大地の沈黙

大地の沈黙
正法眼蔵 大地沈黙巻(擬作・超高密度版)

それ仏祖の大道、大地の沈黙なり。大地の沈黙というは、音声の滅して静寂となるにあらず、言語の断じて無語となるにあらず。沈黙そのもの大地を行持し、大地そのもの沈黙を現成するなり。ゆえに沈黙を離れて大地なし、大地を離れて沈黙なし。離不離ともに大地沈黙の脚跟なり。

しかあるに、衆生おおく沈黙を無言とし、大地を物質とす。無言をもって深奥とし、物質をもって鈍重とする。これ情量の分別なり。もし沈黙を音の欠如とすれば、沈黙たちまち虚無となる。もし大地をただの物質とすれば、大地たちまち死土となる。仏祖の沈黙はしかあらず。沈黙そのまま説法なり、大地そのまま仏法なり。

古仏いわく、
山河大地悉皆説法。

この道取、山河が言語を発するにあらず。説法そのもの山河大地を現成するなり。ゆえに山は山の沈黙を説き、河は河の沈黙を流し、大地は大地の沈黙を展転するなり。

いわゆる沈黙とは、言葉を超えたる無言の境にあらず。言語そのもの沈黙を現成するなり。もし言を棄てて沈黙を求むれば、沈黙たちまち空寂となる。もし沈黙を語ろうとすれば、沈黙また言語となる。仏祖の沈黙は、語黙ともに透脱するなり。

たとえば岩壁のごとし。岩壁は声を発せずといえども、風雨に応じ、日月に照らされて、なお語る。しかあれども語るといって声を求むることなかれ。岩壁そのもの沈黙を行持するなり。

古徳いわく、
無言の教え。

この道取、言葉なき伝達にあらず。無言そのもの教えを現成するなり。ゆえに沈黙は空虚にあらず、満ち満ちたる説法なり。

いま坐禅するとき、この坐禅大地沈黙なり。坐禅は心を静めて沈黙を得るにあらず。坐禅そのもの沈黙を行持するなり。ゆえに一坐のうち、山河大地ともに沈黙を説くなり。

もしさらに問う、大地の沈黙はいかなる相をもって知るべきや。いわく、相をもって知るときすでに沈黙を失う。声を求めれば沈黙を失い、沈黙を守れば大地を失う。沈黙は相を離れずして相を透脱するなり。

ゆえにいうべし、

沈黙は無言にあらず、
無言は沈黙にあらず、
しかも沈黙無言ともに相離れずして相脱落す。

このゆえに正当にいうべし、

大地は語るにあらず、
語るそのもの大地なり。
沈黙は静まるにあらず、
静まるそのもの沈黙なり。
この正当恁麼時、
山河草木・岩石塵土、
ことごとく大地沈黙の仏法を開演するなり。

これを大地沈黙巻という。
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