是什麼物恁麼来(これなんのものぞ、かくのごとく来たる)
——道転法輪なり。
『正法眼蔵』巻三「佛性」/道元
この一句は、「佛性」を答えとして与えないための、実践そのものを示しています。
問いが問いのまま働く——それが道が法輪を転じている状態だ、という宣言です。
1) 「是什麼物」——定義要求を即座に破壊する問い
「それは何か?」は、本来定義を要求する問い。
しかしここでは、答えを出す前提が最初から壊されている。
| 名づけ・同定・所有を拒む問い。
佛性を
・性質
・内在物
・潜在能力
に回収させないための、停止装置です。
2) 「恁麼来」——“こうして来た”という現成
「恁麼来」は「そのように来た/かくのごとく来た」。
原因説明でも来歴叙述でもない。
| いま、こうして起きているという事実指示。
佛性は由来を語れない。
語れないから、現成としてしか立たない。
3) 問いが答えに“ならない”ことが、すでに転法輪
普通は、
・問う → 答える → 理解する
しかし道元は逆転する。
| 答えを出させない問いが回り続けること自体が、
| 法輪の回転。
理解の完了がゴールではない。
理解を所有できない運行がゴール。
4) なぜこれが「道転法輪」なのか
法輪が回るとは、教義が伝播することではない。
| 分別(定義・把持・結論)が起動しないまま、
| 行為と問いが更新され続けること。
問いが止まらない=道が止まらない。
止まらないから、輪は回っている。
5) 佛性論の決着点
この一句は、
「誰に佛性があるか」「何が佛性か」という論争を無効化する。
| 佛性は“答え”ではなく、
| 問いが働いている現在そのもの。
だから、佛性は
・持たれない
・示されない
・完了しない
6) 修行への直接的帰結
・分かったと思うな
・定義を掴むな
・安心するな
| 問いが起動し続けている限り、
| 修行は生きている。
7) 現代的に言い換える
| 「それは何か?」と問うな。
| 問いが止まらない状態を、止めるな。
| 止めなければ、
| すでに道は回っている。
ひと言で凝縮すると
「是什麼物恁麼来」は、佛性を説明する句ではない。
説明を拒む問いそのものが、法輪の回転である、という宣告。
答えを持たない問いが続くか知ら——
それが、道が道として生きている証拠だ。
是什麼物恁麼来(これなんのものぞ、かくのごとく来たる)
——道転法輪なり。
『正法眼蔵』巻三「佛性」/道元
この一句は、「佛性」を答えとして与えないための、実践そのものを示しています。
問いが問いのまま働く——それが道が法輪を転じている状態だ、という宣言です。
1) 「是什麼物」——定義要求を即座に破壊する問い
「それは何か?」は、本来定義を要求する問い。
しかしここでは、答えを出す前提が最初から壊されている。
| 名づけ・同定・所有を拒む問い。
佛性を
・性質
・内在物
・潜在能力
に回収させないための、停止装置です。
2) 「恁麼来」——“こうして来た”という現成
「恁麼来」は「そのように来た/かくのごとく来た」。
原因説明でも来歴叙述でもない。
| いま、こうして起きているという事実指示。
佛性は由来を語れない。
語れないから、現成としてしか立たない。
3) 問いが答えに“ならない”ことが、すでに転法輪
普通は、
・問う → 答える → 理解する
しかし道元は逆転する。
| 答えを出させない問いが回り続けること自体が、
| 法輪の回転。
理解の完了がゴールではない。
理解を所有できない運行がゴール。
4) なぜこれが「道転法輪」なのか
法輪が回るとは、教義が伝播することではない。
| 分別(定義・把持・結論)が起動しないまま、
| 行為と問いが更新され続けること。
問いが止まらない=道が止まらない。
止まらないから、輪は回っている。
5) 佛性論の決着点
この一句は、
「誰に佛性があるか」「何が佛性か」という論争を無効化する。
| 佛性は“答え”ではなく、
| 問いが働いている現在そのもの。
だから、佛性は
・持たれない
・示されない
・完了しない
6) 修行への直接的帰結
・分かったと思うな
・定義を掴むな
・安心するな
| 問いが起動し続けている限り、
| 修行は生きている。
7) 現代的に言い換える
| 「それは何か?」と問うな。
| 問いが止まらない状態を、止めるな。
| 止めなければ、
| すでに道は回っている。
ひと言で凝縮すると
「是什麼物恁麼来」は、佛性を説明する句ではない。
説明を拒む問いそのものが、法輪の回転である、という宣告。
答えを持たない問いが続くか知ら——
それが、道が道として生きている証拠だ。