑。不現胸臆。乃至為法。猶不親厚。 況復余事。 不楽畜年小弟子。沙弥小兒。亦不楽与同師。 常好坐禅。在於閑処。修摂其心。 文殊師利。是名初親近処。 復次菩薩摩訶薩。観一切法空。如実相。 不顛倒。不動。不退。不転。 如虚空。無所有性。一切語言道断。 不生。不出。不起。無名。無相。実無所有。 無量無辺。無碍無障。 但以因縁有。従顛倒生。 故説。常楽観如是法相。 是名菩薩摩訶薩。第二親近処。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言

若有菩薩 於後悪世  無怖畏心 欲説此経 応入行処 及親近処  常離国王 及国王子
大臣官長 凶険戯者  及旃陀羅 外道梵志 亦不親近 増上慢人  貪著小乗 三蔵学者
破戒比丘 名字羅漢  及比丘尼 好戯笑者 深著五欲 求現滅度  諸優婆夷 皆勿親近
若是人等 以好心来  到菩薩所 為聞仏道 菩薩則以 無所畏心  不懐悕望 而為説法
寡女処女 及諸不男  皆勿親近 以為親厚 亦莫親近 屠兒魁膾  畋猟漁捕 為利殺害
販肉自活 衒売女色  如是之人 皆勿親近 凶険相撲 種種嬉戯  諸淫女等 尽勿親近
莫独屏処 為女説法  若説法時 無得戯笑 入里乞食 将一比丘  若無比丘 一心念仏
是則名為 行処近処  以此二処 能安楽説 又復不行 上中下法  有為無為 実不実法
亦不分別 是男是女  不得諸法 不知不見 是則名為 菩薩行処  一切諸法 空無所有
無有常住 亦無起滅  是名智者 所親近処 顛倒分別 諸法有無  是実非実 是生非生
在於閑処 修摂其心  安住不動 如須弥山 観一切法 皆無所有  猶如虚空 無有堅固
不生不出 不動不退  常住一相 是名近処 若有比丘 於我滅後  入是行処 及親近処
説斯経時 無有怯弱  菩薩有時 入於静室 以正憶念 随義観法  従禅定起 為諸国王
王子臣民 婆羅門等  開化演暢 説斯経典 其心安穏 無有怯弱  文殊師利 是名菩薩
安住初法 能於後世  説法華経

又文殊師利。如来滅後。於末法中。欲説是経。応住安楽行。 若口宣説。若読経時。不楽説人。及経典過。 亦不軽慢。諸余法師。不説他人。好悪長短。 於声聞人。亦不称名。説其過悪。 亦不称名。讃歎其美。 又亦不生。怨嫌之心。 善修如是。安楽心故。諸有聴者。不逆其意。 有所難問。不以小乗法答。 但以大乗。而為解説。令得一切種智。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言

菩薩常楽 安穏説法  於清浄地 而施牀座 以油塗身 澡浴塵穢  著新浄衣 内外倶浄
安処法座 随問為説  若有比丘 及比丘尼 諸優婆塞 及優婆夷  国王王子 群臣士民
以微妙義 和顔為説  若有難問 随義而答 因縁譬喩 敷演分別  以是方便 皆使発心
漸漸増益 入於仏道  除嬾惰意 及懈怠想 離諸憂悩 慈心説法  昼夜常説 無上道教
以諸因縁 無量譬喩  開示衆生 咸令歓喜 衣服臥具 飲食医薬  而於其中 無所悕望
但一心念 説法因縁  願成仏道 令衆亦爾 是則大利 安楽供養  我滅度後 若有比丘
能演説斯 妙法華経  心無嫉恚 諸悩障碍 亦無憂愁 及罵詈者  又無怖畏 加刀杖等
亦無擯出 安住忍故  智者如是 善修其心 能住安楽 如我上説  其人功徳 千万億劫
算数譬喩 説不能尽

又文殊師利。菩薩摩訶薩。於後末世。法欲滅時。受持読誦。斯経典者。無懐嫉妬。諂誑之心。 亦勿軽罵。学仏道者。求其長短。 若比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。求声聞者。求辟支仏者。求菩薩道者。無得悩之。令其疑悔。 語其人言。 汝等去道甚遠。終不能得。一切種智。 所以者何。汝是放逸之人。於道懈怠故。 又亦不応。戯論諸法。有所諍競。 当於一切衆生。起大悲想。於諸如来。起慈父想。於諸菩薩。起大師想。 於十方諸大菩薩。常応深心。恭敬礼拝。 於一切衆生。平等説法。 以順法故。不多不少。 乃至深愛法者。亦不為多説。 文殊師利。是菩薩摩訶薩。於後末世。 法欲滅時。有成就。是第三安楽行者。説是法時。無能悩乱。 得好同学。共読誦是経。亦得大衆。而来聴受。聴已能持。持已能誦。誦已能説。説已能書。若使人書。 供養経巻。恭敬尊重讃歎。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言

