先師古仏上堂云、霖霪大雨、豁達大晴。蝦麻啼、蚯蚓鳴。古仏不曽過去、発揮金剛眼睛。咄。葛藤葛藤(霖霪たる大雨、豁達たる大晴。蝦麻啼き、蚯蚓鳴く。古仏曽て過去せず、金剛の眼睛を発揮す。咄。葛藤葛藤)。
いはくの金剛眼睛は、霖霪大雨なり、豁達大晴なり。蝦麻啼なり、蚯蚓鳴なり。不曽過去なるゆゑに古仏なり。古仏たとひ過去すとも、不古仏の過去に一齊なるべからず。
先師古仏上堂云、日南長至、眼睛裡放光、鼻孔裏出気(日南長く至り、眼睛裡に放光し、鼻孔裏に出気す)。
而今綿綿なる一陽参陽、日月長至、連底脱落なり。これ眼睛裏放光なり、日裏看山なり。このうちの消息威儀、かくのごとし。
先師古仏上堂云、霖霪大雨、豁達大晴。蝦麻啼、蚯蚓鳴。古仏不曽過去、発揮金剛眼睛。咄。葛藤葛藤(霖霪たる大雨、豁達たる大晴。蝦麻啼き、蚯蚓鳴く。古仏曽て過去せず、金剛の眼睛を発揮す。咄。葛藤葛藤)。 いはくの金剛眼睛は、霖霪大雨なり、豁達大晴
■58.眼睛:正法眼蔵 ■
★注目スレッド: 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
★注目スレッド: 『眼睛』と『身心脱落』の厳密な差(0) 眼睛は倫理や行為とどう関わるのか(0) 『眼睛』と『虚空』の厳密な差(0) 眼睛と「慈悲」は両立するのか(0) その場で必要な行為かそうでない行為かはどうやって判断するのか(0) 『眼睛』と『虚空』と『古鏡』の厳密な差(0) 眼睛における「生死」(0) 『眼睛』と『有時』の厳密な差(0) 道元が「なぜ眼睛」を書かねばならなかったのか(0) 坐禅と眼睛の関係は(0) 眼睛を語れなくなるために、 座禅する?(0) 悟りと眼睛の関係(0) 億千万劫の参学を拈来して団欒せしむるは、八万四千の眼睛なり。 先師天童古仏、住瑞巌時、上堂示衆云、秋風清、秋月明。大地山河露眼睛。(1) 洞山悟本大師、在雲巌会時、遇雲巌作鞋次、師白雲巌曰、就和尚乞眼睛(洞山悟本大師、雲巌の会に在りし時、雲巌の作鞋に遇ふ次でに、師、雲巌に白して曰く、和尚に就いて眼睛を乞はん)。 雲巌曰、汝底与阿誰去也(汝底を阿誰にか与へ去るや)。(1) 先師古仏云く、抉出達磨眼睛、作泥團子打人(達磨の眼睛を抉出して、泥團子と作して打人す)。 高声云、著。海枯徹底過、波浪拍天高(著。海枯れて徹底過なり、波浪天を拍つて高し)。 これは清涼寺の方丈にして、海衆に為示するなり。しかあれば、打人とい(1)
では、この二つの上堂を、「眼睛=現成そのもの」というこれまでの線を一切崩さずに、
しかも一段深いところ――
「時間・自然・仏の在り方が同時に壊れる地点」として読み解きます。
Ⅰ まず結論(この二段の核心)
| この二つの上堂は、
| 「眼睛が何を見るか」を語っているのではない。
| 「世界が、すでに眼睛として働いている仕方」を、
| 一切の解釈を拒んだまま示している。
Ⅱ 「霖霪大雨、豁達大晴」──対立の破壊
誤読
・雨と晴れの対比
・無常の表現
・自然描写
これはすべて浅い。
仏道的には
| 霖霪大雨も、豁達大晴も、
| 同じ「説明不能な現成」として並べられている。
・雨だから曇り
・晴れだから良い
評価が入る前に、
すでに起きている。
Ⅲ 「蝦麻啼、蚯蚓鳴」──意味の剥奪
ここが重要です。
・鳥の声
・美しい自然音
| 価値を与えられない、
| 取るに足らない生き物の声
それをあえて出すことで、
| 「意味のある現象」と
| 「意味のない現象」の区別を破壊する。
蝦麻の啼きも、蚯蚓の鳴きも、
金剛眼睛そのもの。
Ⅳ 「古仏不曽過去」の決定的破壊
ここで時間が壊れます。
普通はこう考える
・古仏=過去の仏
・釈尊は昔の人
道元は言う:
| 古仏は、過去したことがない。
これは永遠論ではない。
| 時間の中に仏が存在する、
| という前提が成立しない。
仏は「今も生きている」のではない。
「過去・現在・未来」という構造が、
仏には通用しない。
Ⅴ 「金剛眼睛」とは何か
金剛=固い・壊れない?
