坐禅の風光
坐禅の風光
■【第3ブロック:坐禅・行為・日常】(25〜36):道元が描きたかった正法眼蔵の続き ■
★注目スレッド: 「フェルマーの最終定理」と「禅」の本質的な共通点(28) ポワンカレ予想と禅 ~真実と真実が共鳴する瞬間を語る~(5) 仏道と何か?(7) 参学の総論を語りましょう。(19) 坐禅 全般を語りましょう。(35) 正法眼蔵 全般を語りましょう。(12) 如浄の風鈴の詩について(53) 「空華=幻ではない」という逆転の論理を詳しく分析(29) 坐禅の深奥(1) 坐禅の無心(1) 坐禅の風光(1) 行為即仏法(1) 日常の悟り(1) 食事の仏法(1) 歩行の仏道(1) 作務の光(1) 日常の円相(1) 行為の無為(1) 日常の無心(1) 行為の現成(1)
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以下は、道元の原文ではなく、『正法眼蔵』の語勢・転回・逆照・現成・修証一等・身心脱落・山水経的世界観を踏まえ、その難解性を極端化して試みた創作である。
正法眼蔵 坐禅風光
(試擬・正法眼蔵調・超高密度)
いはゆる坐禅の風光とは、
坐禅の後に見る風光にあらず。
坐禅の中に現ずる境界にあらず。
風光を得ることにあらず。
風光を観ずることにあらず。
風光すなはち坐禅なり。
坐禅すなはち風光なり。
しかあれども、
風光を境界と見るとき、
風光すでに塵となる。
坐禅を主体と見るとき、
坐禅すでに夢となる。
しるべし。
佛祖の坐禅、
風光を生ぜず。
風光また坐禅を荘厳せず。
坐禅風光、
本来同参なり。
ゆゑに古佛いはく、
「本地風光」。
しるべし。
本地は始原にあらず。
風光は景色にあらず。
本地とは現成なり。
風光とは脱落なり。
現成脱落、
これを本地風光と稱す。
人おほく思ふ。
坐禅深まれば風光現ずと。
しかあれども、
深浅を量る心、
すでに風光を失へり。
現不現を論ずる念、
すでに本地を覆へり。
佛祖の風光、
現ずるにあらず。
隠るるにあらず。
現隠未生以前にして、
現隠脱落以後にあらず。
これ風光の骨髄なり。
たとへば、
春風起こる。
枯木龍吟す。
人おもへらく、
春ありて龍吟ありと。
しるべし。
春、
龍吟を生ぜず。
龍吟、
春を待たず。
春すでに龍吟なり。
龍吟すでに春なり。
しかあれども、
春春に住せず。
龍吟龍吟を知らず。
これ坐禅風光なり。
また秋葉凋み落つ。
寒林花を散ず。
人おもへらく、
衰滅の景なりと。
しるべし。
散るところ全花なり。
滅するところ全生なり。
落葉、
秋を失はず。
秋、
落葉を持せず。
しかも十方世界ともに黄葉なり。
これ坐禅の秋色なり。
さらにいはく。
玉階苔蘚の紋を鋪き、
人面煙霞の色を帯す。
しるべし。
苔は階を覆はず。
階また苔を支へず。
人面、
煙霞を帯ぶるにあらず。
煙霞、
人面を染むるにあらず。
しかあれども、
面目そのもの煙霞なり。
煙霞そのもの面目なり。
これを本来面目の風光と稱す。
音塵寂爾として消息宛然なり。
しるべし。
消息は音にあらず。
寂爾は沈黙にあらず。
鐘鳴らずして十方に響き、
猿啼かずして千峰に徹す。
聞く者なし。
しかも全界聴聞す。
これ坐禅の耳根なり。
華は笑くことを解し、
鳥は啼くことを解す。
木馬長く鳴き、
石牛善く走る。
しるべし。
木馬、
無情にあらず。
石牛、
有情にあらず。
有情無情、
ともに佛祖の皮肉骨髄なり。
もし木馬を譬喩と見れば、
木馬すでに死す。
もし石牛を奇瑞と見れば、
石牛すでに止まる。
木馬の鳴くところ、
法界の脈動あり。
石牛の走るところ、
虚空の行持あり。
これ無情説法の深処なり。
さらにいはく。
天外の青山色寡く、
耳畔の鳴泉声無し。
人おもへらく、
静寂の極なりと。
しるべし。
青山色を失ふにあらず。
鳴泉聲を滅するにあらず。
色尽きて全色なり。
聲尽きて全聲なり。
ここに至りて、
山は山を運歩し、
水は水を流通す。
しかも一歩も動かず。
これ坐禅の風光なり。
また嶺上猿啼き、
露中霄月を濕らす。
林下鶴唳き、
風清暁松を廻る。
猿聲、
夜月を濡らすにあらず。
月光、
猿聲を照らすにあらず。
鶴唳、
松風を動かすにあらず。
松風、
鶴唳を運ぶにあらず。