若欲説是経 当捨嫉恚慢  諂誑邪偽心 常修質直行 不軽蔑於人 亦不戯論法  不令他疑悔 云汝不得仏
是仏子説法 常柔和能忍  慈悲於一切 不生懈怠心 十方大菩薩 愍衆故行道  応生恭敬心 是則我大師
於諸仏世尊 生無上父想  破於憍慢心 説法無障碍 第三法如是 智者応守護  一心安楽行 無量衆所敬

又文殊師利。菩薩摩訶薩。於後末世。法欲滅時。有受持法華経者。 於在家出家人中。生大慈心。於非菩薩人中。生大悲心。応作是念。 如是之人。則為大失。如来方便。随宜説法。 不聞不知不覚。不問不信不解。 其人雖不問。不信不解是経。我得阿耨多羅三藐三菩提時。随在何地。以神通力。智慧力。引之令得。住是法中。 文殊師利。是菩薩摩訶薩。於如来滅後。有成就。此第四法者。説是法時。無有過失。 常為比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。国王王子。大臣人民。婆羅門居士等。供養恭敬。尊重讃歎。 虚空諸天。為聴法故。亦常随侍。 若在聚落城邑。空閑林中。有人来欲難問者。 諸天昼夜。常為法故。而衛護之。能令聴者。皆得歓喜。 所以者何。此経是一切。過去未来現在。諸仏神力所護故。 文殊師利。是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞。 何況得見。受持読誦。 文殊師利。譬如強力。転輪聖王。欲以威勢。降伏諸国。而諸小王。不順其命。 時転輪王。起種種兵。而往討伐。 王見兵衆。戦有功者。即大歓喜。随功賞賜。 或与田宅。聚落城邑。或与衣服。厳身之具。或与種種珍宝。金銀。瑠璃。硨磲。碼碯。珊瑚。琥珀。象馬。車乗。奴婢。人民。 唯髻中明珠。不以与之。 所以者何。独王頂上。有此一珠。 若以与之。王諸眷属。必大驚怪。 文殊師利。如来亦復如是。 以禅定智慧力。得法国土。王於三界。 而諸魔王。不肯順伏。 如来賢聖諸将。与之共戦。其有功者。心亦歓喜。於四衆中。為説諸経。令其心悦。 賜以禅定。解脱。無漏。根力。諸法之財。又復賜与。涅槃之城。言得滅度。引導其心。令皆歓喜。 而不為説。是法華経。 文殊師利。如転輪王。見諸兵衆。有大功者。心甚歓喜。 以此難信之珠。久在髻中。不妄与人。而今与之。如来亦復如是。 於三界中。為大法王。 以法教化。一切衆生。 見賢聖軍。与五陰魔。煩悩魔。死魔共戦。有大功勲。 滅三毒。出三界。破魔網。爾時如来。亦大歓喜。 此法華経。能令衆生。至一切智。 一切世間。多怨難信。先所未説。而今説之。 文殊師利。此法華経。是諸如来。第一之説。於諸説中。最為甚深。 末後賜与。如彼強力之王。久護明珠。今乃与之。 文殊師利。此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上。 長夜守護。不妄宣説。始於今日。乃与汝等。而敷演之。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言

常忍辱行 哀愍一切  乃能演説 仏所讃経 後末世時 持此経者  於家出家 及非菩薩
応生慈悲 斯等不聞  不信是経 則為大失 我得仏道 以諸方便  為説此法 令住其中
譬如強力 転輪之王  兵戦有功 賞賜諸物 象馬車乗 厳身之具  及諸田宅 聚落城邑
或与衣服 種種珍宝  奴婢財物 歓喜賜与 如有勇健 能為難事  王解髻中 明珠賜之
如来亦爾 為諸法王  忍辱大力 智慧法蔵 以大慈悲 如法化世  見一切人 受諸苦悩
欲求解脱 与諸魔戦  為是衆生 説種種法 以大方便 説此諸経  既知衆生 得其力已
末後乃為 説是法華  如王解髻 明珠与之 此経為尊 衆経中上  我常守護 不妄開示
今正是時 為汝等説  我滅度後 求仏道者 欲得安穏 演説斯経  応当親近 如是四法
読是経者 常無憂悩  又無病痛 顔色鮮白 不生貪嫉 卑賎醜陋  衆生楽見 如慕賢聖
天諸童子 以為給使  刀杖不加 毒不能害 若人悪罵 口則閉塞  遊行無畏 如師子王
智慧光明 如日之照  若於夢中 但見妙事 見諸如来 坐師子座  諸比丘衆 圍遶説法
又見龍神 阿修羅等  数如恒沙 恭敬合掌 自見其身 而為説法  又見諸仏 身相金色
放無量光 照於一切  以梵音声 演説諸法 仏為四衆 説無上法  見身処中 合掌讃仏
聞法歓喜 而為供養  得陀羅尼 証不退智 仏知其心 深入仏道  即為授記 成最正覚
汝善男子 当於来世  得無量智 仏之大道 国土厳浄 広大無比  亦有四衆 合掌聴法
又見自身 在山林中  修習善法 証諸実相 深入禅定 見十方仏

