「今の思量分別、これ心不可得なり」という言葉は、迷いの中にある私たちの日常をどう肯定していますか?

「今の思量分別、これ心不可得なり」という言葉は、迷いの中にある私たちの日常をどう肯定していますか?
8.心不可得正法眼蔵 ■ 
★注目スレッド: 参学の総論を語りましょう。(0)  正法眼蔵 全般を語りましょう。(2)  「空華=幻ではない」という逆転の論理を詳しく分析(1)  「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。(0)  「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」という金剛経の言葉を、道元は「自家の宿籠(しゅくろう)」と呼んでいます。これは何を意味していますか?(0)  徳山(周金剛)が「金剛経の注釈書」を大量に持ち歩いていたことは、彼のどのような精神状態を象徴していますか?(0)  老婆が放った「いづれの心をか、もちひ(餅)をして点ぜんとかする(どの心で餅を食べるのか)」という問いの鋭さはどこにありますか?(0)  老婆に問い詰められて「茫然(ぼうぜん)」とした徳山を、道元はなぜ「文字法師の末流」と厳しく批判するのでしょうか?(0)  道元は「老婆が立ち去ったこと」に対しても批判的です。もし老婆が真の悟りを開いた人(その人)であったなら、次にどのような行動をとるべきだったと道元は述べていますか?(0)  道元が徳山に代わって提案した「あなた(老婆)は私に餅を売ってはならない」という返答は、どのような境地を表していますか?(0)  「心のもちひ(餅)を点ず」「心の心を点ず」という道元の独創的な表現は、何を指していますか?(0)  徳山が後に龍潭禅師のもとで「紙の灯火を吹き消される(吹滅紙燭)」のを見て悟ったエピソードを、道元が「伝灯に不足なり」と低く評価しているのはなぜですか?(0)  「心不可得とは、画餅(絵に描いた餅)一枚を買弄して、一口に咬著嚼著(こうじゃくしゃくじゃく:噛み砕く)するをいう」という結びの言葉をどう解釈しますか?(0)  「今の思量分別、これ心不可得なり」という言葉は、迷いの中にある私たちの日常をどう肯定していますか?(0)  道元禅師の『正法眼蔵』「心不可得(しんふかとく)」巻は、有名な徳山禅師と餅売りの老婆の因縁(エピソード)を引き合いに出しながら、私たちが「心」というものをいかに固定的に、あるいは概念的に捉えてしまっているかを鋭く突く巻です。 金剛経の「過(0)  1. 「自家」としての不可得 「いはゆる自家といふは、心不可得なり」 道元は「心は得られない」という真理こそが、私たちの「わが家(自家)」であると言います。私たちは通常、「自分の心」を所有できるもの、コントロールできるものと考えがちですが(0)  2. 文字法師の限界 「文字法師の末流なり……画にかけるもちひ、うゑをやむるにあたはず」 徳山は経典に精通していましたが、老婆の一問に答えられませんでした。知識としての仏法(画餅)を、実際に空腹を満たす「生きた仏法」へと変換するために、あ(0)  3. 「点心」の真義 「いまいづれの心をか、もちひをしていかに点ぜんとかする」 老婆は「三世の心は不可得なのに、どの心に点(しるし)をつけるのか(あるいは、どの心に栄養を与えるのか)」と問いました。もしあなたがその場で「点心」を求めるとし(0) 
「今の思量分別、これ心不可得なり」という言葉は、迷いの中にある私たちの日常をどう肯定していますか?