予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる、嘉定十六年癸未秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覽なし。のちに悪慶元年乙酉夏安居のなかに、かさねていたるに、西蜀の成桂知客と、廊下
Posted: 木 1 15, 2026 10:51 am
予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる、嘉定十六年癸未秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覽なし。のちに悪慶元年乙酉夏安居のなかに、かさねていたるに、西蜀の成桂知客と、廊下を行歩するついでに、
予、知客にとふ。這箇は是れ什麼の変相ぞ。
知客いはく、龍樹の身現円月相なり。かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし。
予いはく、真箇に是れ一枚の画餅に相似せり。
ときに知客、大笑すといへども、笑裏に刀無く、画餅を破すること不得なり。
すなはち知客と予と、舍利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、数番挙揚すれども、疑著するにもおよばず。おのづから下語する僧侶も、おほく都不是なり。
予いはく、堂頭にとふてみん。ときに堂頭は大光和尚なり。
知客いはく、他は鼻孔無し、対へ得じ。如何でか知ることを得ん。
ゆゑに光老にとはず。恁麼道取すれども、桂兄も会すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭みるにあやしまず、あらためなほさず。又、画することうべからざらん法はすべて画せざるべし。画すべくは端直に画すべし。しかあるに、身現の円月相なる、かつて画せるなきなり。
おほよそ仏性は、いまの慮知念覚ならんと見解することさめざるによりて、有仏性の道にも、無仏性の道にも、通達の端を失せるがごとくなり。道取すべきと学習するもまれなり。しるべし、この疎怠は癈せるによりてなり。諸方の粥飯頭、すべて仏性といふ道得を、一生いはずしてやみぬるもあるなり。あるいはいふ、聴教のともがら仏性を談ず、参禅の雲衲はいふべからず。かくのごとくのやからは、真箇是畜生なり。なにといふ魔党の、わが仏如来の道にまじはりけがさんとするぞ。聴教といふことの仏道にあるか、参禅といふことの仏道にあるか。いまだ聴教参禅といふこと、仏道にはなしとしるべし。
予、知客にとふ。這箇は是れ什麼の変相ぞ。
知客いはく、龍樹の身現円月相なり。かく道取する顔色に鼻孔なし、声裏に語句なし。
予いはく、真箇に是れ一枚の画餅に相似せり。
ときに知客、大笑すといへども、笑裏に刀無く、画餅を破すること不得なり。
すなはち知客と予と、舍利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、数番挙揚すれども、疑著するにもおよばず。おのづから下語する僧侶も、おほく都不是なり。
予いはく、堂頭にとふてみん。ときに堂頭は大光和尚なり。
知客いはく、他は鼻孔無し、対へ得じ。如何でか知ることを得ん。
ゆゑに光老にとはず。恁麼道取すれども、桂兄も会すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。前後の粥飯頭みるにあやしまず、あらためなほさず。又、画することうべからざらん法はすべて画せざるべし。画すべくは端直に画すべし。しかあるに、身現の円月相なる、かつて画せるなきなり。
おほよそ仏性は、いまの慮知念覚ならんと見解することさめざるによりて、有仏性の道にも、無仏性の道にも、通達の端を失せるがごとくなり。道取すべきと学習するもまれなり。しるべし、この疎怠は癈せるによりてなり。諸方の粥飯頭、すべて仏性といふ道得を、一生いはずしてやみぬるもあるなり。あるいはいふ、聴教のともがら仏性を談ず、参禅の雲衲はいふべからず。かくのごとくのやからは、真箇是畜生なり。なにといふ魔党の、わが仏如来の道にまじはりけがさんとするぞ。聴教といふことの仏道にあるか、参禅といふことの仏道にあるか。いまだ聴教参禅といふこと、仏道にはなしとしるべし。