諸仏身金色 百福相荘厳  聞法為人説 常有是好夢
又夢作国王 捨宮殿眷属  及上妙五欲 行詣於道場
在菩提樹下 而処師子座  求道過七日 得諸仏之智
成無上道已 起而転法輪  為四衆説法 経千万億劫
説無漏妙法 度無量衆生  後当入涅槃 如煙尽灯滅
若後悪世中 説是第一法  是人得大利 如上諸功徳

妙法蓮華経 安楽行品 第十四 〔和訳〕

爾の時、文殊師利法王子菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、世尊、是の諸の菩薩は甚だ為れ有り難し。仏に敬順したてまつるが故に大誓願を発す。後の悪世に於て是の法華経を護持し読誦し説かん。世尊、菩薩摩訶薩後の悪世に於て云何してか能く是の経を説かん。
仏、文殊師利に告げたもう、若し菩薩摩訶薩後の悪世に於て是の経を説かんと欲せば、当に四法に安住すべし。
一には菩薩の行処・親近処に安住して、能く衆生の為に是の経を演説すべし。文殊師利、云何なるをか菩薩摩訶薩の行処と名づくる。若し菩薩摩訶薩忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心亦驚かず、又復法に於て行ずる所なく、諸法如実の相を観じ、亦不分別を行ぜず、是れを菩薩摩訶薩の行処と名づく。云何なるをか菩薩摩訶薩の親近処と名づくる。
菩薩摩訶薩、国王・王子・大臣・官長に親近せざれ。
諸の外道・梵志・尼犍子(にけんじ)等、及び世俗の文筆・讃詠の外書を造る、及び路伽耶陀(ろかやだ)・逆路伽耶陀(ぎゃくろかやだ)の者に親近せざれ。
亦諸の有ゆる凶戯の相扠相撲、及び那羅等の種々変現の戯に親近せざれ。
又旃陀羅、及び豬羊鶏狗を畜い畋猟漁捕する諸の悪律儀に親近せざれ。
是の如き人等或時に来らば、則ち為に法を説いて悕望する所なかれ。
又声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せざれ、亦問訊せざれ。
若しは房中に於ても、若しは経行の処、若しは講堂の中に在っても、共に住止せざれ。
或時に来らば宜しきに随って法を説いて?求する所なかれ。
文殊師利、又菩薩摩訶薩、女人の身に於て能く欲想を生ずる相を取って、為に法を説くべからず、亦見んと楽わざれ。
若し他の家に入らんには、小女・処女・寡女等と共に語らざれ。
亦復五種不男の人に近づいて以て親厚を為さざれ。
独他の家に入らざれ。若し因縁あって独入ることを須いん時には但一心に仏を念ぜよ。
若し女人の為に法を説かんには、歯を露わにして笑まざれ、胸臆を現わさざれ。乃至法の為にも猶お親厚せざれ。況や復余の事をや。
楽って年小の弟子・沙弥・小兒を畜えざれ。亦与に師を同じゅうすることを楽わざれ。
常に坐禅を好んで閑かなる処に在って其の心を修摂せよ。
文殊師利、是れを初の親近処と名く。復次に菩薩摩訶薩、一切の法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動せず、退せず、転せず、虚空の如くにして所有の性なし。一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず。名なく相なく、実に所有なし。無量・無辺・無碍・無障なり。但因縁を以て有り、顛倒に従って生ず。故に説く、常に楽って是の如き法相を観ぜよと。
是を菩薩摩訶薩の第二の親近処と名く。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言く、

