先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。
高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。
これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人といふは、作人といはんがごとし。打のゆゑに、人人は箇箇の面目あり。たとへば、達磨の眼睛にて人人をつくれりといふなり。つくれるなり。その打人の道理かくのごとし。眼睛にて打生せる人人なるがゆゑに、いま雲堂打人の挙頭、法堂打人の拄杖、方丈打人の竹箆払子、すなはち達磨眼睛なり。達磨眼睛を抉出しきたりて、泥團子につくりて打人するは、いまの人、これを参請請益、朝上朝参、打坐功夫とらいふなり。打著什麼人。いはく、海枯徹底、浪高拍天なり。
先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。
高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。
これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人といふは、作人といはんがごとし。打のゆゑに、人人は箇箇の面目あり。たとへば、達磨の眼睛にて人人をつくれりといふなり。つくれるなり。その打人の道理かくのごとし。眼睛にて打生せる人人なるがゆゑに、いま雲堂打人の挙頭、法堂打人の拄杖、方丈打人の竹箆払子、すなはち達磨眼睛なり。達磨眼睛を抉出しきたりて、泥團子につくりて打人するは、いまの人、これを参請請益、朝上朝参、打坐功夫とらいふなり。打著什麼人。いはく、海枯徹底、浪高拍天なり。