億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。
億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。瑞巌点瞎重相見。棒喝交馳験衲僧(先師天童古仏、瑞巌に住せし時、上堂の示衆に云く、秋風清く、秋月明らかなり。大地山河露眼睛なり。瑞巌点瞎して重ねて相見す。棒喝交馳して衲僧を験す)。 いま衲僧を験すといふは、古仏なりやと験するなり。その要機は、棒喝の交馳せしむるなり、これを点瞎とす。恁麼の見成活計は眼睛なり。山河大地、これ眼睛裏の朕兆不打なり。秋風清なり、一老なり。秋月明なり、一不老なり。秋風清なる、四大海も比すべきにあらず。秋月明なる、千日月よりもあきらかなり。清明は眼睛なる山河大地なり。衲僧は仏祖なり。大悟をえらばず、不悟をえらばず、朕兆前後をえらばず、眼睛なるは仏祖なり。験は眼睛露なり。瞎現成なり、活眼睛なり。相見は相逢なり。相逢相見は眼頭尖なり、眼睛霹靂なり。おほよそ渾身はおほきに、渾眼はちひさかるべしとおもふことなかれ。往往に老老大大なりとおもふも、渾身大なり、渾眼小なりと解会せり。これ未具眼睛のゆゑなり。
■58.眼睛:正法眼蔵 ■
★注目スレッド: 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
★注目スレッド: 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
では、この冒頭段落だけに焦点を極限まで絞って、
すでにあなたが辿ってきた文脈(悟り/虚空/有時/坐禅)をすべて踏まえた上で、
仏道的に深掘りする視点を提示します。
Ⅰ この一段で道元がやっていること(総論)
まずはっきり言います。
| この段落は「眼睛とは何か」を説明していない。
| 「眼睛以外の読み方を、すべて破壊している」。
説明文ではありません。
定義文でもありません。
読む側の立ち位置を潰す装置です。
Ⅱ 「億千万劫の参学を拈来して団欒せしむる」
通常の読み(誤読)
・長い修行の結果
・多くの学びが統合され
・最後に眼睛が現れる
これは完全に誤りです。
道元の操作
・億千万劫:時間の長短ではない
・参学:修行内容ではない
・拈来:集めることではない
・団欒:統合でも完成でもない
ここで道元は、
| 「修行の総量」や「歴史」や「成果」
| という発想そのものを一箇所に集めて、
| その意味を失効させている
時間的努力 → 価値 → 成果
という仏道理解を、冒頭一行で終わらせています。
Ⅲ 「八万四千の眼睛」の厳密な意味
これは「たくさんある」という意味ではありません。
| 八万四千=分別されたすべてのあり方
・修行も
・迷いも
・正解も
・間違いも
それらが一つに統合されるのではなく、
| 最初から「眼睛としてしか現れていなかった」
| という事実を突きつける語
眼睛は結果ではなく、
結果だと思っていたものの足場を奪う語。
Ⅳ 天童古仏の上堂が使われる理由
ここで登場するのが
天童如浄。
重要なのは、
彼の言葉の「内容」ではありません。
天童の上堂は何をしているか
| 秋風清、秋月明
| 大地山河露眼睛
これは説明でも比喩でもない。
評価語(清・明)を出した瞬間に、
それがすでに眼睛だと言い切っている。
・秋風が清いから眼睛
・秋月が明るいから眼睛
| 清と言った瞬間、
| 明と言った瞬間、
| すでに判断が成立する前で起きている
Ⅴ 「瑞巌点瞎重相見」の破壊力
点瞎とは何か
・無知になること
・目を潰す比喩
| 「見る立場そのものを潰す」こと
・見た
・わかった
・体験した
という主体の足場を壊す行為。
なぜ「重ねて相見」なのか
・点瞎のあとに
・もう一度「相見」がある
これは回復ではない。
| 見る者がいないまま、
| 出会いだけが起きる
眼睛とは、
見る主体が壊れたあとに残る「出会いの事実」
Ⅵ 棒喝・験衲僧の位置づけ
| 棒喝交馳験衲僧
ここで道元は、
倫理・悟り・人格評価を一切許さない。
・よい僧か
・悟った僧か
・正しい理解か
すべて無効。
| 古仏であるかどうかを験す
これは資格審査ではない。
眼睛から逃げていないかを験している
Ⅶ 決定的な一句
「大悟をえらばず、不悟をえらばず」
ここが最大の刃です。
・悟りを目指す
・悟りを否定する
どちらも同じ逃げ。
| 悟り/不悟という区別が立つ場所そのものが、
| すでに眼睛ではない
眼睛は、悟り論争が始まる前に起きている。
Ⅷ 「渾身大・渾眼小」という誤解の破壊
人はこう思う:
・体は大きい
・見る点は小さい
道元は断言する:
| これ未具眼睛のゆゑなり
つまり、
| 世界が大きく、自分の視点が小さい
| と思っている時点で、
| すでに主体が立っている
眼睛では、
・渾身も
・渾眼も
・大小も
成立しない。
Ⅸ 一言で言うなら(この段落の核心)
| この冒頭段落は、
| 「眼睛とは何か」を語るための文章ではなく、
| 読者が“眼睛ではない場所”に立つことを
| 徹底的に不可能にする文章である。
最後に(とても大事)
もしこの段落を読んで、
・何も掴めない
・解釈が立たない
・正しい読み方が分からない
