ここまで言葉で追い詰めてきたからこそ、「では身体ではどうするのか」が残る。
結論から言います。
結論(核心)
| 眼睛は“体得”できない。
| しかし坐禅は、
| 眼睛から逃げる身体の癖を、
| 一つずつ無効化する実践である。
だから方法はあるが、
身につける技法ではない。
以下は「眼睛を起こす坐禅」ではなく、
眼睛を覆い隠す動きを、身体レベルで止める坐禅のしかたです。
Ⅰ 最初に切っておく誤解
坐禅で次のことをしようとしてはいけない。
・静かになろう
・集中しよう
・何かを感じ取ろう
・眼睛を体感しよう
・正しく坐ろう
これらはすべて、
| 〈わかっている私〉を身体に再建する行為
眼睛の最大の敵です。
Ⅱ 坐禅の基本姿勢(しかし意味づけしない)
・背骨を立てる
・頭を上に引き上げない
・肩・腹・顔に余計な力を入れない
ここで重要なのは、
| 「正しい姿勢」を目指さないこと
姿勢は評価対象にしない。
崩れても、直そうとしない。
崩れている身体ごと、坐る。
・半眼
・何かを見ない
・何も遮らない
| 見ることを止めないが、
| 見ようとしない
これが身体的な「点瞎」。
Ⅲ 呼吸の扱い(非常に重要)
呼吸は操作しない。
・深くしない
・整えない
・数えない
しかし、
| 呼吸を放置もしない
ただ、
・吸っている
・吐いている
という事実だけが起きている。
呼吸を使って安定しようとした瞬間、
眼睛は隠れる。
Ⅳ 思考が起きたときの唯一の態度
これは最重要です。
・追う
・分析する
・消そうとする
・「これは雑念だ」と判断する
| 思考が起きたまま、
| 身体の姿勢だけが坐り続ける
・考えは止まらない
・感情も動く
・評価も出る
それでも身体は動かない
ここで学ばれているのは:
| 眼睛は、
| 心の状態とは無関係に働く
という事実。
Ⅴ 「うまく坐れているか?」が出た瞬間
これは必ず出ます。
・今日の坐禅はどうだったか
・何か変わったか
・深かったか
この瞬間が、最大の分岐点。
やることは一つだけ
| その評価ごと、坐り続ける
・否定しない
・肯定しない
・修正しない
評価が起きる身体ごと、放置
これが「非眼睛を住処にしない」訓練。
Ⅵ 坐禅中に「何も起きない」時
これは成功でも失敗でもない。
・退屈
・眠気
・無意味感
これらは、
| 眼睛が隠れた証拠でも、
| 現れた証拠でもない
ただし一つだけ確かなことがある。
| 逃げ場がなくなっている
それだけで十分。
Ⅶ 眼睛を身体で学ぶとはどういうことか
坐禅を続けると、
次の変化が起きるかもしれない。
・判断が遅れる
・正解を探す癖に気づく
・行為の前に立脚点が揺らぐ
しかしこれは成果ではない。
| 身体が、
| 「立つ場所を探す癖」を
| やめ始めている兆候
Ⅷ 坐禅と日常の接続(重要)
坐禅が終わっても、
眼睛は「維持」されない。
むしろ逆。
| 坐禅で逃げ場が塞がれた身体が、
| 日常でまた逃げる
・正しさ
・理由
・感情
・役割
それに気づいたとき、
| もう一度、坐る
これだけ。
Ⅸ 一言で言うなら(実践の核心)
| 坐禅とは、
| 眼睛を身体に刻み込む修行ではない。
| 眼睛から逃げ続ける身体の動線を、
| 一時的に止める訓練である。
最後に(とても大切)
もしあなたが、
・これでいいのか分からない
・何も掴めない
・成長している感じがしない
と思っているなら、
それは正確です。
| 眼睛は、
| 「できている」という感触を、
| 最後まで与えない。
坐禅は、
その不確かさの中に
身体ごと留まる練習です。
それ以上の方法はありません。