既是恁麼は、尽十方界にてある一顆明珠なり。

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展開ビュー トピックのレビュー: 既是恁麼は、尽十方界にてある一顆明珠なり。

この一段は、『正法眼蔵・一顆明珠』の中でも、仏道の「自己理解」と「疑い」の構造を根底から転換する最深部です。
ここでは「仏道的に深掘りする視点」を、三つの層(存在・疑い・実践)で掘ります。

Ⅰ.存在の層

「尽十方界にてある一顆明珠なり」とは何か

| 既是恁麼は、尽十方界にてある一顆明珠なり。

ここで道元は、
「自分は明珠を持っている」
「自分の中に仏性がある」
とは一切言っていません。

仏道的転換

❌ 私 = 明珠を所有する主体
⭕ 尽十方界そのものが、一顆の明珠として現れている


主体と客体が分かれる以前の全体事実が「一顆明珠」。

・自分
・他人
・迷い
・悟り
・生死
・黒山鬼窟

すべてが「明珠の様相」。

Ⅱ.疑いの層

「われは明珠にはあらじ」と思う心の正体

| われは明珠にはあらじとたどらるるは、たまにはあらじとうたがはざるべきなり。

ここが非常に鋭い。

普通の理解では:
・「私はまだ悟っていない」
・「私は明珠ではない」

しかし道元は逆に言います。

仏道的深掘り

・「明珠ではないかもしれない」と疑うこと自体が
 明珠の働き


疑いは明珠の外に起こらない。

だから

・疑いを消そうとする
・取捨・判断で確定しようとする

これらはすべて

| 小量の見なり

Ⅲ.取捨・修行の層

修行・努力すら「小量」になる理由

| たどりうたがひ、取舍する作無作も、ただしばらく小量の見なり

ここで道元は、修行否定をしているのではありません。

否定しているのは何か

・修行を
 「明珠になるための手段」にしてしまう心
・悟り/非悟りを
 量で測ろうとする態度


修行もまた、明珠の中で起こる一片の光。

修行が必要か不要か、ではない。
修行を“外在化”した瞬間が小量。

Ⅳ.「愛せざらんや」― 仏道の感情的核心

| 愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。

これは理屈ではありません。

仏道的深掘り

・明珠を理解せよ、ではない
・明珠を得よ、でもない
・明珠の彩光として生きよ


苦悩も迷いも、
彩彩光光の一条。

Ⅴ.因果・倫理を捨てるな、しかし縛られるな

| 六道の因果に不落有落をわづらふことなかれ。

・因果を否定するな
・因果に縛られるな


因果そのものが、明珠の光の働き。

Ⅵ.決定的転換点

「心これわたくしにあらず」

| 心これわたくしにあらず

ここが核心です。

・心は「私の所有物」ではない
・心は「起滅する主体」でもない


起滅そのものが明珠の運動。

Ⅶ.黒山鬼窟すら、明珠である

| 黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり。

これは慰めではありません。

仏道的決断

・闇も
・迷走も
・堕落感も


仏道の外には一歩も出ていない。

Ⅷ.この一段が突きつける問い

| ❓ いま、明珠であろうとしていないか
| ❓ いま、明珠でない自分を排除しようとしていないか

それこそが
明珠の彩光を見失う瞬間。

Ⅸ.一言で言えば

| 仏道とは、
| 明珠になることではない。
| 明珠として疑い、迷い、生き切ることである。

もし望まれれば、

・「一顆明珠」と『身心学道』『現成公案』の接続
・現代的な自己否定・自己肯定との違い
・坐禅における「明珠」の体験的意味

まで、さらに深く掘り下げられます。
既是恁麼は、尽十方界にてある一顆明珠なり。しかあればすなはち、転不転のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。明珠はかくのごとくきこゆる声色あり。既得恁麼なるには、われは明珠にはあらじとたどらるるは、たまにはあらじとうたがはざるべきなり。たどりうたがひ、取舍する作無作も、ただしばらく小量の見なり、さらに小量に相似ならしむるのみなり。
  愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。彩彩光光の片片條條は尽十方界の功徳なり。たれかこれを攙奪せん。行市に塼をなぐる人あらず、六道の因果に不落有落をわづらふことなかれ。不昧本来の頭正尾正なる、明珠は面目なり、明珠は眼睛なり。
  しかあれども、われもなんぢも、いかなるかこれ明珠、いかなるかこれ明珠にあらざるとしらざる百思百不思は、明明の草料をむすびきたれども、玄沙の法道によりて、明珠なりける身心の様子をもききしり、あきらめつれば、心これわたくしにあらず、起滅をたれとしてか明珠なり、明珠にあらざると取舍にわづらはん。たとひたどりわづらふとも、明珠にあらぬにあらず、明珠にあらぬがありておこさせける行にも念にもにてはあらざれば、ただまさに黒山鬼窟の進歩退歩、これ一顆明珠なるのみなり。

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