ページ 11

Re: 五根

Posted: 土 1 10, 2026 6:56 am
by writer
以下は、提示文を 道元禅師的(修証一等・現成公案)視座 から、
五根を「能力の一覧」ではなく「仏道が生きて働く根源構造」として深掘りするための参究視点です。
解説ではなく、坐り・迷い・日用のただなかで照らすための読みとして提示します。

Ⅰ.五根は「徳目」ではなく「根(ね)」である

五根はしばしば、

・信仰
・努力
・念(気づき)
・定(集中)
・智慧

という修行者の資質として理解されます。
しかし本文では一貫して、

| 人が持つのではない
| 法が自ら立つ“根”

として語られています。
根とは、支えるものではなく、生えてくるもの修めて得る以前に、すでに地中で働いている

Ⅱ.信根 ―― 信じる主体がない

1️⃣ 信は自己でも他己でもない

| 自己にあらず、他己にあらず
| 自己の強為にあらず、他の牽挽にあらず

・決意でも同調でもない
・理解や納得でもない
信=選択以前の肯定

2️⃣ 東西密相附

・東と西が離れず結びつく
・主体と客体が分かれない
信とは、世界が世界を信じている状態

3️⃣ 仏果位と同時成就

| 仏果位にあらざれば信現成にあらず

・信があるから悟るのではない
・悟りが現成していることが信
信根=仏祖現成そのもの

Ⅲ.精進根 ―― 努力をしない精進

1️⃣ 精進=只管打坐

| 省来祗管打坐なり

・何かを積み上げる努力ではない
・坐る以外の余計を省くこと

2️⃣ 休也休不得

・休めないから精進するのではない
・休めないほど、すでに働いている

3️⃣ 因果の反転

| 我常勤精進 → 我已得成菩提
| 我已得成菩提 → 我常勤精進
結果が原因を生む成仏しているから、常に精進している

Ⅳ.念根 ―― 気づきではない念

1️⃣ 枯木の赤肉団

| 枯木の赤肉団なり

・枯れているのに生きている
・感情も思考も止まっていても失われない
念=覚醒した注意ではない
存在の拍動そのもの

2️⃣ 有心・無心・有身・無身を貫く

・心があっても念あり
・心がなくても念あり
念は人に属さない

3️⃣ 命根としての念

| 尽十方仏の命根、これは念根なり
念があるから生きるのではない
生が生であることが念

Ⅴ.定根 ―― 固まらない定

1️⃣ 眉毛の譬え

| 惜取眉毛なり、策起眉毛なり

・守るべきものがある
・同時に動かさねばならない
定=保持と動揺の同時成立

2️⃣ 不昧因果・不落因果

・因果を否定しない
・因果に縛られない

3️⃣ 跳出・跳入

・定は安定ではない
・出入り自在
定根=どこにも留まらない安住

Ⅵ.慧根 ―― 知らない智慧

1️⃣ 仏は知らず、狸は知る

| 三世諸仏不知有
| 狸奴白牯却知有

・仏の智慧は「知っている」ではない
・動物的直覚のほうが近い
慧=即応性

2️⃣ 説明を拒む慧

| 為甚如此といふべからず

・理由を問うと外れる
・説明できた瞬間に死ぬ

3️⃣ 根嗣根

| おほよそ根嗣根なり

・知が知を生むのではない
・根が根を嗣ぐ
智慧は継承されるのではなく、発芽する

Ⅶ.五根の相互貫通構造

| 根 | 誤解   | 本文の核心 |
| -・| ---・| ---・|
| 信 | 信仰心  | 仏果の現成 |
| 精進 | 努力   | 休めない働き |
| 念 | マインドフル | 命の拍動  |
| 定 | 集中   | 出入り自在 |
| 慧 | 知識   | 知らぬ即応 |
五根は五つではない
一つが五つとして現れている

Ⅷ.参究の一句

| 信は疑わず
| 精進は進まず
| 念は覚えず
| 定は止まらず
| 慧は知らず
| しかして仏道は、いまここに根づいている


この読みで五根を見ると、

・疑っていること
・進めないこと
・気づけないこと
・落ち着かないこと
・分からないこと

それ自体が すでに五根として働いている と見えてきます。

次に進むなら
五力への転成
七覚支との関係
八正道との非段階性

どこからでも、続けられます。

五根

Posted: 土 1 10, 2026 6:56 am
by writer
五根
一者、信根
二者、精進根
三者、念根
四者、定根
五者、慧根
信根は、しるべし、自己にあらず、他己にあらず。自己の強為にあらず、自己の結構にあらず、他の牽挽にあらず、自立の規矩にあらざるゆゑに、東西密相附なり。渾身似信を信と称ずるなり。かならず仏果位と随他去し随自去す。仏果位にあらざれば信現成にあらず。このゆゑにいはく、仏法大海信為能入(仏法の大海は信を能入と為す)なり。おほよそ信現成のところは、仏祖現成のところなり。精進根は、省来祗管打坐なり。休也休不得なり、休得更休得なり。大駆駆生なり、不駆駆者なり。大駆不駆、一月二月なり。
釈迦牟尼仏言、我常勤精進、是故我已得成阿耨多羅三藐三菩提(我れ常に勤め精進せり、是の故に我れ已に阿耨多羅三藐三菩提を成ることを得たり)。
いはゆる常勤は、尽過現当来、頭正尾正なり。我常勤精進を我已得成菩提とせり。我已得成阿耨菩提のゆゑに、我常勤精進なり。しかあらずは、いかでか常勤ならん。しかあらずは、いかでか我已得ならん。論師経師、この宗旨を見聞すべからず、いはんや参学せるあらんや。
念根は、枯木の赤肉団なり。赤肉団を枯木といふ。枯木は念根なり。摸索当の自己、これ念なり。有身のときの念あり、無心のときも念あり。有心の念あり、無身の念あり。尽大地人の念根、これを念根とせり。尽十方仏の命根、これは念根なり。一念に多人あり、一人に多念あり。しかあれども、有念人あり、無念人あり。人にかならずしも念あるにあらず、念かならずしも人にかかれるにあらず。しかありといへども、この念根、よく持して究尽の功徳あり。
定根は、惜取眉毛なり、策起眉毛なり。このゆゑに不昧因果なり、不落因果なり。ここをもて、入驢胎、入馬胎なり。いしの玉をつつめるがごとし、全石全玉なりといふべからず。地の山をいただけるがごとし。尽地尽山といふべからず。しかあれども、頂領より跳出し跳入す。
慧根は、三世諸仏不知有なり、狸奴白牯却知有なり。為甚如此(なにとしてかかくの如くなる)といふべからず、いはれざるなり。鼻孔有消息なり、拳頭有指尖なり。驢は驢を保任す、井は井に相見す。おほよそ根嗣根なり。