若し菩薩あって 後の悪世に於て  無怖畏の心をもって 此の経を説かんと欲せば
行処 及び親近処に入るべし  常に国王 及び国王子
大臣官長 凶険の戯者  及び旃陀羅 外道梵志を離れ
亦 増上慢の人  小乗に貧著する 三蔵の学者に親近せざれ
破戒の比丘 名字の羅漢  及び比丘尼の 戯笑を好む者
深く五欲に著して 現の滅度を求むる  諸の優婆夷に 皆親近することなかれ
是の若き人等 好心を以て来り  菩薩の所に到って 仏道を聞かんとせば
菩薩則ち 無所畏の心を以て  悕望を懐かずして 為に法を説け
寡女処女 及び諸の不男に  皆親近して 以て親厚を為すことなかれ
亦 屠兒魁膾  畋猟漁捕 利の為に殺害するに親近することなかれ
肉を販って自活し 女色を衒売  是の如きの人に 皆親近することなかれ
凶険の相撲 種々の嬉戯  諸の淫女等に 尽く親近することなかれ
独屏処にして 女の為に法を説くことなかれ  若し法を説かん時には 戯笑すること得ることなかれ
里に入って乞食せんには 一りの比丘を将いよ  若し比丘なくんば 一心に仏を念ぜよ
是れ則ち名けて 行処近処とす  此の二処を以て 能く安楽に説け
又復 上中下の法  有為無為 実不実の法を行ぜざれ
亦 是れ男是れ女と分別せざれ  諸法を得ず 知らず見ず
是れ則ち名けて 菩薩の行処とす  一切の諸法は 空にして所有なし
常住あることなく 亦起滅なし  是れを智者の 所親近処と名く
顛倒して 諸法は有なり無なり  是れ実なり非実なり 是れ生なり非生なりと分別す
閑かなる処に在って 其の心を修摂し  安住して動せざること 須弥山の如くせよ
一切の法を観ずるに 皆所有無し  猶お虚空の如し 堅固なることあることなし
不生なり不出なり 不動なり不退なり  常住にして一相なり 是れを近処と名く
若し比丘あって 我が滅後に於て  是の行処 及び親近処に入って
斯の経を説かん時には 怯弱あることなけん  菩薩時あって 静室に入り
正憶念を以て 義に随って法を観じ  禅定より起って 諸の国王
王子臣民 婆羅門等の為に  開化して演暢して 斯の経典を説かば
其の心安穏にして 怯弱あることなけん  文殊師利 是れ菩薩の
初の法に安住して 能く後の世に於て  法華経を説くと名く

又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし。
若しは口に宣説し若しは経を読まん時、楽って人及び経典の過を説かざれ。
亦諸余の法師を軽慢せざれ。
他人の好悪長短を説かざれ。
声聞の人に於て亦名を称して其の過悪を説かざれ。亦名を称して其の美きを讃歎せざれ。
又亦怨嫌の心を生ぜざれ。
善く是の如き安楽の心を修するが故に、諸の聴くことあらん者其の意に逆わじ。難問する所あらば小乗の法を以て答えざれ。但大乗を以て為に解説して一切種智を得せしめよ。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

菩薩常に楽って 安穏に法を説け  清浄の地に於て 牀座を施し
油を以て身に塗り 塵穢を澡浴し  新浄の衣を著 内外倶に浄くして
法座に安処して 問に随って為に説け  若し比丘 及び比丘尼
諸の優婆塞 及び優婆夷  国王王子 群臣士民あらば
微妙の義を以て 和顔にして為に説け  若し難問することあらば 義に随って答えよ
因縁譬喩をもって 敷演し分別せよ  是の方便を以て 皆発心せしめ
漸漸に増益して 仏道に入らしめよ  嬾惰の意 及び懈怠の想を除き
諸の憂悩を離れて 慈心をもって法を説け  昼夜常に 無上道の教を説け
諸の因縁 無量の譬喩を以て  衆生に開示して 咸く歓喜せしめよ
衣服臥具 飲食医薬  而も其の中に於て 悕望する所なかれ
但一心に 説法の因縁を念じ  仏道を成じて 衆をして亦爾ならしめんと願うべし
是れ則ち大利 安楽の供養なり  我が滅度の後に 若し比丘あって
能く斯の 妙法華経を演説せば  心に嫉恚 諸悩障碍なく
亦憂愁 及び罵詈する者なく  又怖畏し 刀杖を加えらるる等なく
亦擯出せらるることなけん 忍に安住するが故に  智者是の如く 善く其の心を修せば
能く安楽に住すること 我が上に説くが如くならん  其の人の功徳は 千万億劫に
算数譬喩をもって 説くとも尽くすこと能わじ

又文殊師利、菩薩摩訶薩後の末世の法滅せんと欲せん時に於て斯の経典を受持し読誦せん者は、嫉妬・諂誑の心を懐くことなかれ。
亦仏道を学する者を軽罵し、其の長短を求むることなかれ。
若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・菩薩の道を求むる者、之を悩まし其れをして疑悔せしめて、其の人に語って汝等道を去ること甚だ遠し、終に一切種智を得ること能わじ。所以は何ん、汝は是れ放逸の人なり、道に於て懈怠なるが故にと言うこと得ることなかれ。
又亦諸法を戯論して諍競する所あるべからず。
当に一切衆生に於て大悲の想を起し、諸の如来に於て慈父の想を起し、諸の菩薩に於て大師の想を起すべし。
十方の諸の大菩薩に於て常に深心に恭敬・礼拝すべし。
一切衆生に於て平等に法を説け。法に順ずるを以ての故に多くもせず少くもせざれ。乃至深く法を愛せん者にも亦為に多く説かざれ。
文殊師利、是の菩薩摩訶薩後の末世の法滅せんと欲せん時に於て、是の第三の安楽行を成就することあらん者は、是の法を説かん時能く悩乱するものなけん。
好き同学の共に是の経を読誦するを得、亦大衆の而も来って聴受し、聴き已って能く持ち、持ち已って能く誦し、誦し已って能く説き、説き已って能く書き、若しは人をしても書かしめ、経巻を供養し、恭敬・尊重・讃歎するを得ん。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