と感じているなら、
それが正確な読後感です。
| 眼睛は、
| 理解されるために書かれていない。
| 理解しようとする場所を、
| 読むたびに壊すために書かれている。
ここで止めます。
この先は、もう「解説」ではありません。
すでにあなたが辿ってきた文脈(悟り/虚空/有時/坐禅)をすべて踏まえた上で、
仏道的に深掘りする視点を提示します。
Ⅰ この一段で道元がやっていること(総論)
まずはっきり言います。
| この段落は「眼睛とは何か」を説明していない。
| 「眼睛以外の読み方を、すべて破壊している」。
説明文ではありません。
定義文でもありません。
読む側の立ち位置を潰す装置です。
Ⅱ 「億千万劫の参学を拈来して団欒せしむる」
通常の読み(誤読)
・長い修行の結果
・多くの学びが統合され
・最後に眼睛が現れる
これは完全に誤りです。
道元の操作
・億千万劫:時間の長短ではない
・参学:修行内容ではない
・拈来:集めることではない
・団欒:統合でも完成でもない
ここで道元は、
| 「修行の総量」や「歴史」や「成果」
| という発想そのものを一箇所に集めて、
| その意味を失効させている
時間的努力 → 価値 → 成果
という仏道理解を、冒頭一行で終わらせています。
Ⅲ 「八万四千の眼睛」の厳密な意味
これは「たくさんある」という意味ではありません。
| 八万四千=分別されたすべてのあり方
・修行も
・迷いも
・正解も
・間違いも
それらが一つに統合されるのではなく、
| 最初から「眼睛としてしか現れていなかった」
| という事実を突きつける語
眼睛は結果ではなく、
結果だと思っていたものの足場を奪う語。
Ⅳ 天童古仏の上堂が使われる理由
ここで登場するのが
天童如浄。
重要なのは、
彼の言葉の「内容」ではありません。
天童の上堂は何をしているか
| 秋風清、秋月明
| 大地山河露眼睛
これは説明でも比喩でもない。
評価語(清・明)を出した瞬間に、
それがすでに眼睛だと言い切っている。
・秋風が清いから眼睛
・秋月が明るいから眼睛
| 清と言った瞬間、
| 明と言った瞬間、
| すでに判断が成立する前で起きている
Ⅴ 「瑞巌点瞎重相見」の破壊力
点瞎とは何か
・無知になること
・目を潰す比喩
| 「見る立場そのものを潰す」こと
・見た
・わかった
・体験した
という主体の足場を壊す行為。
なぜ「重ねて相見」なのか
・点瞎のあとに
・もう一度「相見」がある
これは回復ではない。
| 見る者がいないまま、
| 出会いだけが起きる
眼睛とは、
見る主体が壊れたあとに残る「出会いの事実」
Ⅵ 棒喝・験衲僧の位置づけ
| 棒喝交馳験衲僧
ここで道元は、
倫理・悟り・人格評価を一切許さない。
・よい僧か
・悟った僧か
・正しい理解か
| 古仏であるかどうかを験す
これは資格審査ではない。
眼睛から逃げていないかを験している
Ⅶ 決定的な一句
「大悟をえらばず、不悟をえらばず」
ここが最大の刃です。
・悟りを目指す
・悟りを否定する
どちらも同じ逃げ。
| 悟り/不悟という区別が立つ場所そのものが、
| すでに眼睛ではない
眼睛は、悟り論争が始まる前に起きている。
Ⅷ 「渾身大・渾眼小」という誤解の破壊
人はこう思う:
・体は大きい
・見る点は小さい
道元は断言する:
| これ未具眼睛のゆゑなり
つまり、
| 世界が大きく、自分の視点が小さい
| と思っている時点で、
| すでに主体が立っている
眼睛では、
・渾身も
・渾眼も
・大小も
成立しない。
Ⅸ 一言で言うなら(この段落の核心)
| この冒頭段落は、
| 「眼睛とは何か」を語るための文章ではなく、
| 読者が“眼睛ではない場所”に立つことを
| 徹底的に不可能にする文章である。
最後に(とても大事)
もしこの段落を読んで、
・何も掴めない
・解釈が立たない
・正しい読み方が分からない
と感じているなら、
それが正確な読後感です。
| 眼睛は、
| 理解されるために書かれていない。
| 理解しようとする場所を、
| 読むたびに壊すために書かれている。
ここで止めます。
この先は、もう「解説」ではありません。
億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。瑞巌点瞎重相見。棒喝交馳験衲僧(先師天童古仏、瑞巌に住せし時、上堂の示衆に云く、秋風清く、秋月明らかなり。大地山河露眼睛なり。瑞巌点瞎して重ねて相見す。棒喝交馳して衲僧を験す)。 いま衲僧を験すといふは、古仏なりやと験するなり。その要機は、棒喝の交馳せしむるなり、これを点瞎とす。恁麼の見成活計は眼睛なり。山河大地、これ眼睛裏の朕兆不打なり。秋風清なり、一老なり。秋月明なり、一不老なり。秋風清なる、四大海も比すべきにあらず。秋月明なる、千日月よりもあきらかなり。清明は眼睛なる山河大地なり。衲僧は仏祖なり。大悟をえらばず、不悟をえらばず、朕兆前後をえらばず、眼睛なるは仏祖なり。験は眼睛露なり。瞎現成なり、活眼睛なり。相見は相逢なり。相逢相見は眼頭尖なり、眼睛霹靂なり。おほよそ渾身はおほきに、渾眼はちひさかるべしとおもふことなかれ。往往に老老大大なりとおもふも、渾身大なり、渾眼小なりと解会せり。これ未具眼睛のゆゑなり。