では、この一段を一点に凝縮して、仏道的に深掘りする視点を示します。
ここは『唯仏与仏』の中でも、「悟りとは何か」を根こそぎ転倒させる核心部です。
仏道的に深掘りする核心視点
――悟りとは「わかった出来事」ではなく、「わかろうとする力が完全に役に立たなくなった地点」である
① 冒頭一句の本当の射程
| 仏法は、人の知るべきにはあらず。
これは
「難しい」「理屈では分からない」
という意味ではありません。
道元の意味は、はるかに過激です。
・「知る主体」が成立しているかぎり、仏法は現れない
・仏法は「対象」ではなく
・“立場そのもの”だから
だから続けて、
| 凡夫として悟るなし
| 二乗としてきはむるなし
と言い切る。
ここで切られているのは
能力差でも、修行量でもなく、
立脚点そのものです。
②「唯仏与仏」とは排他ではない
| ひとり仏にさとらるるゆゑに、唯仏与仏
これは
「仏しか分からない」
という閉じた言葉ではありません。
仏道的にはこう読む
| 仏法は、
| 仏として立っているところにしか“起きない”
だから、
・説明される前に
・理解される前に
・共有される前に
すでに完結している出来事。
③ 悟ったとき「思っていた悟り」が消える理由
道元は、悟りについて異様な言い方をします。
| 悟るとはかくこそあらめとおもはるることはなきなり
| 悟りもおぼえしがごとくにてもなし
これはなぜか。
理由は一つ
| 悟りは、予想と照合できるような体験ではない
なぜなら、
・照合する「私」が
・その瞬間に崩れているから
④ 決定的な逆転
「さきのおもひも、さながら悟りにてありける」
ここが、この段の最深部です。
| こしかたのおもひも
| さながら悟りにてありける
普通なら、
・迷っていた
・間違っていた
・力が足りなかった
と考えるところを、
道元は完全に否定します。
道元の見方
・過去の思いも
・探していた心も
・迷っていた努力も
すでに悟りの只中にあった
ただし――
| そのをりは、さかさまにせんとしける
つまり、
・悟りを
・目的にし
・到達点にし
・手に入れようとした
その向きが逆だっただけ。
⑤ なぜ「ちからのなきおもひ」なのか
| ちからのなきとは、おもひもいひもするなり
ここで言う「力」とは、
・集中力
・理解力
・意志力
ではありません。
自分を根拠にする力
この力がある限り、
・悟りは
・必ず「私の成果」になる
それは、
| たのもしからぬ悟り
だと、道元は言う。
⑥ 悟りは「悟りの力」によってのみ起こる
| 悟りとは、
| ひとすぢにさとりのちからにのみたすけらる
ここで、修行者の手は完全に離されます。
・私が悟る

・私が到達する

悟りが、悟りとして起こる
これが「唯仏与仏」の構造です。
⑦ 「悟りはない」「迷いはない」
| まどひはなきものぞとも知るべし
| さとりはなきことぞとも知るべし
これは否定ではありません。
・悟りが消えたのではない
・迷いが消えたのでもない
悟り/迷いという区別が、成立しなくなった
⑧ 「仏」と「無上菩提」は別のものではない
| 無上菩提の人にてあるをり、これをほとけといふ
| 仏の無上菩提にてあるとき、これを無上菩提といふ
ここでは、
・仏が悟りを持つ

・悟りを得た人が仏になる

仏であるという出来事=無上菩提
⑨ 最後の警告
| この道にあるときの面目、しらざらんはおろかなり
これは叱責ではありません。
意味はこうです
| 説明できないことを、
| 分からないまま通り過ぎるな
・知ろうとするな
・しかし
・軽く扱うな
最終凝縮(この一段の核心)
| 悟りとは、
| 悟りを理解した出来事ではない。
|
| 悟りを理解しようとする力が、
| 完全に役に立たなくなった地点で、
| すでに起きている出来事である。
だからこそ、
| 唯仏与仏
仏法は
理解されるためにあるのではなく、
立たれるためにある。
もし次に進むなら、この段は
・『現成公案』の「自己をならふ」
・『仏性』の「成仏と同時に仏性が現れる」
・『身心学道』の「身心脱落」
と、一本につながります。
どこを次に掘りますか。