以下は、この一段を
「最終悟境の賛美」や「禅的神秘表現の集積」として読んで終わらせず、
道元が〈正定道支〉をどこに置き、なぜここで“定そのもの”を脱落させているのか
という一点に集約して読むための、仏道的・構造的な深掘りです。
ここは八正道の終点ではありません。
八正道という構造そのものが、ここで壊される地点です。
Ⅰ.冒頭一句の破壊力
| 正定道支とは、脱落仏祖なり、脱落正定なり
ここで、常識的理解は完全に破綻します。
・正定 = 深い集中
・正定 = 禅定の完成
・正定 = 悟りの安定状態
すべて否定
しかも否定の仕方が徹底しています。
・仏祖すら脱落
・正定そのものすら脱落
止まる場所が、一切ない
Ⅱ.「脱落」とは、到達ではない
脱落とは:
・得たあとに捨てること
・高みに達してから手放すこと
ではありません。
最初から、
掴む場所がなかったと露わになること
・仏祖という権威
・正定という境地
それらを支点にしていた
自分の構造が崩壊すること
Ⅲ.「他是能挙」── 正定は自分で成すものではない
| 他是能挙なり
これは極めて重要です。
・自分が坐る
・自分が定に入る
・自分が悟る
すべて誤り
正定とは:
・成し遂げるものではない
・操作できるものでもない
“他”が挙げている
ここでいう「他」とは:
・師
・仏
・宇宙
ではない。
縁起そのもの
Ⅳ.「頂領を剖いて鼻孔と作す」── 主体の完全崩壊
| 剖来頂領作鼻孔
・頂領:
人間が「自分の中心」だと思っている場所
・鼻孔:
呼吸が勝手に通る穴
中心が穴になる
・思考の中心が消える
・主体の座が空洞化する
それでも呼吸は続いている
ここに、
・正定に入っている主体
・定を保っている私
は存在しない。
Ⅴ.「正法眼蔵裏、拈優曇花」── 定は示されるもの
| 正法眼蔵裏、拈優曇花なり
優曇花は:
・千年に一度咲く
・奇跡の花
とされますが、ここでは象徴です。
正定とは、
説明されるものではなく、
示されるもの
・言葉ではなく
・技法でもなく
“拈じられる”出来事
Ⅵ.「百千枚迦葉破顔微笑」── 観る者が消えている
| 百千枚迦葉破顔微笑
・一人の迦葉ではない
・百千の迦葉
見る者が無数に分散している
つまり:
・見る主体が一つではない
・見る/見られるが成立していない
定に入った者が微笑むのではない世界がそのまま微笑んでいる
Ⅶ.「木杓破」── 用具が壊れる
| 活計ひさしくもちゐきたりて木杓破なり
木杓とは:
・水を汲む道具
・生活を支える手段
長く使ってきた“やり方”が壊れる
・修行法
・坐禅観
・正定観
役に立たなくなる
Ⅷ.「落草六年、花開一夜」── 因果の時間が崩れる
| 落草六年、花開一夜
・六年の修行
・一夜の開花
因果の比例が崩れる。
・努力の量
・時間の長さ
正定は、それらの延長線上にない
Ⅸ.「劫火洞燃、大千倶壌」── 定は滅びないのではない
| 劫火洞燃、大千倶壌
宇宙が焼け尽きても、
| 随他去なり
正定は残らないしかし、失われもしない
なぜなら:
・正定という“もの”がないから
Ⅹ.正定とは「安定」ではない
ここまでを総合すると、道元の正定は:
・静まった心ではない
・動かない境地でもない
・保持される状態でもない
すべてが脱落しながら、
なお働いていること
Ⅺ.八正道は、ここでどうなるか
通常の理解では:
・正見 → 正思惟 → … → 正定
しかし道元はここで:正定によって、
八正道そのものを脱落させる
・道を完成させるのではない
・道を捨てるのでもない
道が“道として意識されなくなる”
Ⅻ.参究の一句(結語)
| 正定とは
| 止まることではない
| 深まることでもない
| すべてが脱落して
| なお歩いていること
| そこに
| 定という名を
| 付ける者はいない
最後に(決定的な一点)
この一段は、
「正定を得よ」とは一言も言っていません。
正定を“持とうとする心”を、
完全に破壊している。
・安心したい心
・確かでありたい心
・境地を所有したい心
それらがすべて脱落したあと、
なお呼吸があり、
なお坐り、
なお生きている。
| それが、正定道支。
ここに至って、
仏道は「修行の体系」ではなく、
一切を脱落させながら続いている生そのものとして、
完全に転倒します。
そしてそれ以上、
説明するものは残っていません。
