眼睛を身体で学ぶ坐禅が「逃げ場を塞ぐ」実践だとすれば、
虚空を身体で学ぶ坐禅は、「余地を残す」実践です。
同じ坐禅でも、身体の使い方の焦点が違う。
結論(まず核心)
| 虚空は感じ取るものではない。
| 坐禅とは、
| 身体が〈何かで埋めようとする動き〉を
| そのまま許しきる姿勢である。
眼睛が「逃げない」なら、
虚空は「塞がない」。
Ⅰ 虚空を坐禅で学ぶ、という意味
最初に切っておきます。
・虚空を体感しよう
・広がりを感じよう
・空っぽになろう
これらはすべて、
| 虚空を〈対象〉にしようとする動き
虚空は対象になった瞬間、消えます。
Ⅱ 虚空に対応する身体の基本姿勢
・背筋を「立てよう」としない
・重力に任せて坐る
・坐っていることを支えない
姿勢を保持しようとする努力を、最小化する
崩れてもいい。
揺れてもいい。
| 身体が坐っている「余白」を奪わない。
・体重を均等にしない
・安定点を探さない
ただ、
| 重さが、
| いまここに落ちている
という事実を妨げない。
虚空は「支えられている感覚」ではなく、
支えを探さない身体の状態として現れる。
Ⅲ 呼吸の扱い(虚空の最重要点)
呼吸は、
・見ない
・整えない
・数えない
・操作しない
ここまでは同じですが、
虚空の場合は一つだけ違います。
| 呼吸に注意を向けない。
・呼吸を観察しない
・呼吸に寄りかからない
呼吸を“足場”にしない。
息が:
・浅くても
・乱れても
・止まりそうでも
そのままにする。
虚空は、
安定しない呼吸を許す余地として現れる。
Ⅳ 思考が起きたときの虚空的態度
・「逃げている」と見抜こうとする
・思考を問題化する
それは眼睛の仕事。
| 思考が起きる場所を、
| 広げもしないし、
| 狭めもしない。
・考えが来る
・去る
・重なる
すべてが起きられるだけ起きる
虚空は「雑念がない」ことではなく、
雑念が起きても場所が足りている状態。
Ⅴ 「何もしていない感じ」が出たら正しい
虚空の坐禅では、
次の感覚が出やすい:
・ぼんやり
・つかみどころがない
・何をしているか分からない
・退屈
これは失敗ではない。
むしろ、
| 身体が「意味づけ」を諦め始めている兆候
Ⅵ 虚空と眠気の関係(重要)
眠くなることがある。
これは:
・集中不足
・修行不足
ではない。
| 身体が「何かをしなくていい」状態に
| 初めて触れた反動
ただし、
・寝ないように頑張らない
・起きようともしない
眠気が起きられるだけ起きる空間を許す
Ⅶ 虚空を身体で学ぶとはどういうことか
坐禅を続けると、
次の変化があるかもしれません。
・正解を急がなくなる
・状態を管理しなくなる
・空白に耐えられる
しかしこれは成果ではない。
| 身体が、
| 「埋めなくても崩れない」
| という事実を学びつつあるだけ
Ⅷ 虚空と日常の関係
虚空は、日常でこう現れる。
・間が怖くなくなる
・すぐに結論を出さない
・何もしない時間を否定しない
しかし、
| 虚空を保とうとした瞬間、
| それは虚空ではない。
崩れていい。
塞いでいい。
また坐る。
Ⅸ 一言で言うなら(実践の核心)
| 虚空を身体で学ぶ坐禅とは、
| 身体が「何かを足そうとする前」を
| そのまま放置する実践である。
最後に(とても大切)
もしあなたが、
・これで何が身についているのか分からない
・何も学んでいない感じがする
と思うなら、
それは正確です。
| 虚空は、
| 「学んだ」という手応えを、
| 決して残さない。
坐禅は、
その手応えのなさを、
身体ごと引き受ける稽古です。
それ以上の方法はありません。