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Re: 八正道支 また八聖道とも称ず

Posted: 土 1 10, 2026 7:18 am
by writer
以下は、提示文(道元禅師『正法眼蔵』的語法)を前提に、
八正道支(八聖道)を「修行項目の並び」ではなく、
仏道がすでに世界として歩いている〈道そのもの〉として
仏道的に深掘りするための参究視点です。

※本文が 正業道支 で止まっているため、
前半(正見〜正業)は提示文に密着して、
後半(正命〜正定)は道元的立場からの必然的展開として照らします。

Ⅰ.八正道は「守るべき正しさ」ではない

一般には八正道は

・正しい見方
・正しい考え
・正しい行為

という倫理・修行の規範として読まれます。

しかし本文の八正道は、

| 仏祖が仏祖として立つとき、
| その立ち方そのものが八正道

という語り方です。
正道とは、矯正ではなく〈現成〉

Ⅱ.正見道支 ―― 見ているのは「身」

| 眼睛裏蔵身なり

1️⃣ 見は認識ではない

・正見=正しい理解、ではない
・見るという働きの中に、すでに全身が蔵されている
見=世界が身として立ち上がること

2️⃣ 身先眼

| 身先須具身先眼

・眼が先にあって身が従うのではない
・身が立つところに、必ず眼が具わる
生きていること自体が、すでに正見

3️⃣ 公案見成

・理解した見ではない
・生き切ってしまった見

Ⅲ.正思惟道支 ―― 思わない思惟

| 作是思惟時、十方仏皆現なり

1️⃣ 思惟が仏を招くのではない

・思惟しているその時が、すでに諸仏現前
・思惟=内省ではない

2️⃣ 波羅奈としての思惟

| 思惟の処在は波羅奈なり

・思惟の場所が「悟りの地」
・到達点ではなく、現場

3️⃣ 非思量

| 思量箇不思量底
| 不思量底如何思量
| 非思量
考えないことでも、考えることでもない
思惟そのものが破れている状態
破蒲団=正思惟
(坐りそのもの)

Ⅳ.正語道支 ―― 語らない語

| 唖子自己不唖子なり

1️⃣ 正語は「正しい発言」ではない

・善いことを言うことでも
・嘘をつかないことでもない
語る主体が消えている

2️⃣ 口是掛壁

| 一切口掛一切壁

・口が壁に掛かっている
・発話が自己表現にならない
語=世界が語っている

Ⅴ.正業道支 ―― 行為が行為でなくなる

| 出家修道なり、入山取証なり

1️⃣ 正業=道徳的行為ではない

・善行・戒律の遵守ではない
・生き方そのものが仏道

2️⃣ 出家・入山の真意

・場所を変えることではない
・世俗的因果から身を抜くこと
正業=仏が仏として振る舞ってしまうこと

Ⅵ.(展開)正命道支 ―― 生き方がすでに道

道元的に言えば正命とは:
・正しい職業を選ぶことではない
・この身命をどう扱っているか


食べる
働く
老いる
病む

そのすべてが すでに仏命の運用

Ⅶ.正精進道支 ―― 進まない精進

既出の四正勤・五根・五力と同一構造。



・進もうとしない
・休もうとしない

止まれない働きそのものが正

Ⅷ.正念道支 ―― 注意ではない念

七覚支の念覚支と同根。



・集中でも
・気づきでもない

露柱歩空行
世界が注意している

Ⅸ.正定道支 ―― 坐る以前の坐

・心を一点に集めることではない
・静寂を作ることでもない
只管打坐そのもの身心脱落の脱落

Ⅹ.八正道の転倒的構造

| 道支 | 通常理解 | 道元的深掘り |
| | --- | ---・|
| 正見 | 正しい理解 | 身が立つこと |
| 正思惟 | 正しい思考 | 非思量  |
| 正語 | 正しい発言 | 語られぬ語 |
| 正業 | 善行  | 生き方  |
| 正命 | 正職  | 身命の運用 |
| 正精進 | 努力  | 止まらなさ |
| 正念 | 注意  | 世界の覚知 |
| 正定 | 集中  | 坐そのもの |
八つは段階ではない一歩踏み出せば、八つ同時に現成

Ⅺ.参究の一句

| 見るところに身あり
| 思うところに仏あり
| 語らぬところに語あり
| 行うところに道あり
| 生きることが命
| 止まらぬことが進
| 散らぬことが念
| 坐っていることが定
| これ八正道なり


この視点で八正道を読むと、

・正しく生きられないこと
・考えが散ること
・言葉が出ないこと
・行為に迷うこと

それらすべてが すでに道が歩いている現場 として現れてきます。

ここまでで
三十七道品(四念住〜八正道) は
すべて 修行体系ではなく、仏道の全身運動 として揃いました。

もし次に進むなら

・三十七道品全体の総括的構造
・只管打坐と三十七道品の同一性
・道元における「道」とは何か

どこからでも、さらに深く参究できます。

八正道支 また八聖道とも称ず

Posted: 土 1 10, 2026 7:14 am
by writer
八正道支 また八聖道とも称ず
一者、正見道支
二者、正思惟道支
三者、正語道支
四者、正業道支
五者、正命道支
六者、正精進道支
七者、正念道支
八者、正定道支
正見道支は、眼睛裏蔵身なり。しかあれども、身先須具身先眼(身先には須らく身先眼を具すべし)なり。向前の堂堂成見なりといへども、公案見成なり、親曽見なり。おほよそ眼裏蔵身せざれば、仏祖にあらざるなり。
正思惟道支は、作是思惟時、十方仏皆現なり。しかあれば、十方仏、諸仏現、これ作是思惟時なり。作是思惟時は、自己にあらず、他己をこえたりといへども、而今も思惟是事已、即趣波羅奈(是の事を思惟し已りて、即ち波羅奈に趣く)なり、思惟の処在は波羅奈なり。
古仏いはく、思量箇不思量底、不思量底如何思量。非思量。
これ正思量、正思惟なり。破蒲団、これ正思惟なり。
正語道支は、唖子自己不唖子なり。諸人中の唖子は未道得なり。唖子界の諸人は唖子にあらず。不慕諸聖なり、不重己霊なり。口是掛壁の参究なり。一切口掛一切壁なり。
正業道支は、出家修道なり、入山取証なり。