若し是の経を説かんと欲せば 当に嫉恚慢
諂誑邪偽の心を捨てて 常に質直の行を修すべし
人を軽蔑せず 亦法を戯論せざれ
他をして疑悔せしめて 汝は仏を得じと云わざれ
是の仏子法を説かんには 常に柔和にして能く忍び
一切を慈悲して 懈怠の心を生ぜざれ
十方の大菩薩 衆を愍むが故に道を行ずるに
恭敬の心を生ずべし 是れ則ち我が大師なりと
諸仏世尊に於て 無上の父の想を生じ
憍慢の心を破して 法を説くに障碍なからしめよ
第三の法是の如し 智者守護すべし
一心に安楽に行ぜば 無量の衆に敬われん

又文殊師利、菩薩摩訶薩後の末世の法滅せんと欲せん時に於て法華経を受持することあらん者は、在家・出家の人の中に於て大慈の心を生じ、菩薩に非る人の中に於て大悲の心を生じて、是の念を作すべし、是の如きの人は則ち為れ大に如来の方便随宜の説法を失えり。
聞かず知らず覚らず、問わず信ぜず解せず。其の人是の経を問わず信ぜず解せずと雖も、我阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、随って何れの地に在っても、神通力・智慧力を以て、之を引いて是の法の中に住することを得せしめん。
文殊師利、是の菩薩摩訶薩如来の滅後に於て此の第四の法を成就することあらん者は、是の法を説かん時、過失あることなけん。
常に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・国王・王子・大臣・人民・婆羅門・居士等に供養・恭敬・尊重・讃歎せらるることを為ん。
虚空の諸天、法を聴かんが為の故に亦常に随侍せん。
若し聚落・城邑・空閑・林中に在らんとき、人あり来って難問せんと欲せば、諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し、能く聴者をして皆歓喜することを得せしめん。所以は何ん、此の経は是れ一切の過去・未来・現在の諸仏の神力をもって護りたもう所なるが故に。
文殊師利、是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず。何に況や見ることを得受持し読誦せんをや。
文殊師利、譬えば強力の転輪聖王の、威勢を以て諸国を降伏せんと欲せんに、而も諸の小王其の命に順わざらん。時に転輪王種々の兵を起して往いて討伐するに、王、兵衆の戦うに功ある者を見て即ち大に歓喜し、功に随って賞賜し、或は田宅・聚落・城邑を与え、或は衣服・厳身の具を与え、或は種々の珍宝を金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・珊瑚・琥珀・象馬・車乗・奴婢・人民を与う。唯髻中の明珠のみを以て之を与えず。所以は何ん、独王の頂上に此の一つの珠あり。若し以て之を与えば、王の諸の眷属必ず大に驚き怪まんが如く、文殊師利、如来も亦復是の如し。禅定・智慧の力を以て法の国土を得て三界に王たり。而るを諸の魔王肯て順伏せず。如来の賢聖の諸将之と共に戦うに、其の功ある者には心亦歓喜して、四衆の中に於て為に諸経を説いて其の心をして悦ばしめ、賜うに禅定・解脱・無漏根・力の諸法の財を以てし、又復涅槃の城を賜与して、滅度を得たりと言って其の心を引導して皆歓喜せしむ。而も為に是の法華経を説かず。
文殊師利、転輪王の諸の兵衆の大功ある者を見ては心甚だ歓喜して、此の難信の珠の久しく髻中に在って妄りに人に与えざるを以て、今之を与えんが如く、如来も亦復是の如し。三界の中に於て大法王たり。法を以て一切衆生を教化す。賢聖の軍五陰魔・煩悩魔・死魔と共に戦うに大功勲有って、三毒を滅し、三界を出でて魔網を破するを見ては、爾の時に如来亦大に歓喜して、此の法華経の能く衆生をして一切智に至らしめ、一切世間に怨多くして信じ難く、先に未だ説かざる所なるを而も今之を説く。
文殊師利、此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり。末後に賜与すること、彼の強力の王の久しく護れる明珠を、今乃ち之を与うるが如し。
文殊師利、此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり。長夜に守護して妄りに宣説せざるを、始めて今日に於て乃ち汝等がために而も之を敷演す。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

