以下は、提示文(道元禅師『正法眼蔵』的語法)を前提に、
八正道支(八聖道)を「修行項目の並び」ではなく、
仏道がすでに世界として歩いている〈道そのもの〉として
仏道的に深掘りするための参究視点です。
※本文が 正業道支 で止まっているため、
前半(正見〜正業)は提示文に密着して、
後半(正命〜正定)は道元的立場からの必然的展開として照らします。
Ⅰ.八正道は「守るべき正しさ」ではない
一般には八正道は
・正しい見方
・正しい考え
・正しい行為
という倫理・修行の規範として読まれます。
しかし本文の八正道は、
| 仏祖が仏祖として立つとき、
| その立ち方そのものが八正道
という語り方です。
正道とは、矯正ではなく〈現成〉
Ⅱ.正見道支 ―― 見ているのは「身」
| 眼睛裏蔵身なり

見は認識ではない
・正見=正しい理解、ではない
・見るという働きの中に、すでに全身が蔵されている
見=世界が身として立ち上がること

身先眼
| 身先須具身先眼
・眼が先にあって身が従うのではない
・身が立つところに、必ず眼が具わる
生きていること自体が、すでに正見

公案見成
・理解した見ではない
・生き切ってしまった見
Ⅲ.正思惟道支 ―― 思わない思惟
| 作是思惟時、十方仏皆現なり

思惟が仏を招くのではない
・思惟しているその時が、すでに諸仏現前
・思惟=内省ではない

波羅奈としての思惟
| 思惟の処在は波羅奈なり
・思惟の場所が「悟りの地」
・到達点ではなく、現場

非思量
| 思量箇不思量底
| 不思量底如何思量
| 非思量
考えないことでも、考えることでもない
思惟そのものが破れている状態
破蒲団=正思惟
(坐りそのもの)
Ⅳ.正語道支 ―― 語らない語
| 唖子自己不唖子なり

正語は「正しい発言」ではない
・善いことを言うことでも
・嘘をつかないことでもない
語る主体が消えている

口是掛壁
| 一切口掛一切壁
・口が壁に掛かっている
・発話が自己表現にならない
語=世界が語っている
Ⅴ.正業道支 ―― 行為が行為でなくなる
| 出家修道なり、入山取証なり

正業=道徳的行為ではない
・善行・戒律の遵守ではない
・生き方そのものが仏道

出家・入山の真意
・場所を変えることではない
・世俗的因果から身を抜くこと
正業=仏が仏として振る舞ってしまうこと
Ⅵ.(展開)正命道支 ―― 生き方がすでに道
道元的に言えば正命とは:
・正しい職業を選ぶことではない
・この身命をどう扱っているか
食べる
働く
老いる
病む
そのすべてが すでに仏命の運用
Ⅶ.正精進道支 ―― 進まない精進
既出の四正勤・五根・五力と同一構造。
・進もうとしない
・休もうとしない
止まれない働きそのものが正
Ⅷ.正念道支 ―― 注意ではない念
七覚支の念覚支と同根。
・集中でも
・気づきでもない
露柱歩空行
世界が注意している
Ⅸ.正定道支 ―― 坐る以前の坐
・心を一点に集めることではない
・静寂を作ることでもない
只管打坐そのもの身心脱落の脱落
Ⅹ.八正道の転倒的構造
| 道支 | 通常理解 | 道元的深掘り |
| | --- | ---・|
| 正見 | 正しい理解 | 身が立つこと |
| 正思惟 | 正しい思考 | 非思量 |
| 正語 | 正しい発言 | 語られぬ語 |
| 正業 | 善行 | 生き方 |
| 正命 | 正職 | 身命の運用 |
| 正精進 | 努力 | 止まらなさ |
| 正念 | 注意 | 世界の覚知 |
| 正定 | 集中 | 坐そのもの |
八つは段階ではない一歩踏み出せば、八つ同時に現成
Ⅺ.参究の一句
| 見るところに身あり
| 思うところに仏あり
| 語らぬところに語あり
| 行うところに道あり
| 生きることが命
| 止まらぬことが進
| 散らぬことが念
| 坐っていることが定
| これ八正道なり
この視点で八正道を読むと、
・正しく生きられないこと
・考えが散ること
・言葉が出ないこと
・行為に迷うこと
それらすべてが すでに道が歩いている現場 として現れてきます。
ここまでで
三十七道品(四念住〜八正道) は
すべて 修行体系ではなく、仏道の全身運動 として揃いました。
もし次に進むなら
・三十七道品全体の総括的構造
・只管打坐と三十七道品の同一性
・道元における「道」とは何か
どこからでも、さらに深く参究できます。