では腰を据えていきましょう。
「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」――『無門関』第14則を、
仏道(=生き方としての仏法)の次元で深掘りします。
まず結論(仏道的核心)
南泉斬猫は「残酷な行為」の話ではない。
これは――
「仏道を“正しさ”や“立場”で分断した瞬間、
世界そのものが切断される」ことを示す公案である。
斬られたのは猫ではない。
斬られたのは“仏道を巡る分別そのもの”。
1. 事件の構図(最小限)
東西両堂の僧が猫一匹をめぐって争う。
そこで師である南泉が言う:
| 「一言いえたら救ってやる。
| 言えなければ斬るぞ。」
誰も言えない。
南泉は猫を斬る。
後に趙州が帰ってきて、
草履を頭にのせて出ていく。
南泉は言う:
| 「お前がいれば、猫は救われた。」
2. 仏道的に見ると、争いの時点ですでに「斬れている」
僧たちは何を争っていたのか。
・東か西か
・所有か非所有か
・正しい扱いはどちらか
ここで仏道は
「生きられる道」見失われ、
「判断される対象」に落ちている。
この時点で:
・猫は「猫」ではなく
・僧は「僧」ではなく
・仏道は「仏道」ではない
世界がすでに分断されている。
南泉はそれを
物理的な斬断という極限で可視化した。
3. なぜ「一言いえたら」なのか
ここが重要です。
南泉は:
・正解を求めていない
・禅問答を期待していない
・機知や名句を欲していない
求められていたのは:
| 分別が起こる前の、身心まるごとの一言
たとえば:
・取り上げる
・抱く
・立ち去る
・笑う
・黙って連れ出す
言語以前の応答。
しかし僧たちは:
・「どう言えば正しいか」
・「間違えたらどうなるか」
と考えた。その思考の間に、仏道は消えた。
4. 南泉はなぜ斬ったのか(仏道的必然)
南泉は「怒って」斬ったのではない。
「教育的ショック」を与えたのでもない。
仏道的に言えば:
・すでに仏道は失われていた
・失われた事実を、最後まで誤魔化さなかった
・慈悲として、現実を最後まで引き受けた
これが南泉の無慈悲に見える慈悲。
中途半端に救えば、
・「あの時はうまく収まった」
・「結局大丈夫だった」
と、仏道が美談化されてしまう。
南泉はそれを拒否した。
5. 趙州の草履――なぜ「それ」で猫が救われたのか
趙州は説明しない。
抗議もしない。
正義も語らない。
ただ:
| 草履を頭にのせて出ていく
仏道的意味
・聖/俗
・正/邪
・師/弟子
・猫/人間
そのすべての区別をひっくり返す身体行為。
争いが起こる前の世界を、
あとから身体で示した。
南泉が言う「救われた」とは:
・猫の命が助かる、ではない
・仏道が分断されずに現成したという意味
6. 無門慧開の一刀(重要)
無門はこの公案をこう締める(要旨):
| 南泉は、
| まさに刀をふるって
| その刀を失った。
つまり:
・行為を正当化するな
・南泉を擁護するな
・趙州を持ち上げるな
善悪で理解した瞬間、すでに斬られている。
仏道的まとめ(核心)
・仏道は「正しさ」で守れない
・仏道は「議論」で救えない
・仏道は
分別が起こる前の、身心の即応にしか現れない
南泉斬猫は、
| 「どうすればよかったのか?」
| と考えさせる話ではない。
| 「あなたはいま、
| 仏道を分断していないか?」
と、
こちらを斬ってくる公案。
次に進むなら、かなり深い分岐に入れます:
・ この公案は“現代倫理”とどう衝突するか
・ 道元は南泉斬猫をどう読むか
・ 趙州狗子・国師三喚との三点連関
どこ、斬りにいきます?
