布施の恣意的主観 PART4

布施の恣意的主観 PART4
転じがたきは
衆生のこころなり。

「日本サッカーを善く」しようとか、
「チームを強く」しようと思った時に、

「選手達の心は転じる」のが難しい、
「元々難しいと分かっている」

「欲張れない時に欲張らない」
「深い追いできない時に深追いしない」
「昔の最適」よりも「#今の最適に集中する」
諸仏のひとつの功徳を
すでに正伝しつくれるがゆゑに、

サッカーを「#人から学ぶ」人間は、
いずれ「貪り、怒り、愚かさ」で「自分が歪む」。


サッカーを「#仏から学ぶ」人間は、
ひたすら「求めず、得ようとせず、考えず」

人が思えない所にも
人の正解はある

仏=「比べず、急がず、怠らず」
菩薩の一法を
はじめて修行するがゆゑに。

「動く事」の逆は
「動かない事」

「勉強」の対義語は
「坐禅」

「無明」の逆は
「光明」

「スポーツ」の対義語は
「正法眼蔵」

サッカー至上主義は
サッカーを極められない、

「自己の中に全て」あるから、
「自己を習う」「自己を忘れる」
#向きの逆
諸仏のひとつの功徳を
すでに正伝しつくれるがゆゑに

「答えを出す事」の逆は 
「自己を習う事」と「自己を忘れる事」

菩提心を発すというは、
己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さんと
発願し営むなり、

苦にありというとも楽にありというとも、
早く自未得度先度他の心を発すべし。
みづからが所作なりといふとも、
しづかに随喜すべきなり。

基本的に全部、
「#自が自に」「#他が他に」で考える。

徳あるは褒めるべし、徳なきは憐れむべし、
と言われたら、

「#徳のある自分」を褒めて、
「#徳の無い自分」を憐れむ、と考える。

自分の中に可能性、
広く自分自身を究竟参徹
「#固定的に考えて良いものはない」
「#止まる事は煩悩」

もしよく布施に
一塵を捨せんときは、

あらゆる功徳が
説心説性でしかない、

チームのために
選手は変わり続けるし、

選手のために
チームは変わり続ける、

一塵の変化でも、
そのもののかろきをきらはず、
その功の実なるべきなり。
父母妻子に
あたふるも布施なるべし。

直近を知れば、最遠が分かる。
極小知れば、極大をが分かる。

自分がいなくても、
上手く行く組織作りには、
多くを求めなくても良い「組織作りが肝心」で、

「優れたリーダー」よりも、
「#優れた家族」を目指した方が、
「#長期的に少欲知足」でいれる。
しかあればしりぬ、
みづからもちゐるも布施の一分なり、

「指導力の高さ」とは、
「与える事」と「与えやすくする事」

自分が周りを「大事にすれば」、
周りは周りを「大事にしやすくなる」。

自分が周りに「優しさを与えれば」、
周りは周りを「優しさを与えやすくなる」。

#転得転、#次得次
ほとけののたまはく、
於其自身、尚可受用、何況能与父母妻子
(其の自身に於ても、尚ほ受用すべし、
何に況んや能く父母妻子に与へんをや)


今の自分自身があるのは
「#少欲知足のお陰」であって、

組織やシステム、文化ではない。
それらは
「#少欲知足」として機能した時に
意義深くなる
まことに、

みづからに
布施の功徳の本具なるゆゑに、
いまのみづからはえたるなり。

今の自分自身があるのは、
周りが貪らなかったお陰、

周りが貪っていたら、
今の自分自身は無かった。

赤子の時に、
誰かが貪っていたら、
誰だって死んでいる。

サッカー選手も同じ、
周りが貪らない事を参究
身力をはげますのみにあらず、
便宜をすごさざるべし。

何事も「#タイミング」が重要

サッカーを極めるには
「サッカーを習う」のではなく
「#自己を習う」

自分の中に
「無限の可能性」があるから、
タイミング事に「#自己を習う」

「#タイミング」事に
「#自が自に」「#他が他に」
布施の恣意的主観 PART4
返信する