以下は、この一段を
「最終悟境の賛美」や「禅的神秘表現の集積」として読んで終わらせず、
道元が〈正定道支〉をどこに置き、なぜここで“定そのもの”を脱落させているのか
という一点に集約して読むための、仏道的・構造的な深掘りです。
ここは八正道の終点ではありません。
八正道という構造そのものが、ここで壊される地点です。
Ⅰ.冒頭一句の破壊力
| 正定道支とは、脱落仏祖なり、脱落正定なり
ここで、常識的理解は完全に破綻します。
・正定 = 深い集中
・正定 = 禅定の完成
・正定 = 悟りの安定状態
すべて否定
しかも否定の仕方が徹底しています。
・仏祖すら脱落
・正定そのものすら脱落
止まる場所が、一切ない
Ⅱ.「脱落」とは、到達ではない
脱落とは:
・得たあとに捨てること
・高みに達してから手放すこと
ではありません。
最初から、
掴む場所がなかったと露わになること
・仏祖という権威
・正定という境地
それらを支点にしていた
自分の構造が崩壊すること
Ⅲ.「他是能挙」── 正定は自分で成すものではない
| 他是能挙なり
これは極めて重要です。
・自分が坐る
・自分が定に入る
・自分が悟る
すべて誤り
正定とは:
・成し遂げるものではない
・操作できるものでもない
“他”が挙げている
ここでいう「他」とは:
・師
・仏
・宇宙
ではない。
縁起そのもの
Ⅳ.「頂領を剖いて鼻孔と作す」── 主体の完全崩壊
| 剖来頂領作鼻孔
・頂領:
人間が「自分の中心」だと思っている場所
・鼻孔:
呼吸が勝手に通る穴
中心が穴になる
・思考の中心が消える
・主体の座が空洞化する
それでも呼吸は続いている
ここに、
・正定に入っている主体
・定を保っている私
は存在しない。
Ⅴ.「正法眼蔵裏、拈優曇花」── 定は示されるもの
| 正法眼蔵裏、拈優曇花なり
優曇花は:
・千年に一度咲く
・奇跡の花
とされますが、ここでは象徴です。
正定とは、
説明されるものではなく、
示されるもの
・言葉ではなく
・技法でもなく
“拈じられる”出来事
Ⅵ.「百千枚迦葉破顔微笑」── 観る者が消えている
| 百千枚迦葉破顔微笑
・一人の迦葉ではない
・百千の迦葉
見る者が無数に分散している
つまり:
・見る主体が一つではない
・見る/見られるが成立していない
定に入った者が微笑むのではない世界がそのまま微笑んでいる
Ⅶ.「木杓破」── 用具が壊れる
| 活計ひさしくもちゐきたりて木杓破なり
木杓とは:
・水を汲む道具
・生活を支える手段
長く使ってきた“やり方”が壊れる
・修行法
・坐禅観
・正定観
役に立たなくなる
Ⅷ.「落草六年、花開一夜」── 因果の時間が崩れる
| 落草六年、花開一夜
・六年の修行
・一夜の開花
因果の比例が崩れる。
・努力の量
・時間の長さ
正定は、それらの延長線上にない
Ⅸ.「劫火洞燃、大千倶壌」── 定は滅びないのではない
| 劫火洞燃、大千倶壌
宇宙が焼け尽きても、
| 随他去なり
正定は残らないしかし、失われもしない
なぜなら:
・正定という“もの”がないから
Ⅹ.正定とは「安定」ではない
ここまでを総合すると、道元の正定は:
・静まった心ではない
・動かない境地でもない
・保持される状態でもない
すべてが脱落しながら、
なお働いていること
Ⅺ.八正道は、ここでどうなるか
通常の理解では:
・正見 → 正思惟 → … → 正定
しかし道元はここで:正定によって、
八正道そのものを脱落させる
・道を完成させるのではない
・道を捨てるのでもない
道が“道として意識されなくなる”
Ⅻ.参究の一句(結語)
| 正定とは
| 止まることではない
| 深まることでもない
| すべてが脱落して
| なお歩いていること
| そこに
| 定という名を
| 付ける者はいない
最後に(決定的な一点)
この一段は、
「正定を得よ」とは一言も言っていません。
正定を“持とうとする心”を、
完全に破壊している。
・安心したい心
・確かでありたい心
・境地を所有したい心
それらがすべて脱落したあと、
なお呼吸があり、
なお坐り、
なお生きている。
| それが、正定道支。
ここに至って、
仏道は「修行の体系」ではなく、
一切を脱落させながら続いている生そのものとして、
完全に転倒します。
そしてそれ以上、
説明するものは残っていません。