この段は、『正法眼蔵・虚空』の結語部にあたる決定的な提示です。
道元は、祖師の偈を借りながら、虚空とは何かを説明するのではなく、
「虚空として生きている事実をどう参究するか」を一気に畳みかけています。
以下、仏道的に深掘りします。
一、祖師偈の位置づけ──結論ではなく「実地の入口」
ここで引かれる第二十一祖は、
婆修盤頭尊者
(サンスクリット名:ヴァスバンドゥ)です。
しかし重要なのは、
権威として引用しているのではないという点。
この四句は、
・理論的定義
・空の形而上学
ではなく、
修行の現場を一点で言い切った言葉
として置かれています。
二、「心同虚空界」──心を内面に閉じない
| 心は虚空界に同じ
これは、
・心が空っぽ
・心が広い
という意味ではありません。
仏道的転倒
・心=内面

・虚空=外界
という分離そのものが、すでに破られている。
心があるところが、すでに虚空界
だから、
・思っている心
・止まった心
・壁のような心
すべてが「虚空界」。
三、「示等虚空法」──説法とは、姿を変えること
| 等虚空の法を示す
ここで道元は、すぐに観音経を重ねます。
・応以此身得度者、即現此身
・応以他身得度者、即現他身
これは説教ではありません。
生き方そのものが、すでに説法
・壁に向かって坐る
・壁のように動かない
・枯木のように反応しない
それらすべてが「示等虚空法」。
四、「牆壁心・枯木心」──否定された心ではない
道元は、通常なら否定されがちな状態を、
一切否定しません。
・壁面人
・人面壁
・牆壁心
・枯木心
これらをまとめて言う:
| これはこれ虚空界なり
つまり、
・動かない心
・反応しない心
・生気のないように見える心
それを排除しようとすること自体が、もう虚空を外している
五、「被十二時使・使得十二時」──時間に使われ、時間を使う
ここは極めて深い一句です。
・時間に追われる
・時間をコントロールする
どちらも、
| 証得虚空時
だと言う。
仏道的含意
・主体として時間を支配するのでもない
・客体として時間に支配されるのでもない
時間が起こっている、その渦中にあること自体が虚空
六、「無是無非法」──価値判断の消滅
| 石頭大底大、石頭小底小
これは禅語ですが、ここでの意味は明快。
・大きいものは大きい
・小さいものは小さい
それ以上でも、それ以下でもない。
だから:
| 是も無し、非法も無し
正しい・間違い、悟り・迷い、
修行・非修行――
それらを立てる場そのものが、すでに外れている
七、最終一句の決定性
「正法眼蔵涅槃妙心」として参究せよ
道元は最後に言う:
| かくのごとくの虚空、
| これを正法眼蔵涅槃妙心と参究するのみ
これは定義ではありません。
・虚空=涅槃
・虚空=妙心
と言っているのではない。
いま生きているこの在り方を、
名前を付けずに、丸ごと引き受けよ
という指示。
八、仏道的核心(この段の一点)
| 虚空とは、
| 何かを超えた世界ではない。
|
| 今ここで、
| 逃げ場なく現れている生の全体である。
・壁のような心も
・枯木のような心も
・時間に追われる生も
・時間を操る生も
そのすべてが、正法眼蔵の現成
この段を読んだあと、
何かを「理解した」と思ったなら、
それはもう外れています。
ただ、
| いまのこの身心を、
| そのまま虚空として参究する
そこに、この巻の着地があります。