しかあればすなはち、声聞の教行証、いまだ正命にあらざるなり。

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トピックのレビュー
   

展開ビュー トピックのレビュー: しかあればすなはち、声聞の教行証、いまだ正命にあらざるなり。

以下は、この一段を
「小乗批判」や「戒律運用の是非論」として読むことを超えて、
なぜ道元がここで〈分別するな〉という言説を、これほど厳しく退けるのか
という一点に集中して、仏道的に深掘りする視点です。

ここは、八正道・正命論の最後の落とし穴を塞ぐ箇所です。

Ⅰ.冒頭の確定:声聞の教・行・証は否定されていない

| 声聞の教行証、いまだ正命にあらざるなり

まず決定的に押さえるべき点はこれです。

・声聞の教(教説)
・声聞の行(修行)
・声聞の証(悟り)
これらは否定されていません。欠陥があるとも言われていません。

言われているのはただ一つ。

| それは「正命」ではない

Ⅱ.問題は「劣っている」かではない

ここで道元が問題にしているのは、

・小乗は低い
・大乗は高い

という序列ではありません。

問題は射程です

・声聞の教行証:
 個人の解脱に収束する構造
・正命:
 仏法が世界に存続し続ける構造
到達点が違う

Ⅲ.「分別すべからず」という言葉の罠

| 近日庸流いはく、
| 声聞、菩薩を分別すべからず

一見すると、この言葉は:
・非差別
・大乗的平等
・深い理解

のように聞こえます。

しかし道元は、ここに最大の危険を見る。

Ⅳ.分別しないことが、なぜ破壊になるのか

分別とはここでは:
・優劣をつけること
 ではありません。
構造の違いを見分けること

・声聞の道:
 解脱に向かう
・菩薩の道:
 生死を引き受け続ける
これを「同じ」と言った瞬間、

・声聞の法が
・菩薩の衣を着て
・菩薩法そのものを侵食する

Ⅴ.威儀戒律の「共用」が生む致命的錯誤

| その威儀戒律ともにもちゐるべし

ここが、道元の実務的な怒りの核心です。

同じ戒律を使うこと自体が問題なのではない

問題は:声聞の目的の戒をもって、
菩薩の生き方を裁くこと

・声聞戒:
 汚れを避けるための戒
・菩薩戒:
 生死を担うための戒
目的が違う戒は、同じ形でも働きが違う

Ⅵ.「小乗法で大乗威儀を判ずる」倒錯

| 小乗声聞の法をもて、
| 大乗菩薩法の威儀進止を判ず

これは単なる理論混同ではありません。
仏道の方向を逆転させる行為

・菩薩が生死に踏み込む
 → 「それは戒に反する」と裁かれる
・菩薩が人群に入る
 → 「声聞の清浄に反する」と責められる
こうして、

菩薩道は成立不能になる

Ⅶ.なぜ道元は「近日庸流」とまで言うのか

これは罵倒ではありません。
凡庸さの自覚なき善意への警告です。

・平等を語る
・分別しないと言う
・和合を重んじる

しかしその結果、

・正命が失われ
・菩薩が声聞化し
・仏法が自己保存宗教になる

Ⅷ.正命とは「混ぜないこと」

この文脈での正命の核心は、実は非常に明確です。

| 正命とは、
| 法を混ぜないこと
| 道を取り違えないこと

・声聞は声聞として尊重する
・菩薩は菩薩として守る
同一化しないことが、最大の慈悲

Ⅸ.この一段の最終構造

この文章は、次の構造を明示しています。

1. 声聞の完成は否定しない
2. しかし、それは正命ではない
3. 正命を守るには、分別が必要
4. 分別なき平等論は、正命を破壊する

Ⅹ.参究の一句(結語)

| 分別しないことが悟りではない
| 分別すべきところを
| 分別できないことが
| 仏道を殺す
| 正命とは
| 道を混ぜずに
| 命を差し出すことである


最後に(最重要)

この一段は、

・差別を勧める文ではありません
・小乗を蔑ろにする文でもありません
仏法の多様性を守るための、
最も厳密な線引き

「同じだ」と言うのは簡単です。
しかしその一言で、
何世代分もの正命が断たれることがある。

道元は、その危険を
身をもって知っていた。

だからここで、
あえて「分別せよ」と言うのです。

それは、
仏法を未来へ生かすための分別です。
しかあればすなはち、声聞の教行証、いまだ正命にあらざるなり。しかあるを、近日庸流いはく、声聞、菩薩を分別すべからず、その威儀戒律ともにもちゐるべしといひて、小乗声聞の法をもて、大乗菩薩法の威儀進止を判ず。

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