Re: いまの十二時に習学すべし。
Posted: 金 1 02, 2026 12:15 pm
いまの十二時に習学すべし。
——『正法眼蔵』巻二十「有時」/道元
この一句は、「有時」巻の実践命令形です。
時間論の説明でも、悟りの定義でも終わらせない。学ぶ場所と時を、ここ以外に残さないための断言です。
1) 「いま」——刹那ではなく逃げ場のない現在
「いま」は心理的な“今この瞬間”ではありません。
| 過去にも未来にも委ねられない、
| すでに起動してしまっている現在。
準備・猶予・条件付けが効かない。学びは後回しにできないという意味での「いま」。
2) 「十二時」——凡庸な暦時間をあえて引き受ける
十二時は、誰でも共有する暦の時間。
道元はこれを否定しません。むしろ真正面から引き受ける。
| 超常(三頭八臂)も、
| 凡庸(十二時)と一如である。
| だから学びは、特別時間を要しない。
3) 「習学」——理解ではなく身に習わせる
習学は、知識の取得ではない。
| 身心がそのまま“癖づく”まで、
| 反復の只中に入ること。
理解を貯めるより、主語を退ける稽古。
評価・意味づけの前に、行為が行為として立つ。
4) なぜ“いまの十二時”でなければならないのか
もし学びを——
・深い体験の時
・静かな時
・整った条件の時
に限定すれば、有時は失われる。
| 起動している現在こそが、学びの素材。
| 別の時間を探すこと自体が、逃避になる。
5) 有時の時間論がここで実務に落ちる
「有時」はこう結論づけられる。
・張三李四も有時
・大地虚空も有時
・三頭八臂も有時
・そして——いまの十二時も有時
| だから学べ。
| ここで。
| いまのこの時制で。
6) 修証一等の学び方
修と証を分けない以上、
・いまは学び、いつか悟る
・いま学んでいる事実が、そのまま証
| 学びが起動している現在=完成。
| 完成を待つ学びは、仏道ではない。
7) 坐禅・日常への具体相
・雑念が多い
・仕事が立て込む
・体調が万全でない
それでも、
| いまの十二時に、坐れ。
| いまの十二時に、応答せよ。
条件を理由に学びを延期しない。延期こそが学びの放棄。
8) 現代的に言い換える
| 最適化を待つな。
| 今日のカレンダーを、
| そのまま修行場にせよ。
| 学びは“別枠”に置いた瞬間、消える。
9) 落とし穴
・
焦燥(常に頑張れ)
・
精神論(気合の話)
・
自己責任論
道元は追い立てていない。
場所を限定しているだけだ——「ここ」。
ひと言で凝縮すると
「いまの十二時に習学すべし」とは、
学びを特別な時から引き戻し、
起動してしまっている現在に固定する宣告。
悟りの時間は別にない。
学びの時間も別にない。
あるのは、いまの十二時だけ。
そこに、仏道はすでに立っている。
——『正法眼蔵』巻二十「有時」/道元
この一句は、「有時」巻の実践命令形です。
時間論の説明でも、悟りの定義でも終わらせない。学ぶ場所と時を、ここ以外に残さないための断言です。
1) 「いま」——刹那ではなく逃げ場のない現在
「いま」は心理的な“今この瞬間”ではありません。
| 過去にも未来にも委ねられない、
| すでに起動してしまっている現在。
準備・猶予・条件付けが効かない。学びは後回しにできないという意味での「いま」。
2) 「十二時」——凡庸な暦時間をあえて引き受ける
十二時は、誰でも共有する暦の時間。
道元はこれを否定しません。むしろ真正面から引き受ける。
| 超常(三頭八臂)も、
| 凡庸(十二時)と一如である。
| だから学びは、特別時間を要しない。
3) 「習学」——理解ではなく身に習わせる
習学は、知識の取得ではない。
| 身心がそのまま“癖づく”まで、
| 反復の只中に入ること。
理解を貯めるより、主語を退ける稽古。
評価・意味づけの前に、行為が行為として立つ。
4) なぜ“いまの十二時”でなければならないのか
もし学びを——
・深い体験の時
・静かな時
・整った条件の時
に限定すれば、有時は失われる。
| 起動している現在こそが、学びの素材。
| 別の時間を探すこと自体が、逃避になる。
5) 有時の時間論がここで実務に落ちる
「有時」はこう結論づけられる。
・張三李四も有時
・大地虚空も有時
・三頭八臂も有時
・そして——いまの十二時も有時
| だから学べ。
| ここで。
| いまのこの時制で。
6) 修証一等の学び方
修と証を分けない以上、
・いまは学び、いつか悟る
・いま学んでいる事実が、そのまま証
| 学びが起動している現在=完成。
| 完成を待つ学びは、仏道ではない。
7) 坐禅・日常への具体相
・雑念が多い
・仕事が立て込む
・体調が万全でない
それでも、
| いまの十二時に、坐れ。
| いまの十二時に、応答せよ。
条件を理由に学びを延期しない。延期こそが学びの放棄。
8) 現代的に言い換える
| 最適化を待つな。
| 今日のカレンダーを、
| そのまま修行場にせよ。
| 学びは“別枠”に置いた瞬間、消える。
9) 落とし穴
・
・
・
道元は追い立てていない。
場所を限定しているだけだ——「ここ」。
ひと言で凝縮すると
「いまの十二時に習学すべし」とは、
学びを特別な時から引き戻し、
起動してしまっている現在に固定する宣告。
悟りの時間は別にない。
学びの時間も別にない。
あるのは、いまの十二時だけ。
そこに、仏道はすでに立っている。