常に忍辱を行じ 一切を哀愍して  乃ち能く 仏の讃めたもう所の経を演説す
後の末世の時に 此の経を持たん者は  家と出家と 及び非菩薩とに於て
慈悲を生ずべし 斯れ等  是の経を聞かず信ぜず 則ち為れ大に失えり
我仏道を得て 諸の方便を以て  為に此の法を説いて 其の中に住せしめん
譬えば強力の 転輪の王  兵の戦う功あるに 諸物の
象馬車乗 厳身の具  及び諸の田宅 聚落城邑を賞賜し
或は衣服 種々の珍宝  奴婢財物を与え 歓喜して賜与す
如し勇健にして 能く難事を為すことあるには  王髻中の 明珠を解いて之を賜わんが如く
如来も亦爾なり 為れ諸法の王  忍辱の大力 智慧の法蔵あり
大慈悲を以て 法の如く世を化す  一切の人の 諸の苦悩を受け
解脱を欲求して 諸の魔と戦うを見て  是の衆生の為に 種々の法を説き
大方便を以て 此の諸経を説く  既に衆生 其の力を得已んぬと知っては
末後に乃ち為に 是の法華を説くこと  王髻の 明珠を解いて之を与えんが如し
此の経は為れ尊 衆経の中の上なり  我常に守護して 妄りに開示せず
今正しく是れ時なり 汝等が為に説く  

我が滅度の後に 仏道を求めん者
安穏にして 斯の経を演説することを得んと欲せば  応当に 是の如き四法に親近すべし
是の経を読まん者は 常に憂悩なく  又病痛なく 顔色鮮白ならん
貧窮 卑賎醜陋に生れじ  衆生見んと楽うこと 賢聖を慕うが如くならん
天の諸の童子 以て給使を為さん  刀杖も加えず 毒も害すること能わじ
若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せん  遊行するに畏れなきこと 師子王の如く
智慧の光明 日の照すが如くならん  若し夢の中に於ても 但妙なる事を見ん
諸の如来の 師子座に坐して  諸の比丘衆に 圍繞せられて説法したもうを見ん
又龍神 阿修羅等  数恒沙の如くにして 恭敬合掌し
自ら其の身を見るに 而も為に法を説くこと見ん  又諸仏の 身相金色にして
無量の光を放って 一切を照し  梵音声を以て 諸法を演説し
仏四衆の為に 無上の法を説きたもう  身を見るに中に処して 合掌して仏を讃じ
法を聞き歓喜して 供養を為し  陀羅尼を得 不退智を証す
仏其の心 深く仏道に入れりと知しめして  即ち為に 最正覚を成ずることを授記して
汝善男子 当に来世に於て  無量智の 仏の大道を得て
国土厳浄にして 広大なること比なく  亦四衆あり 合掌して法を聴くべしとのたもうを見ん
又自身 山林の中に在って  善法を修習し 諸の実相を証し
深く禅定に入って 十方の仏を見たてまつると見ん  

諸仏の身金色にして 百福の相荘厳したもう  法を聞いて人の為に説く 常に是の好き夢あらん
又夢むらく国王と作って 宮殿眷属  及び上妙の五欲を捨てて 道場に行詣し
菩提樹下にあって 師子座に処し  道を求むること七日過ぎて 諸仏の智を得
無上道を成じ已り 起って法輪を転じ  四衆の為に法と説くこと 千万億劫を経
無漏の妙法を説き 無量の衆生を度して  後に当に涅槃を入ること 煙尽きて灯の滅ゆるが如し
若し後の悪世の中に 是の第一の法を説かば  是の人大利を得んこと 上の諸の功徳の如くならん
法華経

『法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)は、初期大乗仏教経典の1つである『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』(梵: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Puṇḍarīka Sūtra 、「正しい教えである白い蓮の花の経典」の意)の漢訳での総称。「正法白蓮花経」

 梵語(サンスクリット)原題の意味は、「サッ」(sad)が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)が「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)が「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)が「たて糸:経」であるが、漢訳に当たってこのうちの「白」だけが省略されて、例えば鳩摩羅什訳では『妙法蓮華経』となった。さらに「妙」、「蓮」が省略された表記が、『法華経』である。「法華経」が「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合が多い。
 原題については以上のように説明されてきたが、「プンダリーカ」が複合語の後半にきて、前半の語を譬喩的に修飾するというサンスクリット文法に照らしても、欧米語の訳し方からしても「白蓮華のように〔最も勝れた〕正しい教え」と訳すべきで、白蓮華が象徴する「最も勝れた」と「正しい」という意味を「妙」にこめて鳩摩羅什が「妙法蓮華」と漢訳したということが植木雅俊によって詳細に論じられている。

 漢訳は、部分訳・異本を含めて16種が現在まで伝わっているが、完訳で残存するのは
•『正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年、大正蔵263)
•『妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年、大正蔵262)
•『添品妙法蓮華経』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳、601年、大正蔵264) の3種で、漢訳三本と称されている。
 漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」として流行し、天台教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられている。 天台宗、日蓮宗系の宗派には、『法華経』に対し『無量義経』を開経、『観普賢菩薩行法経』を結経とする見方があり、「法華三部経」と呼ばれている。日本ではまた護国の経典とされ、『金光明経』『仁王経』と併せ「護国三部経」の一つとされた。

