徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。
——『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」/道元
この一句は、一見すると道徳訓のように読めます。しかし道元は、善悪判断や人格評価を語っていません。これは愛語の作法を、さらに一段深く掘り下げた、関係操作を断つための厳密な指針です。
1) まず切るべき誤読
・

徳がある人は褒め、ない人は見下さずに同情せよ
・

能力差を認め、弱者に優しくせよ
これらは人間的には正しそうですが、仏道的には不十分。
なぜなら、評価する主体がそのまま温存されるからです。
2) 「ほむべし」——賞賛ではない
「ほむる」を、称賛・賛美と読むと外れます。
| ほむる=
| その徳が“徳として働くのを妨げない”こと。
・私が評価する
・私が認める
この回路を立てない。
徳を自分の視点に回収しない——それが「ほむべし」。
3) 「あはれむべし」——同情ではない
「あはれむ」は、感情的な同情や上からの憐憫ではありません。
| 欠如を欠如として固定しない。
| 足りなさを人格に貼り付けない。
・教え込まない
・正さない
・比較しない
不足を“課題”に変換しない態度が、あはれみ。
4) 決定的なポイント——どちらも「操作しない」
この一句の核心は、ここです。
・徳ある者に対して:
→ 期待・役割・模範像を押し付けない
・徳なき者に対して:
→ 改善計画・救済ストーリーを被せない
| どちらも、相手を“使わない”。
5) 愛語との直結
直前の一句で道元は言いました。
| 「愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」
この文は、その具体化です。
・ほめて上下を作らない
・あわれんで固定しない
評価軸そのものを外す言葉だけが、廻天の力を持つ。
6) なぜ二項を並べたのか
道元は、あえて対句にします。
| 徳ある/徳なき
| ——この区別を消さずに、害だけを消すため。
区別を無理に消すと、
・見ないふり
・平等の名の放置
になる。
見えているまま、操作しない。
これが菩薩の難所。
7) 修行論として読む
この一句は、他者を見る修行です。
・評価したくなった瞬間に止まれるか
・正したくなった衝動を持て余せるか
・善人である自分を捨てられるか
| 自分の徳を積むために、
| 他者を使わない。
8) 現代的に言い換える
| 優劣をなくそうとするな。
| 優劣を使うな。
| 才能は固定せず、欠如は物語にするな。
| それが、愛語の完成形だ。
ひと言で凝縮すると
「徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし」とは、
褒め方と憐れみ方を教える文ではない。
他者を評価や救済の材料にしない、
関係の扱い方そのものを示す一句である。
——ここで道元は、
善人になる道ではなく、
善を邪魔しない道を示しています。