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Re: 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 サッカーで例えて

Posted: 日 1 11, 2026 1:27 pm
by writer
いい問いです。
この一文は、サッカーで例えると一気に腑に落ちます。


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原文

| 自己をはこびて万法を修証するを迷とす、
| 万法すすみて自己を修証するはさとりなり。

① まず「迷」のサッカー的状態

自己をはこびて万法を修証する(=迷)

これは、サッカーで言えば

❌「自分が試合をコントロールしている」と思っている状態

・自分が主役
・自分の判断が正しい
・自分が考えた通りにプレーしようとする
・フォーメーション・戦術・理論を頭で運びながらプレーする

典型例:
・ボールを持つたびに
 「どう見せようか」
 「失敗したらどう思われるか」
 「ここは正解の選択か」
 と考える

結果どうなるか。

・体が一瞬遅れる
・パスコースが消える
・味方が見えなくなる
・試合が「重く」なる
自分を運んでプレーしている

これが「迷」。

② 次に「悟」のサッカー的状態

万法すすみて自己を修証する(=さとり)

これは

✅ 試合が先に動き、自分がそこに含まれている状態

・ボールが来る前に体が動く
・味方の動きに自然に反応する
・空いたスペースに足が出る
・判断している感じがない

よく言う、

・「試合に入っている」
・「ゾーンに入った」

状態です。

ここでは、

・自分が試合を動かしている感覚はない
・でもプレーは正確
・結果として自分の良さが最大限に出る
試合(万法)が進んで、自分がプレーさせられている

これが「さとり」。

③ 決定的な違いは「主語」

| 状態 | 主語    |
| -・| ---- |
| 迷 | 「俺が」「私が」 |
| 悟 | 試合・流れ・場 |

迷いのときは:
| 「俺が正しいプレーをする」

悟りのときは:
| 「気づいたら、そうなっていた」

④ 監督の戦術理解との関係(重要)

誤解しやすい点ですが、

・戦術理解
・基礎練習
・経験

は不要になるわけではない。

それらはすべて:
・試合中に使うもの
 ではなく
・試合に使われるもの

頭で「使おう」とした瞬間、迷いに戻る。

⑤ なぜ前者が「迷」なのか(仏道的理由)

自己をはこぶとは:
・自分を中心に世界を配置すること
・自分の成功/失敗を軸に試合を見ること

すると、

・味方も
・相手も
・ボールも

すべて「材料」になる。

このとき、
世界は動かなくなる。

⑥ なぜ後者が「さとり」なのか

万法がすすむとは:
・ボールが動く
・味方が走る
・相手が仕掛ける
・空間が変わる

それらが先にあり、

| 自分はその流れの一点として働く

ここでは、

・自分を証明しようとしない
・でも結果として、自分が最も自分らしい

⑦ 一言で言うと(サッカー版)

| 迷い:自分が試合をやろうとする
| 悟り:試合が自分をやっている

⑧ 日常にもそのまま当てはまる

・会話
・仕事
・創作
・人助け

すべて同じです。

| 「うまくやろう」と思った瞬間、ずれる
| 「起きていることに応じた瞬間、合う」


最後に一行でまとめるなら

| 自己を運んでプレーすると試合が止まり、
| 試合に運ばれると、自己が最も生きる。

これが、
道元の一文をサッカーで言い切った姿です。

自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 サッカーで例えて

Posted: 日 1 11, 2026 1:26 pm
by writer
自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 サッカーで例えて