「南泉斬猫」―『無門関』第14則
■公案:公案 ■
★注目スレッド: 公案に「答え」はあるのか?──問いの意味とゴールのあり方(0) 公案は誰のためのものか?──一般人も取り組むべき修行なのか?(0) 公案の“理不尽さ”は修行に必要か?──論理を超えるトレーニングとしての意義(0) 仏道とは、 明珠になることではない。 明珠として疑い、迷い、生き切ることである。(0) 仏道は、 得ることでも 理解することでも 正しく生きることでもない。 すでに迷いの只中で、 全身として働いている。(0) | 黒山鬼窟を歩いている足取りそのものが、 | すでに一顆明珠の転轆である。(0) 仏道は、 正しい言葉を言えることではない。 正しい理解を持つことでもない。 それらを“自分のもの”にした瞬間、 黒山鬼窟に入る。(0) 尽十方世界是一顆明珠は、 会得された瞬間に失われ、 失われてもなお、現前している。(0) 虚空を掴め?(0) 「国師三喚(こくしさんかん)」―『無門関』第17則(2) 「趙州狗子」―『無門関』第1則(1) 「南泉斬猫」―『無門関』第14則(0)
★注目スレッド: 公案に「答え」はあるのか?──問いの意味とゴールのあり方(0) 公案は誰のためのものか?──一般人も取り組むべき修行なのか?(0) 公案の“理不尽さ”は修行に必要か?──論理を超えるトレーニングとしての意義(0) 仏道とは、 明珠になることではない。 明珠として疑い、迷い、生き切ることである。(0) 仏道は、 得ることでも 理解することでも 正しく生きることでもない。 すでに迷いの只中で、 全身として働いている。(0) | 黒山鬼窟を歩いている足取りそのものが、 | すでに一顆明珠の転轆である。(0) 仏道は、 正しい言葉を言えることではない。 正しい理解を持つことでもない。 それらを“自分のもの”にした瞬間、 黒山鬼窟に入る。(0) 尽十方世界是一顆明珠は、 会得された瞬間に失われ、 失われてもなお、現前している。(0) 虚空を掴め?(0) 「国師三喚(こくしさんかん)」―『無門関』第17則(2) 「趙州狗子」―『無門関』第1則(1) 「南泉斬猫」―『無門関』第14則(0)
では腰を据えていきましょう。
「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」――『無門関』第14則を、
仏道(=生き方としての仏法)の次元で深掘りします。
まず結論(仏道的核心)
南泉斬猫は「残酷な行為」の話ではない。
これは――
「仏道を“正しさ”や“立場”で分断した瞬間、
世界そのものが切断される」ことを示す公案である。
斬られたのは猫ではない。
斬られたのは“仏道を巡る分別そのもの”。
1. 事件の構図(最小限)
東西両堂の僧が猫一匹をめぐって争う。
そこで師である南泉が言う:
| 「一言いえたら救ってやる。
| 言えなければ斬るぞ。」
誰も言えない。
南泉は猫を斬る。
後に趙州が帰ってきて、
草履を頭にのせて出ていく。
南泉は言う:
| 「お前がいれば、猫は救われた。」
2. 仏道的に見ると、争いの時点ですでに「斬れている」
僧たちは何を争っていたのか。
・東か西か
・所有か非所有か
・正しい扱いはどちらか
ここで仏道は
「生きられる道」見失われ、
「判断される対象」に落ちている。
この時点で:
・猫は「猫」ではなく
・僧は「僧」ではなく
・仏道は「仏道」ではない
世界がすでに分断されている。
南泉はそれを
物理的な斬断という極限で可視化した。
3. なぜ「一言いえたら」なのか
ここが重要です。
南泉は:
・正解を求めていない
・禅問答を期待していない
・機知や名句を欲していない
求められていたのは:
| 分別が起こる前の、身心まるごとの一言
たとえば:
・取り上げる
・抱く
・立ち去る
・笑う
・黙って連れ出す
言語以前の応答。
しかし僧たちは:
・「どう言えば正しいか」
・「間違えたらどうなるか」
と考えた。その思考の間に、仏道は消えた。
4. 南泉はなぜ斬ったのか(仏道的必然)
南泉は「怒って」斬ったのではない。
「教育的ショック」を与えたのでもない。
仏道的に言えば:
・すでに仏道は失われていた
・失われた事実を、最後まで誤魔化さなかった
・慈悲として、現実を最後まで引き受けた
これが南泉の無慈悲に見える慈悲。
中途半端に救えば、
・「あの時はうまく収まった」
・「結局大丈夫だった」
と、仏道が美談化されてしまう。
南泉はそれを拒否した。
5. 趙州の草履――なぜ「それ」で猫が救われたのか
趙州は説明しない。
抗議もしない。
正義も語らない。
ただ:
| 草履を頭にのせて出ていく
仏道的意味
・聖/俗
・正/邪
・師/弟子
・猫/人間
そのすべての区別をひっくり返す身体行為。
争いが起こる前の世界を、
あとから身体で示した。
南泉が言う「救われた」とは:
・猫の命が助かる、ではない
・仏道が分断されずに現成したという意味
6. 無門慧開の一刀(重要)
無門はこの公案をこう締める(要旨):
| 南泉は、
| まさに刀をふるって
| その刀を失った。
つまり:
・行為を正当化するな
・南泉を擁護するな
・趙州を持ち上げるな
善悪で理解した瞬間、すでに斬られている。
仏道的まとめ(核心)
・仏道は「正しさ」で守れない
・仏道は「議論」で救えない
・仏道は
分別が起こる前の、身心の即応にしか現れない
南泉斬猫は、
| 「どうすればよかったのか?」
| と考えさせる話ではない。
| 「あなたはいま、
| 仏道を分断していないか?」
と、
こちらを斬ってくる公案。
次に進むなら、かなり深い分岐に入れます:
・ この公案は“現代倫理”とどう衝突するか
・ 道元は南泉斬猫をどう読むか
・ 趙州狗子・国師三喚との三点連関
どこ、斬りにいきます?