 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。
 現在、日本で広く用いられている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。
 また、三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。
前半部を迹門(しゃくもん)と呼び、般若経で説かれる大乗を主題に、二乗作仏(二乗も成仏が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。
 さらに提婆達多の未来成仏(悪人成仏)等、”一切の衆生が、いつかは必ず「仏」に成り得る”という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する多宝如来が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。そして、この教えを信じ弘める行者は必ず世間から迫害されると予言するキリスト教やユダヤ教等とも共通する「受難劇」の視点も見られる。
 後半部を本門(ほんもん)と呼び、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦牟尼仏は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠の五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に本仏論問題を惹起する。
本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより”一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。
 説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。末法愚人を導く法として上行菩薩等の地湧(じゆ)の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。

妙法蓮華経二十八品一覧
前半14品(迹門)
第1:序品(じょほん)、第2:方便品(ほうべんぼん)、第3:譬喩品(ひゆほん)、第4:信解品(しんげほん)、第5:薬草喩品(やくそうゆほん)、第6:授記品(じゅきほん)、第7:化城喩品(けじょうゆほん)、第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)、第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)、第10:法師品(ほっしほん)、第11:見宝塔品(けんほうとうほん)、第12:提婆達多品(だいばだったほん)、第13:勧持品(かんじほん)、第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)

後半14品(本門)
第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)、第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)、第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)、第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)、第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)、第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)、第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)、第22:嘱累品(ぞくるいほん)、第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)、第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)、第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経)、第26:陀羅尼品(だらにほん)、第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)、第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)

その他の追加部分 第29:廣量天地品(こうりょうてんちぼん)、第30:馬明菩薩品(めみょうぼさつぼん) 28品のほか、以上の追加部分も成立しているが、偽経扱いとなり普及しなかった。「度量天地品第二十九」は冒頭部分のみを除いて失われている。『妙法蓮華経』28品と同じくネット上でも大正新脩大蔵経データベースで閲覧できる。

法華七喩(ほっけしちゆ)
 法華経では、7つのたとえ話として物語が説かれている。これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化した様子に則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。これを法華七喩、あるいは七譬(しちひ)ともいう。
1.三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)
2.長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)
3.三草二木(さんそうにもく、薬草喩品)
4.化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)
5.衣裏繋珠(えりけいしゅ、五百弟子受記品)
6.髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
7.良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)

成立年代
 『法華経』の成立時期については諸説ある。
 代表的な説として布施浩岳が『法華経成立史』(1934)で述べた説がある。これは段階的成立説で、法華経全体としては3類、4記で段階的に成立した、とするものである。第一類(序品~授学無学人記品および随喜功徳品の計10品)に含まれる韻文は紀元前1世紀ころに思想が形成され、紀元前後に文章化され、長行(じょうごう)と呼ばれる散文は紀元後1世紀に成立したとし、第二類(法師品~如来神力品の計10品)は紀元100年ごろ、第三類(7品)は150年前後に成立した、とした。
 その後の多くの研究者たちは、この説に大きな影響を受けつつ、修正を加えて改良してきた。だが、近年になって苅谷定彦によって、「序品~如来如来神力品が同時成立した」とする説が唱えられたり、勝呂信静によって27品同時成立説が唱えられたことによって、成立年代特定の問題は「振り出しにもどった」というのが現今の研究の状況だ、と管野博史は1998年刊行の事典において解説した。
 中村元は、(法華経に含まれる)《長者窮子の譬喩》に見られる、金融を行って利息を取っていた長者の臨終の様子から、「貨幣経済の非常に発達した時代でなければ、このような一人富豪であるに留まらず国王等を畏怖駆使せしめるような資本家はでてこないので、法華経が成立した年代の上限は西暦40年である」と推察した。また、渡辺照宏も、「50年間流浪した後に20年間掃除夫だった男が実は長者の後継者であると宣言される様子から、古来インド社会はバラモンを中心とした強固なカースト制度があり、たとえ譬喩であってもこうしたケースは現実味が乏しく、もし考え得るとすればバラモン文化の影響が少ない社会環境でなければならない」と述べた。

流布
 ユーラシア大陸での法華経の流布
 この経は日本に伝わる前、ユーラシア大陸東部で広く流布した。先ず、インドに於いて広範に流布していたためか、サンスクリット本の編修が多い。羅什の訳では真言・印を省略する。添品法華経ではこれらを追加している。
 またチベット語訳、ウイグル語訳、西夏語訳、モンゴル語訳、満洲語訳、朝鮮語(諺文)訳などがある。これらの翻訳の存在によって、この経典が広い地域にわたって読誦されていたことが理解できる。チベット仏教ゲルク派開祖ツォンカパは主著『菩提道次第大論』で、滅罪する方便として法華経を読謡することを勧めている。
 ネパールでは九法宝典(Nine Dharma Jewels)の一つとされている。
 中国天台宗では、『法華経』を最重要経典として採用した。中国浙江省に有る天台山国清寺の智顗(天台大師)は、鳩摩羅什の『妙法蓮華経』を所依の経典とした。