違う。
| いかなる解釈・意味・悟りによっても、
| 破壊できない現成。
だから道元は断言する:
| 金剛眼睛は、
| 大雨そのものであり、
| 大晴そのものであり、
| 蝦麻の声であり、
| 蚯蚓の鳴きである。
「それを見る眼」ではない。
「それとして起きていること」そのもの。
Ⅵ 「咄。葛藤葛藤」の意味
ここが鋭い。
・説明しそうになる
・美しく理解しそうになる
その瞬間、
| 咄。葛藤葛藤
意味づけが始まったことへの遮断。
・雨=悟り
・晴=覚醒
そう思った瞬間、
もう葛藤。
Ⅶ 第二の上堂:時間の最終破壊
| 日南長至
| 眼睛裡放光
| 鼻孔裏出気
誤読
・冬至の象徴
・光明思想
仏道的には
| 一年で最も日が短いという事実が、
| すでに眼睛として現れている。
・暗闇の中の希望
・光への転換点
ただ、そうなっている。
Ⅷ 「眼睛裡放光」とは何か
これは悟り体験ではありません。
| 光を放つ主体がいない。
・放光している仏
・覚醒した心
| 冬至という現象が、
| そのまま放光している。
Ⅸ 「鼻孔裏出気」の冷酷さ
ここが決定的です。
・崇高な光
・霊的体験
| 息をしているだけ。
放光と呼吸が、同じ重さで並べられる。
・聖と俗
・高と低
完全に無効。
Ⅹ 「一陽参陽、連底脱落」
これは進歩ではありません。
| 増えているのは「理解」ではなく、
| 減っているのは「立脚点」。
・春に向かう
・成熟する
底が抜け続けている。
Ⅺ 一言で言うなら(この二段の核心)
| 金剛眼睛とは、
| 自然・時間・生死・聖俗が、
| 一切の意味づけを拒否したまま、
| そのまま起き続けている現成である。
最後に(とても重要)
もしこの二段を読んで、
・何も特別な感じがしない
・ただ事実が並んでいるだけに見える
なら、それは正確です。
| 眼睛は、
| 特別さを感じさせるためにあるのではない。
| 生が、
| すでに特別であるという思い込みを、
| 徹底的に壊すためにある。
ここは、道元が「仏」を自然に溶かしきった地点です。
しかも一段深いところ――
「時間・自然・仏の在り方が同時に壊れる地点」として読み解きます。
Ⅰ まず結論(この二段の核心)
| この二つの上堂は、
| 「眼睛が何を見るか」を語っているのではない。
| 「世界が、すでに眼睛として働いている仕方」を、
| 一切の解釈を拒んだまま示している。
Ⅱ 「霖霪大雨、豁達大晴」──対立の破壊
・雨と晴れの対比
・無常の表現
・自然描写
これはすべて浅い。
仏道的には
| 霖霪大雨も、豁達大晴も、
| 同じ「説明不能な現成」として並べられている。
・雨だから曇り
・晴れだから良い
評価が入る前に、
すでに起きている。
Ⅲ 「蝦麻啼、蚯蚓鳴」──意味の剥奪
ここが重要です。
・鳥の声
・美しい自然音
| 価値を与えられない、
| 取るに足らない生き物の声
それをあえて出すことで、
| 「意味のある現象」と
| 「意味のない現象」の区別を破壊する。
蝦麻の啼きも、蚯蚓の鳴きも、
金剛眼睛そのもの。
Ⅳ 「古仏不曽過去」の決定的破壊
ここで時間が壊れます。
普通はこう考える
・古仏=過去の仏
・釈尊は昔の人
道元は言う:
| 古仏は、過去したことがない。
これは永遠論ではない。
| 時間の中に仏が存在する、
| という前提が成立しない。
仏は「今も生きている」のではない。
「過去・現在・未来」という構造が、
仏には通用しない。
Ⅴ 「金剛眼睛」とは何か
金剛=固い・壊れない?
