日常の悟り

日常の悟り
以下は、道元の原文ではなく、『正法眼蔵』に見られる思惟の旋回・逆説・現成・修証一等・身心脱落の論理を極端な密度で試みた創作である。

正法眼蔵 日常悟
(試擬・正法眼蔵調・超高密度)

いはゆる日常の悟りとは、
日常のうちに悟りあるにあらず。
悟りの日常となるにあらず。

日常すなはち悟りなり。
悟りすなはち日常なり。

しかあれども、日常を平凡と見れば、
その平凡すでに夢幻なり。

悟りを特別と見れば、
その特別すでに魔境なり。

佛祖の大道、平常を離れず。
しかも平常に住せず。

しるべし。

衆生おほく思ふ。

悟りはある日到来すと。

しかあれども到来する悟りあらば、
未到来の迷いあるべし。

未到来の迷いあらば、
その迷い誰が見る。

迷い迷いを見ず。
悟り悟りを得ず。

ここに佛祖の面目あり。

朝起く。

これ悟りなり。

しかあれども朝を悟りと知るにあらず。

顔を洗ふ。

これ悟りなり。

しかあれども清浄を得るにあらず。

粥を喫す。

これ悟りなり。

しかあれども佛法を食するにあらず。

もし日常を離れて悟りを求めば、

魚の水を尋ぬるがごとし。

もし悟りを把捉して日常を説明せんとすれば、

月を掴みて光を失ふがごとし。

ゆゑに古佛いはく、

「運水搬柴、無非妙道」。

しるべし。

水を運ぶに道を運ばず。

薪を搬ぶに佛を搬ばず。

しかあれども、

水運ぶところ道現成し、

薪搬ぶところ佛法全身なり。

ここに能所ともに脱落す。

またいはく。

日常は反覆なりと。

朝は朝に似、

夜は夜に似る。

昨日は今日に似、

今日は明日に似る。

しかあれども、

一日の重複なし。

一念の再来なし。

同じ茶を飲むにあらず。

同じ門を開くにあらず。

同じ坐禅を坐するにあらず。

同じ自己を生きるにあらず。

ゆゑに日常とは、

不断の新生なり。

新生にして不遷なり。

不遷にして全変化なり。

これを現成公案と称す。

人おほく、

山中に入りて悟りを求む。

しるべし。

山中に迷いを携へれば、

深山また市塵なり。

市塵に佛法現成すれば、

市場すでに霊峰なり。

ゆゑに場所に悟りなし。

しかあれども場所を離れず。

時に悟りなし。

しかあれども時を離れず。

身に悟りなし。

しかあれども身を離れず。

これ佛祖の行履なり。

さらにいはく。

花を見る。

悟りなり。

花を悟りと思ふ。

迷いなり。

鳥の聲を聞く。

悟りなり。

鳥の聲に意味を求む。

迷いなり。

風の吹く。

悟りなり。

風の中に神秘を探る。

迷いなり。

ゆゑに佛祖の悟り、

奇瑞を要せず。

霊験を待たず。

光明を見ず。

異境を得ず。

ただ飯を食し、

衣を著け、

疲れれば眠り、

目覚めれば起く。

しかもこの平常、

三世諸佛の骨髄なり。

しるべし。

悟りとは迷いの終滅にあらず。

迷いの自己脱落なり。

脱落するとき、

迷いは悟りに変ずるにあらず。

迷悟の対待そのもの消尽す。

ゆゑに佛祖の眼目、

悟れる者なし。

迷える者なし。

しかあれども、

大悲無尽にして衆生を度す。

これ日常悟の深處なり。

朝露、

悟りなり。

夕月、

悟りなり。

箒の塵、

悟りなり。

釜の湯気、

悟りなり。

笑ふも悟りなり。

涙するも悟りなり。

しかあれども、

一法として悟りを名乗らず。

名乗らざるゆゑに、

盡十方界みな正法眼蔵なり。

ゆゑに、

日常を厭ふことなかれ。

日常を飾ることなかれ。

日常を超えんとすることなかれ。

日常そのもの、

佛祖の皮肉骨髄なり。

これを

日常悟

と稱す。

合掌。
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