しかあれども、
聲即月なり。
月即露なり。
露即松なり。
松即風なり。
一法として孤立せず。
一法として混同せず。
これ法界縁起の風光なり。
ゆゑに佛祖の坐禅、
境界を求めず。
神通を待たず。
光明を欲せず。
しかあれども、
端坐一炷香、
盡十方界ともに本地風光なり。
風光を得る者なし。
風光を失ふ者なし。
坐禅、
風光を坐す。
風光、
坐禅を證す。
能證所證ともに脱落して、
枯木なお龍吟し、
石牛なお奔走す。
歴歴孤明。
現成公案。
これを
坐禅風光
と稱す。
合掌。
正法眼蔵 坐禅風光
(試擬・正法眼蔵調・超高密度)
いはゆる坐禅の風光とは、
坐禅の後に見る風光にあらず。
坐禅の中に現ずる境界にあらず。
風光を得ることにあらず。
風光を観ずることにあらず。
風光すなはち坐禅なり。
坐禅すなはち風光なり。
しかあれども、
風光を境界と見るとき、
風光すでに塵となる。
坐禅を主体と見るとき、
坐禅すでに夢となる。
しるべし。
佛祖の坐禅、
風光を生ぜず。
風光また坐禅を荘厳せず。
坐禅風光、
本来同参なり。
ゆゑに古佛いはく、
「本地風光」。
しるべし。
本地は始原にあらず。
風光は景色にあらず。
本地とは現成なり。
風光とは脱落なり。
現成脱落、
これを本地風光と稱す。
人おほく思ふ。
坐禅深まれば風光現ずと。
しかあれども、
深浅を量る心、
すでに風光を失へり。
現不現を論ずる念、
すでに本地を覆へり。
佛祖の風光、
現ずるにあらず。
隠るるにあらず。
現隠未生以前にして、
現隠脱落以後にあらず。
これ風光の骨髄なり。
たとへば、
春風起こる。
枯木龍吟す。
人おもへらく、
春ありて龍吟ありと。
しるべし。
春、
龍吟を生ぜず。
龍吟、
春を待たず。
春すでに龍吟なり。
龍吟すでに春なり。
しかあれども、
春春に住せず。
龍吟龍吟を知らず。
これ坐禅風光なり。
また秋葉凋み落つ。
寒林花を散ず。
人おもへらく、
衰滅の景なりと。
しるべし。
散るところ全花なり。
滅するところ全生なり。
落葉、
秋を失はず。
秋、
落葉を持せず。
しかも十方世界ともに黄葉なり。
これ坐禅の秋色なり。
さらにいはく。
玉階苔蘚の紋を鋪き、
人面煙霞の色を帯す。
しるべし。
苔は階を覆はず。
階また苔を支へず。
人面、
煙霞を帯ぶるにあらず。
煙霞、
人面を染むるにあらず。
しかあれども、
面目そのもの煙霞なり。
煙霞そのもの面目なり。
これを本来面目の風光と稱す。
音塵寂爾として消息宛然なり。
しるべし。
消息は音にあらず。
寂爾は沈黙にあらず。
鐘鳴らずして十方に響き、
猿啼かずして千峰に徹す。
聞く者なし。
しかも全界聴聞す。
これ坐禅の耳根なり。
華は笑くことを解し、
鳥は啼くことを解す。
木馬長く鳴き、
石牛善く走る。
しるべし。
木馬、
無情にあらず。
石牛、
有情にあらず。
有情無情、
ともに佛祖の皮肉骨髄なり。
もし木馬を譬喩と見れば、
木馬すでに死す。
もし石牛を奇瑞と見れば、
石牛すでに止まる。
木馬の鳴くところ、
法界の脈動あり。
石牛の走るところ、
虚空の行持あり。
これ無情説法の深処なり。
さらにいはく。
天外の青山色寡く、
耳畔の鳴泉声無し。
人おもへらく、
静寂の極なりと。
しるべし。
青山色を失ふにあらず。
鳴泉聲を滅するにあらず。
色尽きて全色なり。
聲尽きて全聲なり。
ここに至りて、
山は山を運歩し、
水は水を流通す。
しかも一歩も動かず。
これ坐禅の風光なり。
また嶺上猿啼き、
露中霄月を濕らす。
林下鶴唳き、
風清暁松を廻る。
猿聲、
夜月を濡らすにあらず。
月光、
猿聲を照らすにあらず。
鶴唳、
松風を動かすにあらず。
松風、
鶴唳を運ぶにあらず。
しかあれども、
聲即月なり。
月即露なり。
露即松なり。
松即風なり。
一法として孤立せず。
一法として混同せず。
これ法界縁起の風光なり。
ゆゑに佛祖の坐禅、
境界を求めず。
神通を待たず。
光明を欲せず。
しかあれども、
端坐一炷香、
盡十方界ともに本地風光なり。
風光を得る者なし。
風光を失ふ者なし。
坐禅、
風光を坐す。
風光、
坐禅を證す。
能證所證ともに脱落して、
枯木なお龍吟し、
石牛なお奔走す。
歴歴孤明。
現成公案。
これを
坐禅風光
と稱す。
合掌。
坐禅の風光