「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」――『無門関』第14則を、
仏道(=生き方としての仏法)の次元で深掘りします。
まず結論(仏道的核心)
南泉斬猫は「残酷な行為」の話ではない。
これは――
「仏道を“正しさ”や“立場”で分断した瞬間、
世界そのものが切断される」ことを示す公案である。
斬られたのは猫ではない。
斬られたのは“仏道を巡る分別そのもの”。
1. 事件の構図(最小限)
東西両堂の僧が猫一匹をめぐって争う。
そこで師である南泉が言う:
| 「一言いえたら救ってやる。
| 言えなければ斬るぞ。」
誰も言えない。
南泉は猫を斬る。
後に趙州が帰ってきて、
草履を頭にのせて出ていく。
南泉は言う:
| 「お前がいれば、猫は救われた。」
2. 仏道的に見ると、争いの時点ですでに「斬れている」
僧たちは何を争っていたのか。
・東か西か
・所有か非所有か
・正しい扱いはどちらか
ここで仏道は
「生きられる道」見失われ、
「判断される対象」に落ちている。
この時点で:
・猫は「猫」ではなく
・僧は「僧」ではなく
・仏道は「仏道」ではない
世界がすでに分断されている。
南泉はそれを
物理的な斬断という極限で可視化した。
3. なぜ「一言いえたら」なのか
ここが重要です。
南泉は:
・正解を求めていない
・禅問答を期待していない
・機知や名句を欲していない
求められていたのは:
| 分別が起こる前の、身心まるごとの一言
たとえば:
・取り上げる
・抱く
・立ち去る
・笑う
・黙って連れ出す
言語以前の応答。
しかし僧たちは:
・「どう言えば正しいか」
・「間違えたらどうなるか」
と考えた。その思考の間に、仏道は消えた。
4. 南泉はなぜ斬ったのか(仏道的必然)
南泉は「怒って」斬ったのではない。
「教育的ショック」を与えたのでもない。
仏道的に言えば:
・すでに仏道は失われていた
・失われた事実を、最後まで誤魔化さなかった
・慈悲として、現実を最後まで引き受けた
これが南泉の無慈悲に見える慈悲。
中途半端に救えば、
・「あの時はうまく収まった」
・「結局大丈夫だった」
と、仏道が美談化されてしまう。
南泉はそれを拒否した。
5. 趙州の草履――なぜ「それ」で猫が救われたのか
趙州は説明しない。
抗議もしない。
正義も語らない。
ただ:
| 草履を頭にのせて出ていく
仏道的意味
・聖/俗
・正/邪
・師/弟子
・猫/人間
そのすべての区別をひっくり返す身体行為。
争いが起こる前の世界を、
あとから身体で示した。
南泉が言う「救われた」とは:
・猫の命が助かる、ではない
・仏道が分断されずに現成したという意味
6. 無門慧開の一刀(重要)
無門はこの公案をこう締める(要旨):
| 南泉は、
| まさに刀をふるって
| その刀を失った。
つまり:
・行為を正当化するな
・南泉を擁護するな
・趙州を持ち上げるな
善悪で理解した瞬間、すでに斬られている。
仏道的まとめ(核心)
・仏道は「正しさ」で守れない
・仏道は「議論」で救えない
・仏道は
分別が起こる前の、身心の即応にしか現れない
南泉斬猫は、
| 「どうすればよかったのか?」
| と考えさせる話ではない。
| 「あなたはいま、
| 仏道を分断していないか?」
と、
こちらを斬ってくる公案。
次に進むなら、かなり深い分岐に入れます:
・ この公案は“現代倫理”とどう衝突するか
・ 道元は南泉斬猫をどう読むか
・ 趙州狗子・国師三喚との三点連関
どこ、斬りにいきます?