違う。
| いかなる解釈・意味・悟りによっても、
| 破壊できない現成。
だから道元は断言する:
| 金剛眼睛は、
| 大雨そのものであり、
| 大晴そのものであり、
| 蝦麻の声であり、
| 蚯蚓の鳴きである。
「それを見る眼」ではない。
「それとして起きていること」そのもの。
Ⅵ 「咄。葛藤葛藤」の意味
ここが鋭い。
・説明しそうになる
・美しく理解しそうになる
その瞬間、
| 咄。葛藤葛藤
意味づけが始まったことへの遮断。
・雨=悟り
・晴=覚醒
そう思った瞬間、
もう葛藤。
Ⅶ 第二の上堂:時間の最終破壊
| 日南長至
| 眼睛裡放光
| 鼻孔裏出気
・冬至の象徴
・光明思想
仏道的には
| 一年で最も日が短いという事実が、
| すでに眼睛として現れている。
・暗闇の中の希望
・光への転換点
ただ、そうなっている。
Ⅷ 「眼睛裡放光」とは何か
これは悟り体験ではありません。
| 光を放つ主体がいない。
・放光している仏
・覚醒した心
| 冬至という現象が、
| そのまま放光している。
Ⅸ 「鼻孔裏出気」の冷酷さ
ここが決定的です。
・崇高な光
・霊的体験
| 息をしているだけ。
放光と呼吸が、同じ重さで並べられる。
・聖と俗
・高と低
完全に無効。
Ⅹ 「一陽参陽、連底脱落」
これは進歩ではありません。
| 増えているのは「理解」ではなく、
| 減っているのは「立脚点」。
・春に向かう
・成熟する
底が抜け続けている。
Ⅺ 一言で言うなら(この二段の核心)
| 金剛眼睛とは、
| 自然・時間・生死・聖俗が、
| 一切の意味づけを拒否したまま、
| そのまま起き続けている現成である。
最後に(とても重要)
もしこの二段を読んで、
・何も特別な感じがしない
・ただ事実が並んでいるだけに見える
なら、それは正確です。
| 眼睛は、
| 特別さを感じさせるためにあるのではない。
| 生が、
| すでに特別であるという思い込みを、
| 徹底的に壊すためにある。
ここは、道元が「仏」を自然に溶かしきった地点です。
先師古仏上堂云、霖霪大雨、豁達大晴。蝦麻啼、蚯蚓鳴。古仏不曽過去、発揮金剛眼睛。咄。葛藤葛藤(霖霪たる大雨、豁達たる大晴。蝦麻啼き、蚯蚓鳴く。古仏曽て過去せず、金剛の眼睛を発揮す。咄。葛藤葛藤)。
いはくの金剛眼睛は、霖霪大雨なり、豁達大晴なり。蝦麻啼なり、蚯蚓鳴なり。不曽過去なるゆゑに古仏なり。古仏たとひ過去すとも、不古仏の過去に一齊なるべからず。
先師古仏上堂云、日南長至、眼睛裡放光、鼻孔裏出気(日南長く至り、眼睛裡に放光し、鼻孔裏に出気す)。
而今綿綿なる一陽参陽、日月長至、連底脱落なり。これ眼睛裏放光なり、日裏看山なり。このうちの消息威儀、かくのごとし。
いはくの金剛眼睛は、霖霪大雨なり、豁達大晴なり。蝦麻啼なり、蚯蚓鳴なり。不曽過去なるゆゑに古仏なり。古仏たとひ過去すとも、不古仏の過去に一齊なるべからず。
先師古仏上堂云、日南長至、眼睛裡放光、鼻孔裏出気(日南長く至り、眼睛裡に放光し、鼻孔裏に出気す)。
而今綿綿なる一陽参陽、日月長至、連底脱落なり。これ眼睛裏放光なり、日裏看山なり。このうちの消息威儀、かくのごとし。