日本での法華経の流布
 『法華義疏』『平家納経』観普賢経見返し 長寛2年(1164年)
 日本では正倉院に法華経の断簡が存在し、日本人にとっても古くからなじみのあった経典であったことが伺える。 606年(推古14年)に聖徳太子が法華経を講じたとの記事が日本書紀にある。 「皇太子、亦法華経を岡本宮に講じたまふ。天皇、大きに喜びて、播磨国の水田百町を皇太子に施りたまふ。因りて斑鳩寺に納れたまふ。」(巻第22、推古天皇14年条) 615年には聖徳太子は法華経の注釈書『法華義疏』を著した (「三経義疏」参照)。
 聖徳太子以来、法華経は仏教の重要な経典のひとつであると同時に、鎮護国家の観点から、特に日本国には縁の深い経典として一般に考えられてきた。聖武天皇の皇后である光明皇后は、全国に「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで「法華経」を信奉した。最澄によって日本に伝えられた天台宗は、明治維新までは皇室の厚い尊崇を受けた。また最澄は、自らの宗派を「天台法華宗」と名づけて「法華経」を至上の教えとした。

鎌倉時代
 鎌倉新仏教においても法華経は重要な役割を果たした。 大念仏を唱え融通念仏宗の祖となる良忍は後の浄土系仏教の先駆として称名念仏を主張したが、華厳経と法華経を正依とし、浄土三部経を傍依とした。 一方で浄土宗の祖である法然や浄土真宗を開いた親鸞などは、比叡山で万人成仏を説く法華経を学んだのちに、持戒や難行を必要としない称名念仏を万人成仏の具体的な手段として見出し、専修念仏を説いた。 曹洞宗の祖師である道元は、「只管打坐」の坐禅を成仏の実践法として宣揚しながらも、その理論的裏づけは、あくまでも法華経の教えの中に探し求めていこうとし続けた。臨終の時に彼が読んだ経文は、法華経の如来神力品であった。
 日蓮は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱え(唱題行)、妙法蓮華経に帰命していくなかで凡夫の身の中にも仏性が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る、という教えを説き、法華宗各派の祖となった。それまでも祈祷や懺悔滅罪のために法華経の読誦や写経は盛んに行われていたが、日蓮教学の法華宗は、この経の題目(題名)の「妙法蓮華経」(鳩摩羅什漢訳本の正式名)の五字を重んじ、南無妙法蓮華経(五字七字の題目)と唱えることを正行(しょうぎょう)とした所に特色がある。

 近代 近代においても法華経は、おもに日蓮を通じて多くの作家・思想家に影響を与えた教典である。島地大等編訳の『漢和対照妙法蓮華経』に衝撃を受け、のち田中智学の国柱会に入会した宮沢賢治(詩人・童話作家)や、高山樗牛(思想家)、妹尾義郎(宗教思想家)、北一輝、石原莞爾らがよく知られている。
 1945年太平洋戦争での敗戦後、法華経は女人成仏は可か否かなど一部の文言については進駐軍の意向もあり教学上、解釈の変更も一部の宗派では余儀なくされた。
 経本としても流通しているが、『妙法蓮華経』全体では分量が大きいこともあり、いくつかの品を抜粋した『妙法蓮華経要品』(ようぼん)も刊行されている。

経典としての位置づけ
法華経を所依の経典とする派の立場
 法華経を所依の経典として重視する諸派は、法華経を、釈迦が晩年に説いたとする釈迦の法(教え)の極意{正法(妙法)}と位置づける智顗の教説を継承している。

文献学的研究者の立場
 一方、文献学的研究では、法華経が、西暦紀元前後、部派仏教と呼ばれる専従僧侶独占に反発する教団によって編纂されたと推測する説もある。 また、文献学といっても、たとえば、サンスクリット重視の立場で研究しても、そのサンスクリット原典そのものが、原典ではなく、写本であり、その成立年代も漢訳の仏典より、さらに新しいという例も多々あり、文献学もいまだ発展途上である。

文献学的研究に対する反応
 法華経の成立が、釈迦存命時より数世紀後だという文献学の成果に対し、日本と他の大乗仏教圏諸国では受容の仕方が異なる。日本の伝統教団では、師の教義を弟子が継承し発展させることは、生きた教団である以上あり得ることから、法華経をはじめ般若経、大般涅槃経など後世の成立とされる大乗経典は根無し草の如き存在ではない。釈迦の直説を長い時を経て弟子から弟子へと継承される課程で発展していったものとして、後世の経典もまた「釈迦の教義」として認める、という類の折衷的解釈を打ち出す傾向がみられるのに対し、中国・台湾、インド・ネパール、チベット・ブータン、モンゴル・ブリヤート・トゥバ・カルムイク等、他の大乗仏教圏諸国における諸教団・信者の間ではまったく釈尊の真説と認識され、このような文献学の営為を信者ではないものによる誹謗とみなしてほぼ黙殺、信仰を揺るがす問題には全くなっていない。
正法眼蔵 その他 Ⅱ
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