では、この偈と道元自身の註釈を仏道的に、しかも核心だけに絞って深掘りします。
ここは『眼睛』巻の中でも、「悟り」そのものを最終的に解体する場面です。
Ⅰ まず結論(この偈の核心)
| この偈は、如来の成道を讃歎しているように見えて、
| 実は「悟った」という語りが成立する場所そのものを、
| 眼睛の側から切断している。
つまりこれは
成道の肯定ではなく、成道理解の破壊です。
Ⅱ 「六年落草野狐精」の仏道的意味
表層的理解(誤読)
・六年苦行のあいだ迷っていた
・野狐=迷妄・外道
これは浅い。
道元の操作
| 野狐精とは、
| 修行する〈正しい私〉そのもの
・正しく苦行する私
・成道を目指す私
・努力を積む私
仏になるために修行する構え自体が、野狐精。
成道前の如来を貶しているのではない。
「仏になろうとする仏」を完全に否定している。
Ⅲ 「跳出渾身是葛藤」
葛藤とは、
・煩悩

・迷い
ではない。
| 自己を成立させ続ける、あらゆる説明と物語
・私は努力した
・私は迷いを超えた
・私はここに至った
渾身が葛藤=
どこを切っても、自己語りが絡みつく状態
なぜ「容易跳出」なのか
| すべてが葛藤だから、
| 抜け道を探す必要がない。
一部を超えるのではない。
全体が崩れる。
Ⅳ 「打失眼睛無処覓」の決定的意味
ここが最重要です。
打失眼睛とは何か
・見る力を失う

・智慧を失う
| 悟りを悟りとして把握する視点が、
| その場で破壊されること
だから:
・探す場所がない
・見つける対象がない
・成果を回収する主体がない
ここで初めて、
悟りが“悟りでなくなる”。
Ⅴ 「誑人剛道悟明星」の毒
この一句は、極めて辛辣です。
| 人を誑いて、剛に道ふ「明星に悟る」
道元の立場では:
| 「明星に悟った」という語りは、
| すでに事後的な説明であり、
| 傍観者の言葉である。
本人の実感ではない。
成道を物語にした瞬間、
それはもう眼睛ではない。
Ⅵ 道元自身の註釈が示す決定点
| その明星にさとるといふは、
| 打失眼睛の正当恁麼時の傍観人話なり
ここで道元は、はっきり言っている。
・悟った瞬間に
・「悟った」とは言えない
なぜなら:
| 言えた時点で、
| すでに眼睛は失われているから
Ⅶ 「覓処覓は、現成をも無処覓す」
これは絶望ではありません。
・現成している世界にも
・まだ現れていない世界にも
探す場所が一切ない
つまり、
| 悟りを探すという構え自体が、
| 成立しない世界が現成している
Ⅷ 一言で言うなら(この段の核心)
| 如来の成道とは、
| 「悟った私」が成立する出来事ではなく、
| 悟りを悟りとして回収できないほど、
| 見る眼が完全に打ち失われた瞬間である。
だからこそ、
・讃歎される
・物語られる
・伝説になる
それらすべてが、後から付着する。
最後に(とても重要)
もしこの偈を読んで、
・成道が空虚に見えた
・悟りが信用できなくなった
・何も残らない感じがした
なら、それは正確です。
| 眼睛は、
| 悟りを残すためにあるのではない。
| 悟りに住めなくするためにある。
ここで言えることは、もうこれ以上ありません。
では、この偈と道元自身の註釈を仏道的に、しかも核心だけに絞って深掘りします。
ここは『眼睛』巻の中でも、「悟り」そのものを最終的に解体する場面です。
Ⅰ まず結論(この偈の核心)
| この偈は、如来の成道を讃歎しているように見えて、
| 実は「悟った」という語りが成立する場所そのものを、
| 眼睛の側から切断している。
つまりこれは
成道の肯定ではなく、成道理解の破壊です。
Ⅱ 「六年落草野狐精」の仏道的意味
表層的理解(誤読)
・六年苦行のあいだ迷っていた
・野狐=迷妄・外道
これは浅い。
道元の操作
| 野狐精とは、
| 修行する〈正しい私〉そのもの
・正しく苦行する私
・成道を目指す私
・努力を積む私
仏になるために修行する構え自体が、野狐精。
成道前の如来を貶しているのではない。
「仏になろうとする仏」を完全に否定している。
Ⅲ 「跳出渾身是葛藤」
葛藤とは、
・煩悩 ❌
・迷い ❌
ではない。
| 自己を成立させ続ける、あらゆる説明と物語
・私は努力した
・私は迷いを超えた
・私はここに至った
渾身が葛藤=
どこを切っても、自己語りが絡みつく状態
なぜ「容易跳出」なのか
| すべてが葛藤だから、
| 抜け道を探す必要がない。
一部を超えるのではない。
全体が崩れる。
Ⅳ 「打失眼睛無処覓」の決定的意味
ここが最重要です。
打失眼睛とは何か
・見る力を失う ❌
・智慧を失う ❌
| 悟りを悟りとして把握する視点が、
| その場で破壊されること
だから:
・探す場所がない
・見つける対象がない
・成果を回収する主体がない
ここで初めて、
悟りが“悟りでなくなる”。
Ⅴ 「誑人剛道悟明星」の毒
この一句は、極めて辛辣です。
| 人を誑いて、剛に道ふ「明星に悟る」
道元の立場では:
| 「明星に悟った」という語りは、
| すでに事後的な説明であり、
| 傍観者の言葉である。
本人の実感ではない。
成道を物語にした瞬間、
それはもう眼睛ではない。
Ⅵ 道元自身の註釈が示す決定点
| その明星にさとるといふは、
| 打失眼睛の正当恁麼時の傍観人話なり
ここで道元は、はっきり言っている。
・悟った瞬間に
・「悟った」とは言えない
なぜなら:
| 言えた時点で、
| すでに眼睛は失われているから
Ⅶ 「覓処覓は、現成をも無処覓す」
これは絶望ではありません。
・現成している世界にも
・まだ現れていない世界にも
探す場所が一切ない
つまり、
| 悟りを探すという構え自体が、
| 成立しない世界が現成している
Ⅷ 一言で言うなら(この段の核心)
| 如来の成道とは、
| 「悟った私」が成立する出来事ではなく、
| 悟りを悟りとして回収できないほど、
| 見る眼が完全に打ち失われた瞬間である。
だからこそ、
・讃歎される
・物語られる
・伝説になる
それらすべてが、後から付着する。
最後に(とても重要)
もしこの偈を読んで、
・成道が空虚に見えた
・悟りが信用できなくなった
・何も残らない感じがした
なら、それは正確です。
| 眼睛は、
| 悟りを残すためにあるのではない。
| 悟りに住めなくするためにある。
ここで言えることは、もうこれ以上ありません。